フゲンの野球人生① ~野球との出会い・少年野球入団~
こんばんは、フゲンです。
つい2日前に自己紹介したところで、もう2本目の投稿失礼します。「3日坊主ってスタートダッシュだけは完璧」とはよく言ったもので(?)
今回は、前回の自己紹介で少し触れた、私の野球との出会いについて書きたいと思います。
ぜひご覧になっていってください。
野球との出会い
私は、愛知県の海がきれいな片田舎で、三人兄妹の長男として生まれ育ちました。
幼少の頃、それはそれは泣き虫で人見知りで、家族以外の大人には近寄らず、学校では女の子にいじわるされてはなにも言い返せず、ただ泣いて帰ってくるような子供でした。
そんな私を見かねた父はある日、「野球かサッカーを選べ、スポーツでもやって根性叩き直せ」と言い出しました。絵に描いたような九州男児、かつ元陸上&高校野球経験者の父にしてみれば、スポーツを通して強い男の子に育てたかったのでしょう。もちろん当時の泣き虫フゲンは乗り気なわけがありません。
サッカーを選ばなかった理由は、野球チームの方が単純に練習場所が近かったのと、学校で意地悪してくる子がサッカーをやっていたからです。
いじめっこを見返してやる!みたいな反骨心が当時の私にあれば、もしかしたらサッカー少年フゲンが爆誕していたのかもしれませんね。笑
こうして、嫌々ながらも当時8歳の私は地元の少年野球チームの一員となるのです。
少年野球チームに入団
私が入団したのは、いわゆる地元の少年軟式野球団で、3つの小学校の生徒で構成されているチームです。田舎っ子集団にしてはなかなか強くて、市だけで50前後のチームがある中、常に上位に食い込みメダルを取れない大会のほうが珍しいような強豪チームでした。
そんなところで泣き虫フゲンはやっていけるのかというと、これが意外にも素質はあったみたいです。生まれつきの左利きで、体格にも恵まれていたんですね。常に同級生より頭一つ抜けていて、小学校を卒業する頃には170cmまで伸びる事になります。
スラーっと背の高い左投げの子が入ってきたらそりゃコーチも期待するだろうな、と今なら分かる気がしますね。
ただ、なんせ泣き虫。最初の頃は、朝行きたくなくて涙。アップのランニングが辛くて涙。キャッチボールで捕れなくて涙。相手に届かなくて涙。ボールが当たって涙。涙なしには語れない怒涛の日々です。笑
チームのコーチになったスパルタ親父も呆れるほどの根性なしでした。
ですが、ここからチームメイトや恩師との出会い、そして複雑な家庭の事情などさまざまなことを経て、私の野球人生は大きな転換期を迎えることになります。
今回は以上です、読んでいただきありがとうございました!