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ヒップホップが目覚める時、そこにはジャズが鳴っていた -アーマッド・ジャマルとDJ Premier、Pete Rock、J Dillaを巡って-

■はじめに

偉大なピアニストが鳴らす音は、永遠に解明されない謎のように聴く者を惹きつける。2023年4月16日マサチューセッツの自宅にて、92歳でこの世を去ったジャズ・ピアニストのアーマッド・ジャマルの遺した数々の謎はひときわ美しいものばかりだった。

アーマッド・ジャマルについて話す時、そこには大きく2つのバージョンがある。1つはジャズピアノの探究者として、もうひとつはジャズ・ヒップホップのグランドファーザーとしてのバージョンであり——今回の目的は後者について語ることにある。

現代ジャズの雄、ロバート・グラスパーは「Jazz is the mother of hip-hop(ジャズはヒップホップの母)」という解説動画をYoutubeにアップしているが、ここで彼がヒップホップの偉大なインスピレーション源として3曲のジャズ・クラシックを挙げている。まず一つ目はハービー・ハンコックによる「Come Running To Me」。そして残りの2曲がアーマッド・ジャマルの「I Love Music」と「Swahililand」だ。


アーマッド・ジャマルの楽曲は、DJ Premier、Pete Rock、J DillaやNujabesをはじめ多くのDJにサンプリングに扱われており、世界最大級のサンプリングデータベースサイト・WhoSampledを参照すると彼の楽曲の被サンプリング数は現在270を超え、世代にかかわらず多くの名曲にそのサウンドが刻み込まれていることが判る。

さて、今回はいちヒップホップリスナーからみたジャマルの偉大さについて、そして彼の楽曲を聞いたDJたちが何を考えてビートメイクをしたのかを想像しながら語っていきたいと思う。

■アーマッド・ジャマルのプレイスタイル

さて本題に入る前に、これほど多くのDJたちが魅了されるアーマッド・ジャマルの略歴とそのプレイスタイルについて触れておきたい。

 若き頃のアーマッド・ジャマル。https://www.sfjazz.org/onthecorner/interview-with-ahmad-jamal/より引用

本名、フレデリック・ラッセル・ジョーンズ。1930年ピッツバーグ生まれの彼は幼き頃から音楽の才を発揮し、10代からプロピアニストとしてのキャリアをスタートさせている。1950年にイスラム教に改宗し、名前をアーマッド・ジャマルに改名するのと同時期に、自身がリーダーを取るバンドを結成しアーティストとしての活動を本格化させていく。1958年に『バット・ナット・フォー・ミー』を、翌59年には『ポートフォリオ・オブ・アーマッド・ジャマル』、70年には『ジ・アウェイクニング』といった名盤を発表し、2017年にはジャズへの貢献が讃えられグラミー賞の生涯功労賞を受賞している。

かつて“モダンジャズの帝王”ことマイルス・デイヴィスは「私のインスピレーションはすべてアーマッド・ジャマルから得ている」とメディアに語り、自伝では「スペースの概念、タッチの軽さ、控えめな表現、音符やコード、パッセージのフレージングで私をノックアウトした」と氏のプレイを絶賛している。

ただしそうした「スペースの概念」を活用するスタイルは50~60年代の演奏が中心で、70年代以降はファンクの影響を受けたダイナミックなリズムアプローチが顕著になる。さらに時を経て晩年は速いパッセージとパワフルな打鍵が特徴的なサウンドに変貌するなど、そのスタイルは時代ごとに大きく遷移している。

しかし一方で彼のサウンドには通底する特徴があり、中でもシングルノートで弾かれるシンプルでキャッチーな右手のメロディと、旋律に絡みつくようなレイドバックする左手のブロックコードなどは特にそうだ。
2011年にピアニストのジョー・アルターマンによって行われたインタビューはまさにその2点が指摘されており、本人の口からはエロル・ガーナーやナット・キング・コール、アート・テイタムの他、ことブロックコードの使い方に関してはフィニアス・ニューボーンの名が影響元として挙げられている。


こうしたプレイフォーマットに加え、個人的な印象を付け加えるならばアーマッド・ジャマルのアドリブには特有の“ループ感覚”が存在するようにも思う。
1970年にImpulse! より発表された『The Awakening』には、スタンダードナンバーの「Dolphin Dance」のカヴァーが収録されている。ベーシストのジャミール・ナッサーとドラマーのフランク・ガントらと結成されたピアノトリノでの演奏だ。
下の2曲を比較して聞いてみて欲しい。上がハービー・ハンコックが65年に発表したオリジナル、下がカヴァー版だ。

まずオリジナルの「Dolphin Dance」では典型的なジャズナンバーの構成(メインモチーフ→即興→メインモチーフ)をとるのに対して、アーマッド・ジャマル版では明確にモチーフと即興の境目を区切ろうとしない。

メインモチーフ冒頭の印象的な「ソラ♭シ♭ファ」の4音で綴られるメロディを即興の中で何度も使い回し、時にキーやリズムを変え、また時にはバッキングのコードをリハモナイズ、つまり既にメロディーについているコードを新たに付け替えながらも、執拗にワンフレーズを軸に曲を展開させる形式をとるのだ。
ループを中心に置く考えはファンクの影響を多分に感じられるが、一方でモチーフの出し引きやアレンジは確実にジャズの思考を通っている。こうしたモチーフへの取り組み方は氏の他の楽曲でも多く耳にすることができる。

それは例えば、転調をしながらメインモチーフをループさせる方法はサンプリングのピッチを変更させる行為にも通ずるし、バッキングのリズム変更やリハモナイズも、ビートメイカーが異なるサンプリング素材をトラック内でぶつけるような行為を想起させる。

シンプルなメロディにレイドバックするコードバッキング、そしてループするメインモチーフをプレイに取り込むアーマッド・ジャマルは、図らずもヒップホップのDJたちにも通ずる美意識を持っていたのかもしれない。

■「The Awakening」と3人のレジェンドたち

さて、ここからはどのようにアーマッド・ジャマルがサンプリングで使用されてきたのかを語っていきたい。
『The Awakening』の同名の表題曲として収録されている「The Awakening」はDJ Premier、Pete Rock、J Dillaという3人のDJによってサンプリングされており、同一楽曲であるがゆえにそれぞれのサンプリング観が分かりやすく見てとれる。
さて、ジャンルを代表する3人の天才が「The Awakening」をそれぞれどのように調理したのか見てみよう。

・ケース1:DJ Premierの場合
DJ Premierが所属するGang Starrは1989年発表の「DJ Premier in Deep Concentration」にて、「The Awakening」冒頭のテレテレテテテ…(下記リンク2番目0:01~)と鳴らされるピアノフレーズを全編に使用している。

The Awakening冒頭の楽譜。赤枠で囲った部分がサンプリング該当部分。

ジャズレコードからサンプリングを行う試みは1989年に発表された同グループのデビューシングル「Words I Manifest」が先駆けと言われている(もっとも1988年のJungle Brothersなど、それ以前に行っているアーティストは居るのだが)が、実は「DJ Premier in Deep Concentration」は「Words I Manifest」のB面に収録されている楽曲でもある。


アーマッド・ジャマルをサンプリングソースとして使用する最初期の楽曲であることは間違いなく、そう考えるとアルバム/楽曲共に「The Awakening」をサンプリングの宝庫として有名にしたのはDJ Premierによる貢献が大きいと言えるだろう。

さて、このシンプル極まりないピアノフレーズだが、原曲と比べるとある改変が行われていることに気づく。
上の楽譜を見ると、オリジナルの楽曲では対象のピアノフレーズは「G♭onD♭→A♭onG♭」というコード進行上で登場している。
対して「DJ Premier in Deep Concentration」はピアノのメロディに対してKool & the Gangの「Summer Madness」のエレピのサンプリングをバッキングトラックとして使用しており、「Bm9→C#m11」のコード進行をとっているのだ。

ここで面白いのは原曲がメジャーコード、つまり明るい響きの中で登場したメロディであったのに対して、DJ Premierはマイナーコード、つまり暗い響きを持った楽曲のコードにサンプリングのメロディを乗せている点にある。主役(=メロディ)が立つ背景(=コード進行)が大胆に変更されたことで、原曲にあった瑞々しいタッチのピアノメロディは、楽曲のタイトル通り「Deep Concentration(深い集中)」の奥で浮かぶ閃きのような、静謐なラインに大きく様変わりしている。

ここでDJ Premierが行っていることはサンプリングミュージックというジャンルの中で、高度なリハモナイズ(=メロディについているコードの置き換え)をしていると表現できるだろう。
もちろん、ヒップホップのビートで異なる楽曲の素材を組み合わせることは常套手段だ。しかしその多くがカオティックに音をレイヤードさせ、情報量を増幅させる目的で行われる一方、DJ Premierは単音のメロディパートとコードのパートを、それぞれ厳密に役割分けした上でサンプリングし、原曲と真逆の印象を与えられるよう整理、再構成している。だからこそジャズやポップスで見られるリハモナイズに近いイメージを持っていたように思えるのだ。
DJ Premierの鋭敏な音楽的直感は即興のピアノフレーズをものの見事に捕まえ、あたかも元からそこにあったかのように手懐けてしまう。
1989年当時、彼の目にアーマッド・ジャマルのレコードは未だ見ぬ優雅な獣が息づく秘密のジャングルのように見えていたことだろう。

・ケース2:Pete Rockの場合
DJ Premierがアーマッド・ジャマルの右手のメロディに目をつけていたのに対して、Pete Rockはその左手が繰る思慮深いコードの響き、そして絶妙に遅延するタイム感に魅了されたようだ。

Pete Rock& C.L. Smoothは1994年に発表した『The Main Ingredient』収録の「It’s on You」の全編にわたって「The Awakening」のマイナー調に切り替わるコード進行(E♭m→Fm→G♭maj9)のパートをサンプリングしている。(下記リンク1:00~)

The Awakening該当部分の楽譜

「It’s on You」ではこの静かな和音の流れが、曲全体をパッドのように楽曲全体を包み込むように機能している。なお、原曲では3/4拍子のところをカットアップし4/4拍子に変更した上でサンプリングに使用している。
また、「It’s on You」では実はアウトロの部分でもアーマッド・ジャマル・トリオの別楽曲(Poinciana)がサンプリングされているが、こちらも使用しているのはコード弾きの部分のみだ。(下記リンク0:14~)

Pete Rockの特徴として、通常であれば流麗なコードの進行にばかり目が行きがちなところを、レイドバックするコードのタイム感にも注目している点にある。
Pete Rockプロデュースの大名曲、Nasの「The World Is Yours」に繰り返されるピアノリフは『The Awakening』収録の「I Love music」からの引用であり、メロディに合わせブロックコードを弾いている部分をサンプリングしている。(下記リンク4:58~)

実はこのパッセージはオリジナルの曲中で変更を加えながら何度も披露されているが、その中でも、Pete Rockが引っ張ってきたのはコードのリズムがとりわけビハインドする箇所となっている。なるほど、「The World Is Yours」のどこかスローなビート感の秘訣はこのピアノの絶妙なズレにあるのかもしれない。ブロンクス出身のPete Rockの音楽はどこか荒涼とした街の空虚が漂っているが、イスラム教徒であったアーマッド・ジャマルの厳かなコードの響きがその情景に微熱を与えている。

・ケース3:J Dillaの場合
J Dillaは1996年に発表した『The 1996 What Up Doe Sessions』の「Ahmad Impresses Me」(なんてそのまんまなタイトル…)で「The Awakening」を使用している。(下記リンク0:23~)

ここで驚くことに、J Dillaが「The Awakening」で引用した部分は、上のPete Rockの項目で解説した「It’s on You」のサンプリングパートのほんの数小節手前の箇所であることだ。
また面白いのは「It’s on You」でPete Rockがサンプリングしたパートのコード進行は「E♭m→Fm→G♭maj9」というほの暗いマイナー調の響きだったのに対して、J Dillaはその4小節手前の「G7→Cm9→Fm11→Emaj9onB♭」という比較的明るく透明感のあるメジャー調の進行部分を拝借している点だ。(下記リンク0:54~)
ほぼほぼ同じ箇所に注目して聞いているにもかかわらず、2人はそこから全く別のイマジネーションを広げていることに、ビートメイクという行為の奥深さが感じられる。

また、こちらも「It’s on You」同様に楽曲をカットアップしてオリジナルの3/4拍子を4/4拍子に構築し直している。
特にJ Dillaはこうした拍子変更を得意としており、The Isley Brothersの6/8拍子で演奏される「Don't Say Goodnight (It's Time for Love) (Parts 1 & 2)」を4/4拍子にカットアップした「Bye.」など、彼の楽曲では度々披露されている。

一方でJ Dillaが「The Awakening」で注目した点は、単にコード進行というよりもアーマッド・ジャマルが鳴らしているペダルポイントのサウンドにあるのではないかと個人的には予想している。
J Dillaがサンプリングしたパートの楽譜を見てみよう。

The Awakening該当部分の楽譜

コード進行こそ小節単位で刻々と変わっていくものの、一方で赤丸で囲ったE♭のトップノートはこの4小節の間持続して響き続け(=ペダルポイント)、この音が独特の緊張感と振り子のようなリズムを生んでいる。
こうした持続音に注目するサンプリングはJ DillaがプロデュースしたDe la Soulの「Stakes Is High」でも同様に見られる。

同曲はアーマッド・ジャマルの「Swahililand」に登場する印象的なフレーズを拝借し冒頭から全編に渡ってループさせているが、ここでも忙しなく動くコードに対してホーンセクションがBの音を連続して鳴らし続けるアプローチが確認できる。(下記リンク8:00~)

ペダルポイントの使用はその周期的な連続性から、サウンドにパーカッシブな推進力を与える。J Dillaにとってアーマッド・ジャマルのピアノはある種打楽器的なものとして聞こえていたのかもしれない。「Ahmad Impresses Me(アーマッドは俺に感動を与える)」という言葉とは裏腹に、彼はそのサウンドを物質的に還元し、元の文脈とはまるで違う役目を与えてしまう。三次元的な視点をもって音を観察/解体し、奇妙な芸術品を作り上げてしまうその手腕——やはりJ Dillaの本質はマッドサイエンティストに近いように思う。

■おわりに

素晴らしいヒップホップ・クラシックにはDJの瞬発的な想像力と、サンプリング元の豊かな音楽性のどちらもが備わっていることが多い。
サンプリングとは辞書通りに解釈すれば流用を意味する言葉だが、今回取り上げた楽曲のビートメイカーたちとアーマッド・ジャマルのピアノプレイの交差する場所には、単なる流用を超えた強い共振関係のようなものがあったように思う。
確かに、彼の肉体は長い眠りについたのもしれない。しかし「The Awakening(目覚め)」というアルバムタイトルが示唆する通り、彼の残した数々の旋律は、これからも未来のアーティストの創造力を覚醒させ続けるのだろう。


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