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「三四郎」あらすじ解説【夏目漱石】7・まとめ

前回はこちら。

読解ポイント

本作は「草枕」と同等の極めて高い密度を持ちながら、かつ流れが滞ることなく普通の小説として楽しめます。まれにみる成功作だと思います。読解の技術ポイントとしては、

1、冒頭集約の上手さ

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2、ダブルヒロイン

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3、母からの手紙(地元の人間)と東京の人物との対応

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くらいを最低限押さえておいていただきたいです。その上に積み上げる解釈は個人の勝手です。原口=軍部説や広田=旧幕説などは飛躍と見る向きもあると思いますが、続く「それから」「門」などの内容から考えるに、それくらい現実政治との対応関係は考慮できたほうが良いと思われます。単純な恋愛物語では無論ありません。

本作は「坊っちゃん=ファウスト作品群」に含まれますが、ファウストの対応度は最も強いくらいです。
広田はメフィストフェレスらしくロリ趣味ですし、与次郎はファウストらしく女を無下に捨てます。捨てられたほうがどうなったのかは描写されていませんが。
ファウスト与次郎はペーパーマネーは発行しませんが、インチキ文章を発表したり、演芸会のチケットをタダで配ったりします。とくにチケット配りは「ファウスト」のペーパーマネーの影響が強く見れます。漱石はどうも、ドストエフスキーが「罪と罰」で書いたように、「文章と紙幣は似たものである」という見識を獲得したようです。

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ただし、まだ貴金属優位です。そこは残念です。与次郎の切符の第十一章に対称の第四章では、与次郎は人の屋敷内を近道しようとして見つかって怒られます。近道はいけないと。つまり、紙幣発行をネガティブに見ているのです。半分インチキだと思っています。このあたり江戸幕府が表立っては紙幣を発行していないので、江戸生まれの漱石は知識がなさすぎて思考が追いついていかないようです。同じ江戸生まれで同い年の幸田露伴はよくわかっていたのですが、露伴は幕臣の家系ですので、内部事情の知識があったのかもしれません。

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紙幣発行は識字率向上が前提となります。その意味で紙幣発行と、切符発行およびインチキ文章をパラレルで描いた漱石の洞察は正しいです。テキストとマネーに関係があると掴んでいます。繰り返しますが2年前の「坊っちゃん」ではただの幼稚な紙幣否定派でした。自力で考えを発展させてゆく力がありますね。
作中の演芸会では「蘇我入鹿」と「ハムレット」が上映されます。ハムレット一族は内紛で滅亡して外国に王権奪われます。亡国劇です。そして作者は「蘇我氏が元来の天皇であった」くらいの妄想はやりかねない人です。後に坂口安吾も「蘇我天皇」の存在を主張しましたが。漱石の天皇嫌いは治癒不能です。蘇我とハムレットの死に対応するのは第三章、野々宮宅近所での轢死事故です。孤独な女性が飛び込み自殺します。「我々が世界で孤独なのは、天皇家による蘇我権力簒奪があったからだ」くらいを言いたいのではないでしょうか。ほとんど天皇家クレーマーに成り下がっています。
広田が思い出の少女と出会うのは、森有礼の葬式の時です。森は薩摩人です。暗殺されました。そこで美少女と出会う。ざまあみろ感満載です。漱石もこれだけ攻撃性が強い性格ですと、精神壊れてゆくのは納得です。もっとも壊れついでに思考を深めて小説量産したのですから、生産性は高いです。

ワーグネル=野々宮宗八の見たもの

野々宮宗八は広田の弟子です。ファウストの弟子のワーグネルに対応します。広田はメフィストフェレス、与次郎はファウストに対応ですから、ファウスト弟子ワーグネルが野々宮というのは実は変です。漱石のミスだと思われます。目をつぶってあげてください。

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「ファウスト」ではワーグネルはメフィストフェレスのサポート受けて、ホムンクルスを発生させます。立っているのがメフィストフェレス、座っているのがワーグネルです。広田=野々宮師弟の原像です。かまどで作り出すホムンクルスは人造人間です。未完成で体はまだ持っていません。精神が空中に浮いて輝きます。

「三四郎」では野々宮宗八は缶を望遠鏡で覗き込んで数字を観測します。数字は2から10に増え、また減っていって1に至ります。野々宮の観測しているのはなんでしょうか。「光線の圧力」です。たとえば彗星は太陽からの光線の圧力で、しっぽが太陽と反対方向に流れると考えています。ワーグネルのホムンクルスと対比させて考えれば意味は類推できます。「明治日本は天皇という太陽神の光線の圧力でなんとか成立している単なる人造国家だ。ホムンクルス国家だ。今は成長しつつあるが、やがて減衰して元に戻るだろう」。この視点は野々宮の師匠の広田の、「日本は滅びる」「偽善露悪循環論」とも対応しています。円環的です。

「ファウスト」のホムンクルスは空に浮きます。広田=野々宮の見解では日本はホムンクルス国家です。ところで美禰子は日本です。なぜ美禰子が空が好きか、雲が好きか、飛行機も好きか、だいたい分かってきましたね。

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「歌はやんだ。風が吹く。三四郎は外套の襟を立てた。空に美禰子の好きな雲が出た。」

なぜ野々宮よし子は「美禰子の両親はない」と笑いながら言うのか。かつては居たのか。元々両親の居ない存在だったのではないか。本当に美禰子は人間なのか。なぜ広田(メフィストフェレス)宅に英語を習いにゆくのか、なぜ野々宮宗八(ワーグネル)をたいそう好きなのか・・・

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三四郎は、実体のないホムンクルスに恋をしていたようです。なんとも奇抜な恋愛物語です。先に美禰子の正体は銀行システムと言いましたが、作者は銀行システム=紙幣=ホムンクルスと捉えています。
つまり夏目漱石は「ファウスト」のホムンクルスと紙幣をパラレルと把握していたのです。西洋文学の読解として驚異的な水準です。構成を読む力が異常にハイレベルです。「ファウスト」内でのホムンクルスは過去にさかのぼって人間に進化しようとします。「ファウスト」内での紙幣は事後的に価値を担保するための金銀財宝を獲得します。時系列が逆になるという意味では、ホムンクルスも紙幣も共通なのです。それを漱石は(おそらく英訳で)読んで、明治時代に理解した。おそらく三位一体もジョン・ローも知らなかったでしょうが、「ファウスト」の構成を洞察するだけで作品意図を汲み取った。邦訳読み比べてエクセルで章立て表作ってウンウン考えた私の努力はなんだったのでしょう。漱石は鬼ですね。呆然とします。

ところでそう言えば里見美禰子は樹木族ですね。

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紙幣はパルプでできます。パルプは樹木からできます。だから紙幣で銀行システムの美禰子は樹木族、ってことなんでしょう。野々宮家は石族ですから貴金属貨幣を表します。しかし漱石さん、ここはちょっとツボ違いますね。だってネットバンクしてスマホの画面に映される数値も、貨幣ですから。パルプが貨幣なのではなく、「貨幣」という観念が紙でも表せるというだけです。しかし明治時代にはスマホありませんから、当時の小説の組み立てとしてはまず一流です。ここで再度、美禰子を列車女および野々宮よし子と対比してみましょう。

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この表でだいたい「三四郎」読み解き終了でよいのではと思います。

構成と時間観

少し話し変えます。おわかりのように少なくとも広田=野々宮ラインは、円環的な歴史観を採用しています。数字が増えていって、また減っていきます。ファウスト下敷きですから当然ですね。漱石の特徴である、執拗な鏡像構造の採用や、回帰シーンの上手さは円環的歴史観と近い関係にあります。鏡像構造は必然的に、最初のシーンが最後に戻ってきます。本作の場合は最初に森で美禰子を視認、ラストでその時の絵を鑑賞します。回帰シーンも同じです。時間観が作品構成を規定する、あるいはその逆かもしれません。この案件、物語論として面白そうなのですが漱石作品解析はまだ道半ばですので、今回の考察はここでとどめます。

本文の解説は以上ですが、若干追記があります。




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