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パルプ・フィクション 解説【タランティーノ】

パルプ・フィクションは1994年のアメリカ映画です。一見マフィアのドタバタ映画に見えますが、高度に文学的な、充実した内容を持っています。だからカンヌ映画祭でグランプリを取りました。無駄な台詞が多く思えますが、実は無駄はひとつもありません。脚本密度の高い作品です。

脚本家・タランティーノ

この映画はアカデミー賞では脚本賞を取りました。それくらいタランティーノの脚本力はスバ抜けています。時系列クチャクチャ作品を上手にまとめています。

考えてみれば同じイタリア系の監督、コッポラも元来脚本家です。だから「ゴッドファーザー」シリーズも脚本がよいです。イタリア系のスコセッシも重厚な内容の映画を作ります。どうもイタリア系の文化力はアメリカ映画を支える大きな柱のようです。

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タランティーノは常にポジティブで人間同士の信頼を大事にした映画を作ります。

「レザボアドックス」も信頼の映画、「ジャッキーブラウン」も信頼の大事さをうたっています。「デスプローフ」は女性の友人同士の結束の大事さを強調し、「イングロリアンバスターズ」は裏切り者にたいする嫌悪を前面に出しています。(「ジャンゴ・繋がれざるもの」はこの作品と同じくニーベルングの指環を元ネタにしています)そして「ヘイトフルエイト」も結局南北戦争勝者と敗者の協力を描きますから、非常に前向きな人間賛歌の映画ばっかり作っているひとなのです。少々下品なので一見そうは見えませんけど。

そして「パルプ・フィクション」も大変前向きな、爽快と言ってよい作品です。自分の利益を手放してでも、人間が人間を信頼し、助けるすばらしさを表現しています。

歯磨きの謎

作中最大の謎のシーンは、ファビアンの歯磨きシーンです。

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ボクシングの試合が終わったブッチがモーテルに帰ってきて、ファビアンといちゃつき、シャワーを浴びます。シャワーから出てきたブッチは疲れて眠ります。ファビアンは歯を磨きながら「眠って、ブッチ」と言います。おそらく夜の12時くらいの出来事です。

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次のシーンでは朝の9時です。ブッチは夢を見て飛び起きます。ファビアンはブッチが飛び起きたので驚きます。そのときファビアンは、まだ歯を磨いています。推定9時間に及ばんとするマラソン歯磨きです。奇怪です。

飛び起きる直前、ブッチは夢を見ています。夢の内容は明らかで、ボクシングの試合直前に見ていたのと同じ夢、曾祖父から受け継がれてきた時計の話です。つまり時間の夢を見るのです。時間の夢を見て、目を覚ますと9時間が経過しているのです。

ファビアンとミア

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ブッチの恋人ファビアンと対になるのが、マフィアのボス、マーセルスの妻ミアです。

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ヴィンセントと外出したミアは、過去にタイムスリップしたかのようなレストランに行きます。そこではマリリン・モンローやジェームス・ディーンが実在していて、時間が40年くらい遡っています。

つまり、ミアは過去に時間を遡らせることができる人なのです。彼女はもう少しで女優になれそうでなれなかった過去と、悔しい思いを抱えています。

時間の魔女二人

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ミアとファビアンは対になっていますから、ミアが時間を過去に遡らせる魔女ならば、ファビアンは時間を未来に進める魔女です。ファビアンは歯を磨きながら、「眠って」とブッチに言い、そしてブッチが眠るとすぐに9時間を経過させたのです。そしてブッチは「時計」の夢を見て目覚めます。そう考えなければ、歯磨きの謎が理解できません。

つまりこの映画の主題は「時間」です。だから時系列がグチャグチャの構成になっているのです。

過去は過去、未来に生きよう

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マフィアのボスのマーセルスは執念深く過去を引きずるタイプです。現に黄金のスーツケースを盗んだ連中を、全員殺します。スーツケースの回収だけでは満足しないのです。前述のように妻も過去を引きずるタイプです。

ところが死闘をくりひろげた敵であるはずのブッチが、戻ってきて自分を救出すると、「俺と貴様の間はチャラだ」と言います。この瞬間、マーセルスは過去を忘れることが出来たのです。ダーティーなマフィアのボスから、ポジティブな人間になることが出来たのです。

時計を守り、時間更新魔女とつきあっているブッチの力です。

金時計

ブッチが大事にしている金時計は、実は呪いの時計です。

ひいおじいさんにとっては確かに幸運の時計でした。でもお祖父さんは戦死、お父さんも戦病死です。持った人間みんな死んでしまいます。ろくなもんじゃありません。しかしブッチはそれを大事にしています。

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それは4代にわたって受け継がれているものだ、ということと、それが友人たちの手で守られてきた、人間同士の信頼の証だからです。

お祖父さんに初めて会った輸送機の機銃手がアメリカに持って帰り、お父さんの死後は友人が尻の穴に2年間隠し持った時計です。

少々不潔なような気もしますが、ともかくこの時計は友情と信頼の象徴なのです。グッドラックは運んできません。むしろ不幸の時計です。でも幸運や利益よりも大事なものがあるのです。

スーツケースの中身

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冷血な殺し屋ジュールズは、奇跡的に弾丸が外れたことによって、マフィア引退の決意をします。

しかし同じ体験をしても改心できなかったヴィンセントは、天罰としてブッチに後ほど殺されます

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改心したジュールズはレストラン強盗に自分の財布の中の金を与えて、立ち去らせます。「この金でお前の命を買った」と。

さきほど冷酷に殺人をしていたのは、黄金のスーツケースを回収するためです。でもいまでは金を、赤の他人の命のために手放します。ここでジュールズは、ポジティブな人間に変化しています。

それでもボスのものであるスーツケースは渡さないのですが、、では、あのカバンの中身はなんなのでしょうか。

ニーベルングの指環作品群


実はストーリー内容や、いろいろな証拠から、黄金のスーツケースの中身ははっきりしています。ラインの黄金、ないしそれから製造したニーベルングの指環が入っているのです。世界の富を集めることができるマジックアイテムです。

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「ニーベルングの指環作品群」、とでもいうべきものが存在しています。ワーグナーのオペラをもとに、子作品、孫作品と長い時間をかけて生成拡大してきたものです。

作曲家ワーグナーのオペラの大作「ニーベルングの指環」(1876年)

それを下敷きにした、イギリスの作家コンラッドの「闇の奥」(1899年)

それらを下敷きにした、コッポラ監督の映画「地獄の黙示録」(1979年)

そして本作「パルプ・フィクション」(1994年)

ほかにも、エリオットの詩「荒地」「うつろな人々」、フィッツジェラルドの「グレート・ギャッツビー(華麗なるギャツビー)」、三島由紀夫の「豊饒の海」、宮崎駿「千と千尋の神隠し」などが作品群に含まれます。岡本倫「極黒のブリュンヒルデ」も村上春樹「羊をめぐる冒険」も「アクトレス~女たちの舞台~(Sils Maria)」もそうです。「ニーベルングの指環作品群」は文芸の中心にある巨大な存在なのです。

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「ニーベルングの指環」は珍しく貨幣というか、通貨発行権を正面から取り上げた作品です。現代は経済の時代です。アベノミクスも、「第一の矢」は、簡単に言えば通貨発行権の行使です。現代社会の中心的な話題、のはずですが、通常の文芸作品では、作者の教養不足から取り上げられません。「ニーベルングの指輪作品群」はそのなかでも、いち早く問題の大きさに気づいている人たちが作った、大変重要な作品群です

ニーベルングの指環との共通点

完全に下敷きにしているのではありませんが、ニーベルングの指環を知っていればだれでも「ああ、あれが元ネタか」とわかるようになっています。特筆すべきは「言い換え能力」でして、コンラッドや三島でも思いつかないような、奇抜な言い換えを駆使しています。


「指環」では眠るブリュンヒルデをジークフリートが起こします
「パルプ」では眠るファビアンをブッチが起こします

「指環」ではジークフリートとブリュンヒルデは(オペラですから)歌声で愛を伝えます
「パルプ」ではオーラルセックスで愛を伝え合います(少々下品な言い換えですね)

「指環」では馬に乗るワルキューレは英雄の魂を回収します
「パルプ」ではタクシーに乗るイズメラルダ・ヴィラロボスは戦う男が大好きです

「指環」では指環を保持する大蛇は、ジークフリートに心臓を突かれて死にます
「パルプ」では店番メナードはブッチに腹を突かれて死にます。ミアもヴィンセントに注射器で心臓を一突きされます

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「指環」ではジークフリートの武器は名剣ノートウィング
「パルプ」ではブッチの武器は日本刀

「指環」ではボスの手下は火の神ローゲ
「パルプ」ではボスの手下はタバコ屋ボウル

「指環」では欲の深い巨人族がお宝を袋に入れる
「パルプ」ではレストラン強盗が財布を袋に入れる

「指環」では狼族が結婚式から出てきて逃げる
「パルプ」では「ウルフ」がパーティーから出てきて仕事

「指環」では狼族ジークムンドは犬に追いかけられる
「パルプ」ではウルフは鉄工所で犬に付きまとわれて追い払う

「指環」では人間と地底人のあいのこハーゲンが最後にラインの濁流に飛び込んで溺死
「パルプ」ではサモアと黒人のあいのこのアントワンがガラスの温室に飛び込まされて言語障害

「指環」ではブリュンヒルデが妊娠中のジークリンデを庇う
「パルプ」ではファビアンは「女はおなかがぽっこり出ていたほうがよい」と言う。

「指環」ラインの乙女も、ノルンも、いずれも3人ワンセット。
「パルプ」では薬の売人も、変態も、いずれも3人ワンセット。

「指環」では天上界、地下界、地上で物語が展開。三層構造になっている。
「パルプ」では最初に殺される裏切り者が居るのは高層。変態たちがマーセルスを犯すのは地下。薬の売人は平屋に住んでいる。三層構造。

「指環」では主神ヴォータンは高い城に住む。ライン川の近く。
「パルプ」でマーセルスが電話に出るのは標高の高そうな場所。プールがそばにある。

「指環」では英雄はヴァルハラ城に入る。北欧神話によれば、そこでは英雄は豚肉を食べる。
「パルプ」でジュールズは豚肉を食べることを拒否し、マーセルスの手下であることをやめる。

「指環」ではアルベリッヒはラインにもぐって黄金を入手する
「パルプ」ではミアとヴィンセントが踊るとき。水にもぐる、泳ぐ動作をする

「指環」ではライン川の流れが物語の中心
「パルプ」ではトイレの水の流れが物語の中心

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ニーベルングの指環は、地底人がラインの底にもぐるシーンから始まりますが、このイケてる踊りは、黄金輝くライン川にもぐる動作から来ているものなのです。鼻をつまんで水に潜る動きもします。

「オーラルセックス」の言い換えと「潜水ダンス」の言い換えは、素晴らしい着想です。天才的といっても良いと思います。トラボルタもさすがにダンスが上手で見ごたえありますし。

というわけでダンスシーンお楽しみください。若い方に言っておきますと、向かって右のおじさんはトラボルタという俳優で、ダンスの上手な俳優として一世を風靡しました。ここでは女性を立てるべく控えめに踊っています。しかし上手いです。

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スーツケースを回収したジュールズは、「ちょっと小便してくる」と言って、カバンを持ったままトイレに行きます。それが時系列上彼を見る最後です。もしかすると彼は、(ラインの流れに黄金を戻すように)トイレの水に中身を戻しに行ったのかもしれません。そんなことをしたらマーセルスに殺されそうですけど。
でもこの作品はトイレ(ライン川)にゆくとイベントが発生することになっていますから、なにも起こらなかったとは考えにくいですね。ここは想像を膨らませてよいシーンだと思います。

「闇の奥」との共通点

「ニーベルングの指環」を下敷きに「闇の奥」(1899年)を書いた小説家コンラッドは、「パルプ・フィクション」のような時系列ぐちゃぐちゃ作品の本家本元のような存在です。以下共通点を列挙します。

「闇の奥」はコンラッドの作品
「パルプ」で登場するジミーの叔父は「コンラッド」

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「闇の奥」は時系列が入り組んだ構成
「パルプ」も時系列が入り組んだ構成

「闇の奥」は物語の起点はベルギー
「パルプ」でもオランダのアムステルダムが話題になる。ハニーバニーの本名はヨランダ。

「闇の奥」の主役は「クルツ」
「パルプ」の主役は「ブッチ・クーリッジ」。そして子供のころ尋ねてくる軍人はクーンツ大尉

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「闇の奥」ではアフリカのコンゴ河の流れが物語の中心
「パルプ」ではトイレの水の流れが物語の中心

「地獄の黙示録」との共通点

コッポラは「闇の奥」を下敷きに「地獄の黙示録」(1979年)の脚本を作りました。「闇の奥」の背景に「ニーベルングの指環」があることも理解していました。だから映画の中で「ワルキューレの騎行」を使ったのです。

「地獄」の主役はカーツ大佐
「パルプ」の主役は「ブッチ・クーリッジ」、子供のころ尋ねてくる軍人はクーンツ大尉

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「地獄」の舞台はベトナム戦争
「パルプ」の主役の父はベトナム戦争で戦病死

「地獄」では声をオープンリールデッキで再生
「パルプ」ではミアが音楽をオープンリールデッキで再生(ただしその前に、ものすごく時間を巻き戻して)

「地獄」ではバニーガールが踊り、観客が熱狂
「パルプ」ではミアとビンセントが踊り、観客が評価

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「地獄」では時間の止まったような「フレンチプランテーション」に迷い込む。
「パルプ」でも時間の止まった「ジャック ラビット スリムス」に行く

「地獄」はドラッグと牛肉の物語
「パルプ」はドラッグと牛肉とハンバーガーの物語

「地獄」はジャングルの奥地で竹かごに囚われる
「パルプ」は地下の部屋で牢に囚われる

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「地獄」ではカーツ大佐がマイクで放送
「パルプ」ではミアがマイクでヴィンセントに指示

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「地獄」ではカンボジアの川が物語の中心
「パルプ」ではトイレの水の流れが物語の中心

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そして実は、「ウルフ」役のハーヴェイ・カルテルは、「地獄の黙示録」の主役のはずだったのです。クランクイン後、監督のコッポラが気に入らなくなって役を降ろされた人です。

その人が掃除役で出てくるというのは、なかなか気の利いた配役です。

東京物語?

「指環」にも「闇の奥」にも「地獄の黙示録」にも、特に時計は出てきません。映画で時計が話題になるとしたら、かならず東京物語が意識されています。小津安二郎の名作です。本作品もおそらく意識していますが、なにぶんにも証拠が少ないです。


「東京物語」では時計をゆずり受けるのは血のつながっていない次男の嫁です
「パルプ」ではブッチも、ブッチの父親も、本当の子供なのかどうか実は年齢的に微妙なラインです。血がつながっていない可能性があります。

「東京物語」では死んだ義母の時計を譲り受けることによって、時間の流れが再開します。時間を止めていた嫁が、未来志向に変化するのです。
「パルプ」では曾おじいさんからの時計を守ることで、時間の流れを確保します。時間の流れの確保とは、ここでは未来志向の前向きな気持ちということです。

ここでタランティーノは、「指環作品群」と「東京物語」、西洋の世界と東洋の世界をドッキングしようとしているのだろうと思いますが、そこまで言い切るにはやや証拠不十分ですね。

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「東京物語」と「ニーベルングの指環」では作品が違いすぎてドッキングが難しいのです。なにより「時計(時間)」と「ライン川の流れ(これも時間の流れ)の底の黄金」の結びつきが希薄すぎます。これがこの映画最大の弱点と言えそうです。

ただし、(成功しているかどうか判断は保留しますが)タランティーノ監督は一応、両者を結びつけるセリフを用意しています。

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「お父さんは金時計を5年間を尻の穴に隠し続けた。お父さんは赤痢で死んだ」

赤痢の症状は下痢です。

以上で解説を終わります。

追記

タランティーノと同じくイタリア系のアメリカ人の作った映画の名作が「ゴッドファーザー」シリーズです。おそらく「映画史上最高傑作」はゴッドファーザーになり、「パルプ・フィクション」が次点になると思います。


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