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時系列倒置の研究 7・「こころ」【夏目漱石】

歴史

解説はこちらです。

本作は3部に分かれていまして

第一部と第三部が対になっています。


反復構成と私は呼んでいまして、太宰治の「走れメロス」「斜陽」、三島由紀夫の「暁の寺」も同じ反復構成です。

私がこれまで調べた結果では、物語はふつうの三幕的構成か、対称構成か、反復構成になります。もっとも調査例が少なすぎてまだ仮説の域を出ていません。
小説の構造については、研究している人がほとんどおらず、かろうじてハリウッド映画方式の三幕構成のマニュアル本がいつくか出版されているだけです。文豪たちが実際にどういう組み立て方をしているのか、日本の作家で最も有名な夏目漱石でさえほとんど語られることはありません。サッカーに例えれば、個々の選手の特徴については膨大に語られるのに、フォーメーションについて語られることが皆無な状況です。ちょっと無理がある。

夏目漱石は、「坊ちゃん」「草枕」の時代は典型的な対称構造でして、その対称が完成する「三四郎」以降徐々に構成を変えてゆきます。その後「行人」ではっきりとした反復構成に到達し、反復構成が完成したのが「こころ」です。次回作の道草では反復構成と対称構成を合体させようとしていまして、「明暗」も(未完ですので確定的なことは言えませんが)反復構成の中に対称を入れこもうとしています。

ところが本作は反復後半の「下・先生と遺書」が最過去を語る文章なのです。
時系列で整理するとこうなります。

「下・先生と遺書」は量が多いですから、全体の1/2以上が時系列倒置している格好です。ただし、「下・先生と遺書」26節のうち、冒頭2節とのラスト2節は、今現在の先生の心境を語っていますが、それでも52節分が時間倒置している。

つまりこころは、反復構成で、かつ時系列倒置です。これはシンプルに見えて非常にぶっ飛んだ作り方です。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」は反復構成をグチャグチャにして時系列倒置にしていますが、

反復構成そのままで時系列倒置というのは、非常にアグレッシブです。「走れメロス」も「斜陽」も歴史系でして、反復構成は歴史物語に傾きがちだと思うのですが、本作も内容は歴史物語です。そして、時系列倒置という技法は今まで見てきた例では、元来の物語の時間の流れが強いときに、強く確実に効果を発揮します。時間の流れが強い物語といえば、筆頭は歴史ですね。でもって本作は、歴史叙述に適応的な反復構成で、後半まるごと倒置させています。
「パルプ・フィクション」のように物語の主張を緩和して作品をおしゃれにするための倒置や、「イワン・イリイチの死」のように最低限の強調のための倒置とは少々違います。歴史の必然のようなものを強調するために反復構成にして、さらに強調するために時系列倒置させているわけでして、強気な、ゴリゴリ力任せに押し切るような作り方です。このブレーキぶっ飛んだ感じが漱石最大の魅力だろうと思います。

ラストから引用します。

「私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残して行ったものを読みました。西南戦争の時敵に旗を奪られて以来、申し訳のために死のう死のうと思って、つい今日まで生きていたという意味の句を見た時、私は思わず指を折って、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえて来た年月を勘定して見ました。西南戦争は明治十年ですから、明治四十五年までには三十五年の距離があります。乃木さんはこの三十五年の間死のう死のうと思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。私はそういう人に取って、生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいか、どっちが苦しいだろうと考えました。
それから二、三日して、私はとうとう自殺する決心をしたのです」

先生は乃木の分身、Kは西郷の分身なのですが、明治維新をある程度は認めるにしても、西南戦争以降の日本の在り方は根本から否定する内容です。西郷のような哲学性、思想性、宗教性があまりにも不足していたのではないか。絶望的な状況ではないか。そして優れた作家の例にもれず、漱石もまた狂気の希望人間ですから、絶望の中でも一縷の希望を見つけてそこに突き進みます。それが「私」です。先生の弟子です。「先生」は乃木です。乃木の教え子の中で最も有名な人物は昭和天皇です。こころの「私」は昭和天皇です。

歴史のif

明治天皇の教育係は西郷でした。直接教えたのは山岡鉄舟ですが、仕切っていたのは西郷です。作中の「明治の精神」とは、一言でいえば「西郷の精神」です。ほかの時代の為政者と西郷との最大の違いはなにか。愛情の深さです。西郷はその愛情で、時には鉄拳制裁をまじえながらも明治天皇を育て上げた。だから明治天皇は晩年になっても西郷を慕い続けた。昭和天皇の教育係の乃木が遺書に西南戦争という言葉を書いた以上、昭和天皇は成長したのち、西郷の精神に到達できるのではないか、と漱石は考えた。そこに希望を見出した。

以下歴史のifになりますが、昭和天皇の教育係は、乃木ではなく西郷系の大山巌のほうがよかったのではないか、という仮説もなりたちます。もしも大山が教えたなら、真面目さは若干減少しますが、そして勤勉さは大幅に減少しますが、権謀術数への理解は大幅に増加したのでしょう。そうなると昭和初期の各国陰謀の渦のような状況でのかじ取りは、より上手にできたと思います。マクロな視点が身に付きますから、間違えにくくなる。昭和天皇はミクロな真面目さで、致命的な間違いをしています。張作霖爆殺事件により、答弁があやふやになる田中義一首相を叱責、田中は悶死しています。張作霖爆殺は陰謀的な事件ですが、それが陰謀であると昭和天皇は認識できなかった。できずに、私見では三つの意味で最悪の結果を結果を招きます。

一つ目は在郷軍人会です。田中義一が組織しました。大きな票田です。今日からはわかりずらいですが、「戦友」というのはどうも人間関係の中でも最強の部類に属するようで、世論形成にも大きな力を持っていました。その組織の元締めを昭和天皇は自ら手放してしまった。

二つ目は陸軍長州閥の終焉です。派閥政治が良いとは言いませんし、どうせそのうち終わると決まっているものですが、あまりにも急激すぎる変動によって陸軍はまとまりのない組織になり、やがて226を起して、自滅の道をたどります。海軍もそうですが、東北系が要所要所で出てくるのが特徴的です。昭和の日本は、明治維新体制から次の体制への移行に失敗した国家だと位置づけられると思います。

三つめはそのことにより、在野の浪人たちと政府首脳部の連結が薄くなったことです。「草枕」「門」「彼岸過迄」で出現する大陸浪人的な人物の元締めが玄洋社でした。

玄洋社のボスの頭山満は何度か文部大臣候補にあがったような人物でして、伊藤ともやりとりしています。明治時代は在野の活動浪人と軍が協調できていた。ところが昭和の永田、板垣、石原のような新進軍官僚たちは、大陸浪人との結びつきがどうも薄弱なようなのです。戦中の玄洋社系の人物といえば広田弘毅ですが、彼ははっきり軍とは仲が良くなかったようですね。長州閥を手放したことで、軍とインテリジェンス機関との連結も絶たれた。外部からの権謀術数に非常にもろい国家になった。これは乃木先生の弊害でしょうね。感情として宇垣とか石原とか、才能はあるが危険さもある人材を忌み嫌い、真面目なしかし才能のない東條を偏重してしまったのも、大きなマイナスですね。本当は昭和天皇自身の資質は、霊力のようなものがある、西郷よりのものだったとも思うのですが、乃木の教育で固められてしまった。西郷系の大山だったら、そうはならなかったでしょう。

もっとも、戦局どん詰まりになってくるとまた別です。各方面で敗北する。ソヴィエトも参戦してくる。そんなとき西郷系ですと、リスクがあります。御前会議を開くと、昭和天皇が笑い出す可能性があります。「ワッハッハ、みんな死ね」。
たまりませんねそれは。西郷はスケール大きすぎて、生死観も普通の人間と違いすぎていますので、私ら凡人にはついてゆけません。笑うのは鳥羽伏見バージョンの西郷ですが、笑わなかったとしたらならそれは西南戦争バージョンの西郷で、なにも言わずに皆と生死を共にする。全滅するまで無言。それもたまりません。
それに敗戦後の巡行などはまさに乃木的行為でして、やっぱり乃木が先生でよかったのではないかとも思うわけで、これは答えのない問いですね。

以上薄弱な知識しか持たない私の妄想です。なんだか倒置とも「こころ」とも離れた内容になりましたが、せっかくなので掲載しておきます。次回は芥川「藪の中」の予定です。

と思いましたが変更してドストエフスキー「地下室の手記」にしました。




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