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日本昔話

坊や良い子だ、ここから先は、大人の時間だからねんねしな。

瘤取り爺さん

正直爺さんがある日鬼の宴会に遭遇します。一緒に宴会を楽しんでいると、鬼が喜んで顔のコブを取ってくれました。

それを見た隣の意地悪爺さんが鬼の宴会に行くと、なぜかコブをひっつけられてしまいました。

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瘤取り爺さん解説

一見意味不明ですが、これは異界との交易の話です。「異人交易はスクエアにはなる。しかしタイムラグが発生する」という意味です。だいたい昔話で山姥とか鬼とか出てきたら、脊髄反射で「異人交易だ」と即断してもらって構いません。

目星になる岩とか木とかに物を置いておく→
しばらくしたら物がなくなっている→
さらにしばらくしたら異人からの物がそこに置いてある、
という感じだったのではないか。

って言いながら私も交易の現場見た事ありませんが、辺鄙なところに注連縄張っている巨石があったり、山中に周囲に無関係に鳥居が立ってたりすると、だいたいそういう交易の場所だったと解釈してよいと思っています。

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物々交換経済なるものが本当に有ったのか無かったのか、貨幣論界隈で話題になっていますが、タイムラグつきの交換経済はあったろうと思います。「瘤取り爺さん」の話が残っていますから。

一寸法師

お爺さんとお婆さんから生まれた子供が、高齢出産のためか大変小さな体で、しかもいつまでたっても大きくなりませんので、一寸法師と呼ばれていました。しかし小さな体に大きな望み、武士にならんと都に上って、立派なお屋敷で奉公します。お屋敷の娘が鬼にさらわれそうになると、勇敢にも鬼のお腹に入って懲らしめます。

鬼は敗走するとき、打出の小槌忘れてゆきます。小槌を振ると、体も大きくなりますし、金銀財宝も出て来ます。一寸法師は屋敷の娘を嫁にもらって幸せに暮らしました。

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一寸法師解説

こちらも鬼が出てきますから、異人との交易の話ですね。打出の小槌などというものは実在しません。実在するのかもしれませんが私は見たことがありません。私が実在を知っているのは、外部世界との交易ルートと、それを確保したことによる利権です。貿易利権といってもよいです。それを打出の小槌と表現しています。利権ですから永続的に富を算出します。瘤程度を取っただのつけられただのやってるタルい交易とは次元が違います。

しかし貿易を始めるには、まずは相手の懐に飛び込まなければなりません。胃の中にもぐりこむような勇気が必要です。そしてそんなことが出来るのは、失うもののない小身の者、一般世間で居心地の悪い異形の人物です。安逸な日常に溺れることが出来る人間は、こういうハイリスクな冒険はできないのです。そしてハイリスクな冒険をしたもののうちごく少数は、異人との交易のルートや権益を確保できます。アフリカの独裁者に面会に行く商社マンなどは、一寸法師が鬼の胃袋に飛び込む気持ちがわかるのではないでしょうか。

桃太郎

お婆さんが川で洗濯をしていると、上流から大きな桃がドンブラコッコと流れてきます。家に持って帰って割ってみると、中から元気な男の子が生まれてきます。桃太郎と名づけます。桃太郎は大きくなると、犬と猿と雉を手下にして鬼が島に侵攻、宝物を略奪して家に持ち帰ります。

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桃太郎解説

異界との交易もだんだん殺伐としてまいります。ほぼ完全に征服王朝です。だいたい中国の史書だろうと、イエス=キリストだろうと、いや実は世界中でだいたいそうなのですが、成り上がって王様になるような人は、人間の子供ではないとされることが多いのです。

チンギスハンは狼の一族ですが、同様に桃太郎は桃の一族です。中央アジアの都市国家の住民は、モンゴル騎馬軍団に蹂躙されて男子全員虐殺、女性全員奴隷化の憂き目にあいます。鬼が島の鬼も同じような憂き目にあいます。かわいそうです。

前述の話を思い出しましょう。一寸法師は老婆から生まれたとはいえ、とにかく爺さん婆さんの息子でしたね。しかし桃太郎は爺さん婆さんと全く血の繋がりがありません。そして一寸法師はおのれが成り上がるだけですが、桃太郎は家に大量の金銀財宝を持ち帰ります。サクセスのケタが違うのです。ここから結論が導き出されます。

異界交易で最大級の成功(この場合は成功しすぎて、異界征服、異界略奪になっていますが)を収めるためには、行為主体が異界からの来訪者のほうがよいのです。異人に異人を征伐させる。川の上流に住んでいた桃族と、島に住む鬼族との関係は詳らかにされていませんが、この物語は結果だけ見れば若者の英雄譚ではなく、老夫婦が異界の一族を戦士として育成して出撃させて、巨万の富を築く物語です。話の主役は老夫婦なのです。アングロサクソンの如く分割統治で巨万の利益を吸い取る存在です。そんな老夫婦の成功の始まりは、異界からの接触者を積極的に受け入れた事です。

ここまで振り返りましょう。
宴会交易→襲撃・返り討ち交易→征服交易と、徐々に異人交易の規模が拡大していっていますね。しかし交易の基本はおそらく旅人です。次の話は旅人ものです。

浦島太郎

浦島太郎は海岸で子供たちにいじめられている亀を助けます。亀はお礼に竜宮城につれていってくれます。竜宮城では乙姫様と楽しい日々を過ごします。でも故郷が懐かしくなった浦島は、引き止める手を振りほどいて竜宮城を出立します。帰りがけに乙姫様は玉手箱を渡します。この箱は決して開かないようにと。

さて故郷に戻った浦島です。人が居ません。なんだか廃墟のようになっています。竜宮城では時間の進み方が早く、数百年の年月が経過していたのです。たまらず禁止されていた玉手箱を開ける浦島、すると箱からは煙が立ち上り、浦島は急速に老けて老人になり死んでしまいます。玉手箱は時間の差を封じ込める装置だったのです

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浦島太郎解説

タイムラグ交易はスクエアになりますし、常時的交易ルートを確保できれば儲かります。暴力的な異人征服ならば一気に大儲けできますね。いろんな交易ありますが、常識的に考えたなら交易の原初形態は旅人です。定住的ライフタイルと移住的ライフスタイルの分化による、「旅人」なる存在の発生です。そもそもみんなが移住スタイルなら、交易のメリットなんぞあらしまへんがな。

ライオンや狼たちの如く、群れもあれば、群れに入れてもらえないハグレものも居る、両者ともにゆっくり移住している、人類も昔はそんな状態だったはずです。ホモサピエンスは上位捕食者ですから似ているはずです。しかし群れていた連中がだんだん農耕覚えて定住してゆく。そんな環境でハグレものが定住の群れと群れの間を行ったり来たりするのが、おそらく交易の始まりです。

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昔の日本もそういうハグレもの大事にしました。旅人には自分の奥さん一晩貸してあげるのが風習になっていました。利益を運んでくるからです。それが派手な話になると浦島太郎になります。浦島も一夜どころか、かなりの長期間いい思いをしました。乙姫様に亭主かいたかどうかまでは不明ですが。

本題に戻って、浦島太郎の主題は時間です。竜宮城では時間の経過が早いのです。経済でよく「市中金利」とか「長期金利」とか言いますが、ここで言う金利とは時間の流れの早さのことです。たとえばあなたが高利貸しからお金を借りたとします。利子がガンガン膨れてきます。返せないときっつい追い込みが待っています。脱出するためには猛スピードで働くしかありません。つまり高金利は猛スピードを生むのです。すなわち、金利の高さとは時間の速さです。

日本は長いことデフレです。デフレとは超低金利です。超低金利とはつまり、時間が止まっているのです。1995年くらいの東京の町並みをYoutubeでご覧ください。今とほとんど変わっていませんから。この20年日本は時間が止まっていた、あるいは非常に遅く流れていたのです。

ところで竜宮城はゴージャスです。鯛や平目が舞い踊る、と言い伝えられています。昔懐かしジュリアナ東京のような環境なのです。つまり竜宮は好景気なのですね。インフレ環境、高金利、だから時間の流れが速いのです。浦島太郎の話のポイントはここです。昔の人も経済の本質を的確に掴んでいます。掴んだ上でわかりやすいお話に仕上げているのだからたいした力量です。しかし同じ話題をより一層クリアに表現している昔話があるから驚きます。次の話がそうです。

花咲か爺さん

正直爺さんがポチを連れています。ポチは裏の畑を「ここ掘れワンワン」と言いながら掘ります。すると大判小判がざくざく出土、正直爺さんはお金持ちになります。犬が人語を話す奇怪さについては疑問に思ってはならないようです。
それを見ていた意地悪爺さん、ポチをつれて二匹目の泥鰌を狙います。裏の畑で「ここ掘れワンワン」、しかし、出土したのは汚い虫でした。

激怒した意地悪爺さんはポチを殺害します。(途中省略して)ポチの灰を正直爺さんが桜の枯れ木に撒くと、桜は満開の花を咲かせました。

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花咲か爺さん解説

ようやく異人交易と関係なくなりました。おそらく十分近代化した時代にできた話だと思います。異人はいなくなったが、経済活動はしている。さて経済の本質とはなんだろうか。正直に活動すれば金持ちになれます。意地悪に活動すれば悪い結果しか生み出しません。魂の状態を金銭換算で反映させてしまう存在ポチ。そんなポチの正体はなんでしょうか、それは灰になったときに明らかになります。

枯れた桜が花を咲かせる、桜が時間を超越するのです。つまりポチの正体は時間です。時間神と言ってもよいです。

最初お金を運んでくれる神のような存在だったポチが、あとあとになって時間神とわかる、というお話です。

昔の人もたいしたものですね。花咲か爺さんの作者を現代社会に連れてくると、大喜びで金利の計算しそうですね。

これで本稿の目的は終了です。言いたかったこと全部終わってしまいました。しかし少々量的にさびしいので、経済系以外の解説も加えます。

カチカチ山

老婆をだまして狸汁ならぬ婆汁をつくり、あろうことかその汁を夫に飲ませる悪狸。顛末を聞いたウサギは義侠心を発して狸に報復をしかけます。

まず狸の背負った柴に、後ろから火打石で火をつけます。タヌキ「なんでカチカチいっているの?」ウサギ「ここはカチカチ山だから」。かなりの詭弁ですが作戦は成功、タヌキは火傷を負います。

さらに火傷の薬といって辛子味噌を渡します。まんまと騙されたタヌキは火傷に自分で味噌塗って、自分で悪化させて悶絶します。

さらにタヌキ回復後、ウサギは釣りに誘います。口八町でだまして泥船に乗り込ませます。当然沈没し、当然溺死するタヌキでありました。

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カチカチ山解説

この話は出雲神話が下敷きです。ウサギ=因幡の白兎です。皮をはがれて苦しみます。塩水で洗えと嘘の情報を教えられ、まんまと騙されてさらに一層苦しみます。しかし最終的にオオクニヌシに助けられます。しかしこのカチカチ山では被害者のウサギが加害者になっています。つまりオオクニサイドのキャラが被害者から加害者へと、逆の役割になっているのです。

火攻め=オオクニヌシがスサノオに火攻めにあいます。カチカチ山ではウサギ=オオクニヌシがタヌキを火責めします。ここでも被害者から加害者へと、逆になっています。

泥船=コトシロヌシ(オオクニヌシの子)が天孫(アマテラスの子孫)に国譲りを迫られ、舟を傾け天ノ逆手(逆向きのかしわで)を打って隠れます(水没するのです)。カチカチ山ではウサギ=オオクニヌシがタヌキを水没させます。またも被害者と加害者逆になっています。

まとめます。

出雲神話では被害者であったウサギ=オオクニヌシは、カチカチ山では加害者になっている話です。ひっくり返っているのです。もっとも話の真意はいまいち不明です。

タヌキ=天孫族=天皇家という意味なのでしょうか?しかし昔の天皇が婆汁をつくって夫に飲ませたという話は聞いたことがありません。私にはこれ以上の読み解きは無理のようです。しかし昔の人も話を裏返すことができたことだけはわかります。文学力が高い人が居たのですね。現代でしたら二次創作マニアになっています。

安珍清姫

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奥州白川(福島県白河市)から来た美少年の僧安珍に、清姫という女性が一目惚れして追っかけます。

安珍は出家の身の上ですから女を相手にできません。ただひたすらに逃げ回ります。逃げまくられてくやしさから怨念がこもった清姫は、蛇になって川を渡って追いかけます。

逃げた安珍は道成寺の梵鐘の中に隠れますが、蛇体となった清姫は鐘に七重に巻きついて、紅蓮の炎を吹きつけます。

清姫はそのまま入水しますが、鐘をあけてみると蒸し焼きの安珍は黒焦げ死体になっていました。

安珍清姫解説

この話は大仏建立を下敷きにしています。道成寺が舞台というとこがポイントです。梅原孟「海女と天皇」にあるように、道成寺は藤原宮子の願いにより創設されたお寺です。藤原宮子は聖武天皇の母です。そして聖武天皇が奈良の大仏を建立しました。つまり安珍清姫はなんらかのかたちで奈良の大仏と関係のある話なのです。

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仏教の仏は南から伝来していますが
安珍は北の福島県からから来た僧です。

大仏は行基はじめ大量の人が全国を駆けずり回って資材あつめました
清姫は安珍追いかけて這いずり回ります

行基は川に橋を架けました
清姫は蛇になって川を自力で泳ぎ渡ります

大仏は銅を流し込んで作りましたが、
安珍は銅の外から加熱されて加工されました。

結果金銅の輝く奈良の大仏が出来たのですが、
安珍は黒焦げの僧になりました。

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安珍清姫の話の作者は、道成寺が藤原宮子の希望で作られたこと、宮子の子供が聖武天皇であること、聖武天皇が大仏を建立したこと、などをわかった上で、この話を創作しています。しかし私の力では話の意味がわかりません。

大仏を建立したこと自体への批判なのか?
藤原宮子批判なのか?
あるいは藤原氏批判なのか?
あるいは別の意味があるのか?わかりません。

はっきりしているのは、日本人は昔から二次創作が好きで、今日の二次創作の氾濫は伝統的習慣だ、ということだけです。

以上、よくわからないままなのですがネタが切れたのでこれで終わりです。


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