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「それから」あらすじ解説【夏目漱石】

愛する女性と一緒になるために、主人公の長井代助は全てを投げ捨てて突き進みます。熱い純愛物語です。もちろん裏があります。階級闘争物語です。最後に革命らしきものが勃発して世界は熱く燃え上がります。以上簡略にまとめると熱く燃える物語です。水で冷やしたくなるほど、それほどに。

あらすじ

お金持ちの息子、長井代助は父からお金をもらって遊んで暮らしています。

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同級生の平岡が地方から東京に帰ってきます。

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銀行をクビになって就職活動中です。大変です。実は代助は平岡の奥さん三千代が好きでした。

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平岡からは就職を、三千代からは借金を頼まれた代助は、お金は少し調達できますが、就職のほうは斡旋できません。そうこうするうちに平岡夫妻の仲の悪さに気づき、三千代への愛情も高まります。

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一方で長井代助は金持ちなので、父から縁談押し付けられます。父の恩人の高木という家の、娘の娘の佐川という若い女性です。美人です。うっかり歌舞伎にゆくとそのままズルズルお見合いに突入します。怖いです。飲み込まれそうになります。

しかしやっぱり好きなのは三千代だ。佐川とは結婚できない。自分の本心に気づいた代助ですが、金主の父に断るのは流石に怖いので、まず三千代に告白します。三千代はOKです。死んでもよいと言います。三千代は心臓弱くてどうせ長生きできなさそうです。捨て身です。凄みがあります。漱石の描く女性はパワーがありすぎ気が強すぎるケースが多いのですが、本作の三千代さんは良い塩梅に虚弱で気弱で、適切に泣いてくれます。だから決断の勇気が引き立ちます。

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三千代のOKもらった代助は勇気百倍、父の縁談断ります。父は怒ります。仕方がありません。

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しかし最大の問題は亭主の平岡です。手紙を出します。話すことがある。来てくれ。しかし来ません。書生の門野を派遣してみると、三千代さんが病気で寝込んでいて看病していたそうです。
その後平岡は来ます。代助は全てを話します。平岡は怒りますが最終的に引き渡しを了承します。しかし最後に言います。「とにかくこれで絶交だ。三千代は今は病気中だから、治ったら差し向ける」。代助は激昂します。
「あつ。解った。三千代さんの死骸だけを僕に見せる積りなんだ。それはひどい。それは残酷だ」激昂してつかみかかります。「そんなことがあるものか。落ち着かなくちゃいけない」と平岡。劇的なシーンです。

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更に追い打ちが来ます。兄が代助宅に来ます。父からの使いです。平岡という人物(当時スキャンダル追求に熱心な新聞社勤務)から手紙が来た。これは事実か。代助が事実だと答えると、ならば長井家より絶交すると宣告されます。長井一族も色々ヤバいことやっていますから、平岡が怖いのです。もう収入の見込みはありません。代助は急遽職探しに外出します。暑い日でした。世界が燃えているようでした。電車に乗れば町中の赤い色が次々と頭の中に飛び込んできてグルグル回ります。「代助は自分の頭が焼き尽きるまで電車に乗って行こうと決心した。」(あらすじ終)

ニーベルングの指環

「それから」は「ニーベルングの指環作品群」に含まれます。

ただし、どうも原作(ドイツ語)も訳本(英語)も読んでいません。感触的にはアンチョコ本ざっと読んだだけのようです。内容的には「指環」を参照したとしか考えられないのですが、その対応は不完全、内容理解も不十分です。当時はDVDもありませんし。
しかし漱石は「坊っちゃん=ファウスト作品群」書きながら「ファウスト」を十分咀嚼し、「闇の奥」も読みましたから、カンが働いたのでしょう、「ファウスト」と「闇の奥」の間に「指環」があると理解できた、のだと思われます。

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冒頭で主人公代助は寝床に居ます。誰かが門前を駆けてゆく足音を聞きます。頭の中には下駄がぶら下がっています。足音が遠のくに従って、下駄が頭から抜け出して消えます。つまり代助には足がない。作中、自分の足が不自然に感じるシーンもあります。

長井代助は「指環」の「ファーフナー」に該当します。ファーフナーは最初巨人ですが、その後指環を手に入れて大蛇になります。ニョロニョロ長い大蛇だから長井。「山嵐」「うらなり」以下のベタっぷりです。ファーフナーにはファゾルトという兄も居ます。代助にも兄が居ます。整合しています。

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しかし問題は父です。昔は長井誠之進という名でしたが、明治になって実業界に入って長井得(とく)という名前に変えました。いかにも実業界で儲けそうです。ネーミングはまたまたベタです。当然ですが名字は長井です。ニョロニョロ長い。しかし「指環」で対応するのは蛇族ではなく、主神のヴォータンなんですね。ここのところ漱石ちょっと練り上げ不足です。

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ヴォータンはトネリコの木を入手して槍にして世界を支配しています。長井父は高木さんに世話になって維新に参加して利権掴んで大金持ちになります。ネーミングは相変わらずベタです。世話をした高木のひ孫が見合い相手の佐川嬢です。「指環」はライン川の物語です。ひたすらどこまでもベタなネーミングです。

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大蛇になる前、巨人だったファーフナーはヴァルハラ城を建設しました。長井父の邸宅も一部代助が作っています。代助はワルキューレを描き入れました。ワルキューレは複数の娘たちですが、その中のブリュンヒルデが「指環」のヒロインです。義侠心に富む女性です。「それから」では長井兄の嫁、梅子が該当します。義侠心に富みます。

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金持ちの長井一族を恨む平岡はニーベルング族のアルベリヒです。神々の時代を終わらせます。ラストで代助の脳内で燃え上がる世界は、「指環」ではヴァルハラ城の炎上で表現されます。神々の世界は黄昏れて一旦終わり、新しい世界が生まれます。

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しかしながら、「指環」では新しい世界の再生はセリフはなく、オーケストラのみで表現されますから、DVD持っていなかった夏目漱石には鑑賞不能です。

ですから「指環」では最後に「愛の救済の動機」が流れてポジティブな印象になりますが、「それから」はひたすら燃えるだけで全編が終わり、恐ろしくもネガティブになります。対応としては不完全です。そもそも作者が鑑賞してもいないのに「ニーベルングの指環作品群」。無理はあります。私も説明していて苦しいのですが時代を勘案してよしとします。

闇の奥

コンラッドの「闇の奥」も十分参照しています。

漱石が「闇の奥」を読んだ時には、

メモではあまり反応していないのですが、その後内容を十分咀嚼したものと思われます。

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代助は心臓の鼓動を気にします。三千代は心臓に病気があります。「闇の奥」は原題「Heart of Darkness」です。私は「闇の心臓」のほうが良い訳だと思います。

「闇の奥」主人公クルツは住居の前に人の頭を並べています。悪趣味です。長井代助は寝ている間に椿の花が落ちる音を聞きます。目が覚めると、子供の頭ほどの花が枕元にあります。「闇の奥」下敷きと考えなければ意味不明の描写です。

つまり小説「それから」は「指環」や「闇の奥」を知らないと、作品冒頭の足音、下駄、心臓、椿の花の時点で、かなり意味不明なのです。読めていた人はほとんど居なかったはずです。実際解説書見ても明らかに混乱しています。私自身は「ニーベルングの指環作品群」の中に入れられるから幸福ですが、一般の文学作品としては褒められたものではありません。予備知識なくても楽しめるのが名作文学です。知識がなければ理解できない作品はただのクイズです。いかに漱石であろうと、この点はきっちりと批判されるべきです。もっとも良い点もあります。社会問題を十分扱えています。

階級闘争

平岡はもともと豊かではありません。大学を卒業して三千代と結婚して地方に出張します。しかし大卒の知識をひけらかして支店長に嫌われます。支店長にうまく策略にはめられて首切りされます。可愛そうです。代助をもともと羨んでいます。その上苦労したので上層階級へのひがみが凄いです。新聞社に入社して復讐心に燃えます。代助と話していると幸徳秋水の話題を出します。警察が幸徳をピリピリにおそれている、という内容です。

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幸徳秋水は社会主義者です。「それから」の翌年に天皇にたいする反逆罪で起訴され、不自然に速やかに死刑判決、不自然に速やかに死刑執行されます。おそらく冤罪です。平岡は幸徳秋水と同じく資本家全盛の世を恨み、革命を起こそうとしています。だから幸徳の話題を出しますし、だから代助の三千代強奪にたいして渾身の仕返しをするのです。

というと平岡が悪人のようですが、主人公長井代助のなんにもしない生活態度を見ていると、腹が立つのも理解できます。全然働いていません。労働をバカにします。労働者もバカにします。空いた時間でひたすら趣味と容姿を追求します。自分のきれいな歯に誇りを持っていたりします。ヘビだから仕方がないのでしょうけど。

「ニーベルングの指環」は階級闘争を表現しています。漱石も十分理解できています。長井一族のような既得権益者は滅びるべきだと思っています。もっとも漱石は平岡は別に好きではありません。分断された社会の姿を問題視しているだけです。

本作の1年前に「坑夫」という作品を書きました。足尾銅山のルポ(ただし伝聞)です。その数年前に足尾問題で、田中正造の天皇直訴事件が起きています。その直訴状の作者が幸徳秋水です。そして本作翌年に幸徳秋水事件発生です。漱石は社会にたいする感度がいいですね。視点のバランスが良いから感度が良くなるのでしょう。資本家も労働者も両方視界に入っています。

構成

いつものように冒頭集約があります。代助の家に置いている書生の門野を使います。代助と同じく怠け者です。長井一族と門野一族パラレルにしています。いつものように門野一族の紹介は第一章に書かれています。それが後の章で長井一族の話として展開します。

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注目すべきは緑と黄色の対比です。漱石は前作「三四郎」で人間関係と金銭関係をパラレルで描きました。紙幣と文章もパラレルを予感させています。そして本作では「郵便-文学」と「銀行-実業」を明快にパラレルでとらえています。ドストエフスキーの「罪と罰」と同じ見識です。本作では友人で擬似的弟と呼ぶべき文学者寺尾との文学談義の描写を入れることによって、両者の対比を引き立てています。巧妙な小説技法です。

ただ「指環」の最重要の主題は通貨発行権なのですが、残念ながらそこには手が届いていません。「ニーベルングの指環作品群」の中でも「闇の奥」や「地獄の黙示録」などは通貨発行権への言及ありません。だから「それから」は作品群失格、ではないのですが、少々寂しいのも事実です。

全体構成はいつもどおりの鏡像構造です。しかしゆるい。「草枕」「三四郎」のようなガチガチ構成ではありません。

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代助は三千代から借金を依頼されますが(第4章)、友人の寺尾からも依頼されます。そちらは断ります。そのかわり調達した金を三千代に貸します(第8章)。やがて寺尾から翻訳の手伝い依頼が来ます(対称の第11章)。そちらは受けます。やがて寺尾にも少額金を渡しますが、それは父からの縁談を断った第15章です。第4章と対称の位置にあります。文学と金のパラレルをきれいにまとめています。

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非常に長い作品です。漱石の中では「明暗」「猫」につぐ長さです。本作のつぎに「虞美人草」が長いのですが、「虞美人草」も長すぎて対称ゆるくなっています。もっと長い「それから」は、当然もっと対称ゆるくなります。

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鏡像構造は折り返し地点で主題が明らかになります。

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第9章は父に呼ばれて縁談の相談です。長井一族の永続政策ですね。佐川=ライン河、佐川と婚約=ラインの黄金入手ですから、成功すればヴォータンの支配は永続します。しかし最終的に代助は拒否しますから、世界は炎上して滅びる、という設定です。

第10章は三千代が代助の家に来ます。三千代は到着時に体調が悪く、水を欲しがります。代助がモタモタして準備ができないので、三千代は鈴蘭をちらした鉢の水を勝手に飲みます。ちなみに鈴蘭つけた水は軽く毒素あります。

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この水を飲むことで、三千代は完全に代助サイドの人間になります。作品終末の世界を焼け尽くす炎を、作品中心の花を浸した水で暗示していますね。そもそも「指環」も、「ファウスト」も火と水の物語です。そういう詩的なツボは漱石は外しません。

鏡像構造はいつもの漱石ですが、本作では別の構成的工夫も入れ込んでいます。主題は前半はだいたい三千代からの借金依頼と資金調達、後半はだいたい父からの縁談の顛末です。色分けするとこうなります。

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より簡略化するとこうなります。

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平岡三千代系の話と、長井一族の話が交互に出てきます。これは本作執筆前に漱石が物語の方法論を思索したことを意味します。少し前に「夢十夜」や「永日小品」のような短編集を書き、また「三四郎」で坊っちゃん型の小説が一旦スタイルとして完成したことと関係あると思います。鏡像構造ワンパターンから新たな小説スタイルへ踏み出しています。こういう自己発展力は本当に凄いですね。

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そして本作が階級闘争ドラマである以上、交互構成の採用は最善です。平岡・三千代は貧乏、長井一族は金持ちだからです。この後長井一族はおそらく没落します。代助切り捨て策も実らず、作中触れられている日糖事件のように、平岡の恨みでスキャンダル書き立てられます。日糖事件では役員たちが逮捕されました。長井父も兄もおそらく逮捕です。長井財閥の炎上、崩壊です。しかしそこは直接描写せず、ラストの代助の脳内炎上で全てを表現しています。

ラスト

全編の結論となる、最終段の文章は凄いです。漱石の狂気をはらんだ天才性が遺憾なく発揮されています。比較的文章密度の薄い本作ですが、ラストだけは物凄い密度です。さすがは豪腕ブルファイターです。

炎による滅びを表現するのに、世界もなにも焼かずに、代助の頭の中だけを燃焼させます。燃焼温度としては下敷きの「ニーベルングの指環」のラストのヴァルハラ城炎上より上です。こういうところはリアリスト漱石の矜持ですね。文章力がないから誇張した派手なシーンが必要なのだ。詩的能力が高ければ通常生活の描写の中で森羅万象を表現できるはずだ。ワーグナーなにするものぞ。以下本文を転記します。文学好きでしたら3回以上の反復読みがノルマです。

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兄の去った後、代助はしばらく元のままじっと動かずにいた。門野が茶器を取り片付けに来た時、急に立ち上がって、「門野さん。僕は一寸職業を探して来る」と云うや否や、鳥打帽をかぶって、傘もささずに日盛りの表へ飛び出した。
 代助は暑い中を駆けないばかりに、急ぎ足に歩いた。日は代助の頭の上から真直に射下ろした。乾いたほこりが、火の粉の様に彼の素足を包んだ。彼はじりじりとこげる心持がした。
「こげるこげる」と歩きながら口の内で云った。
 飯田橋へ来て電車に乗った。電車は真直に走り出した。代助は車のなかで、「ああ動く。世の中が動く」と傍の人に聞える様に云った。彼の頭は電車の速力を以て回転し出した。回転するに従って火の様にほてって来た。これで半日乗り続けたら焼き尽す事が出来るだろうと思った。
 たちまち赤い郵便筒が眼に付いた。するとその赤い色がたちまち代助の頭の中に飛び込んで、くるくると回転し始めた。傘屋の看板に、赤い蝙蝠傘を四つ重ねて高く釣るしてあった。傘の色が、又代助の頭に飛び込んで、くるくると渦を捲いた。四つ角に、大きい真赤な風船玉を売ってるものがあった。電車が急に角を曲るとき、風船玉は追かけて来て、代助の頭に飛び付いた。小包郵便を載せた赤い車がはっと電車とすれ違うとき、又代助の頭の中に吸い込まれた。タバコ屋の暖簾が赤かった。売出しの旗も赤かった。電柱が赤かった。赤ペンキの看板がそれからそれへと続いた。しまいには世の中が真赤になった。そうして、代助の頭を中心としてくるりくるりとほのおの息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗って行こうと決心した。(それから・終)

志賀直哉「暗夜行路」への影響

主人公が大蛇の一族という設定は、志賀直哉の「暗夜行路」に引き継がれます。志賀は「それから」にやや批判的な態度で書いています。発展的継承というやつです。漱石に私淑していた志賀らしい態度です。

もっとも、続く「門」「彼岸過迄」「行人」あたりも「暗夜行路」と相似性あります。ですから本格的な比較検討はそれらの読解が終了後とします。

その後「行人」まで読解できましたので、まとめました。






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