ネオ・ファウスト
手塚の「ネオ・ファウスト」読んでみた。最後の最後に通貨発行問題扱っているかどうか気になったからである。遺作なのは知っていた。
手塚は若い頃から「ファウスト」を繰り返し読み込んでいた。でも通貨発行問題わかっている感じがない。ひとつには「ファウスト」ともともと近い時間観だから、かえってわかりづらかった、というのはあるかもしれない。
「ファウスト」は以下のように論理組み立てる
1、ありもしない地下の埋蔵金を担保に紙幣を発行する
2、反乱軍が暴れだす。鎮圧する。すると反乱軍の帷幕にある大量の金銀財宝ほ確保できる。
3、つまり、通貨発行は事後的に金銀財宝を確保できる。
4、つまり、時間の前後が入れ替わっている。時間がループしている。
5、紙幣を発行する世の中になった以上、ループ時間を採択するしかない
ところが手塚は、もともとループ時間なのである。火の鳥・異形編をご覧いただきたい。「ネオ・ファウスト」でも時間ループを実にうまく描いている。感服する。
でも、ゲーテ「ファウスト」で言えば第一部相当のところで作品は中絶した。第二部から通貨発行問題扱い出す。手塚がどう考えていたのかはわからずじまいだが、それは今はいい。
手塚が仕上げた最後のページが、
である。次の204ページからは下書きになり
206ページからはセリフだけになる。
そして終わる。
死病との戦いの中でもペンを握り続けた、この古今未曾有の仕事バカを、編集者も出版社も大好きで、尊敬の念を持って彼がしるしたところまでのすべてを掲載している。
もしも作品が完成し、もしもその中に通貨発行問題を十分に描けていたなら、その後の日本経済の30年の停滞はなかっただろう。あるいは完成しても十分に扱えなかったかもしれない。だがともかくも彼は限界まで頑張った。その後の責任は我々自身にある。
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