見出し画像

「インセプション」あらすじ解説【クリストファー・ノーラン】

ツァラトゥストラに宣告されたとき、あなたは本当に死んでしまったのでしょう、多分、永遠に。でも私はあなたのことが忘れられず、あなたとの日々を思い出しながら生きてゆくのです、多分、永遠に。私が心から愛した、天地創造の神よ。


あらすじ

相手の夢の中に入り込んで心の中の秘密情報を探る睡眠系産業スパイ、コブ。

潜り込んだ夢の中に、死んだ自分の妻が出現してきては邪魔をします。仕事になりません。悩ましいです。

でもコブの腕を見込んだ日本人企業経営者が近づいてきて、魅力的な提案をしてくれます。

競合相手の跡取り息子の頭の中に、会社を解体する考えを植え付けてくれ。考えを盗むことが出来るんだから、植え付けることもできるだろう。

成功すれば、アメリカに帰国できるようにしてやる。

実はコブは、妻が自殺する前に「命の危険を感じてる」と弁護士に書き送ったせいで、妻殺しの容疑者になっています。だからアメリカに入国できない。しかしアメリカには子供を二人残してきており、彼らに会いたい。考えの植え付けは物凄く難しい案件ですが、チームを結成して取り組みます。

地下第一層、

地下第二層、

今回は難しい案件なので、なんと地下第三層まで潜ります。夢の中で夢を見て、その夢の中でまた夢を見るのです。

しかし跡取り息子に植え付け成功しそうになると、またもや死んだ妻が出現して邪魔します。ターゲットを殺すのです。

やむなくチームのアリアドネと一緒に「虚無」の領域、地下第四層に降下、夢の夢の夢の夢までゆきます。

そこで発見したターゲットを第三層までひっぱりあげて、

病室で亡き父と語り合いの時間を確保して、

めでたく考えの植え付けに成功しました。

コブはそのまま虚無の地下第四層で妻の亡霊と語り合います。

かつてコブと妻はこの階層で50年を過ごし、
虚無の中から巨大都市を作り上げ、
一緒に年老いました。

その後二人で現実に復旧したのですが、復旧しても妻はもう既に現実が現実と思えなくなっており、「さらに本当の現実に戻るために」死を選びます。

そんな妻ですが忘れられなくて、コブは虚無世界に毎日戻って来ていました。

でももう十分だ。泣く妻に別れを告げます。

その後コブは、虚無に落ちて年老いていた発注者の日本人経営者、サイトーを探し出して、一緒に現世に戻ります。

サイトーは目覚めと同時に電話をしてくれます。律儀です。この電話でコブはアメリカ入国が可能になりました。

家に帰ると、現実か夢かを判定するコマを回します。

回したところで気づきます。子どもたちが居ます。可愛いです。

コマに目もくれずに子供たちのところにゆくコブ。息子は言います。「見て、作ったの、がけの上のおうち」

机の上のコマは回り続け(夢の中という意味)、しかし倒れそう(倒れれば現実)でもあり、どちらともつかぬまま映像は終わります。

エンドロールではテーマ音楽が鳴りますが、

最後の最後、ラスト1分くらいで歌が入ってきます。作中夢からの目覚め用の音楽として使われていた、エディット・ピアフの歌です。エンドでは歌のラスト部分が使われます。

Non! Rien de rien
Non! Je ne regrette rien
Ni le bien, qu’on m’a fait
Ni le mal, tout ça m’est bien égal!

いや、何もない
後悔はしていない
彼らが私にした良いことも
悪いこともどうでもいい!

Non! Rien de rien
Non! Je ne regrette rien
Car ma vie, car mes joies
Aujourd’hui, ça commence avec toi!

いや、何もない
後悔はしていない
私の人生、私の喜び
今日、それはあなたから始まる!

よい歌詞ですね。しかし最後の「今日、それはあなたから始まる!」のフレーズから異音が混じり、音は引き延ばされ、やがて金管楽器とバスドラムの音で終わります。意味するところはバッドエンドです。

(あらすじ終わり)

エンドロールの前に戻ってみましょう。
息子はパパの居ない間に、崖のうえにおうちを作って遊んでいました。おうちは粘土製でしょうか?木製でしょうか?いいえ、この二人の子は、コブと妻の子、虚無世界の中で巨大都市を作り上げた夫婦の子なのです。夢世界のスーパーエリートなのです。つまり子供たちは父の不在時に、両親がしてきた夢世界の探求を自力ではじめており、夢の中で崖と家を作れるところまで成長しているのです。

「崖の上」というシチュエーションが気になります。作品の中で経営者サイトーが住む家も、

サイトーの競合相手の死にかけている経営者が入っている病院も、

いずれも崖の上にあります。両方たいそうな会社のボスです。つまり崖の上の家は権力の象徴です。妻と別れたコブは、妻よりはるかに手ごわい人物と今後対峙してゆくことになります。物凄く可愛い子供たちなのですが、神の子、でなければ悪魔の子です。

さらに少し時間を巻き戻します。アメリカの自宅に戻ったコブは、これが現実のものと信じられなくて、コマを回します。

コマはトーテム、つまり夢世界を旅する際に自分を見失わないようにアイデンティファイするアイテムでして、コマが回り続ければ(そんなことは現実にはありえませんから)夢の中ですし、コマが回転遅くなって倒れれば現実です。コマを夢か現実かの判定素材として使っています。

が、このコマは元来妻のものなのです。妻のトーテムなのです。それを拝借して、最後まで使っている。つまりコブは、本当の意味では妻から脱却できていません。本人脱却したつもりですが、依然として妻の影響下にあります。

「私の人生、私の喜び  今日、それはあなたから始まる!」
が最後まで歌い切らずに終わるエンディングになっていることに、ご納得いただけるかと思います。妻の亡霊と別れ、子どもたちと生活できる、でも子供たちも妻と同じく夢世界で覇者たらんとする存在で、コブ自身も妻のまだ妻の影響下にある。新しい人生など始まっていないのです。

二重対称構造

全体は変則的な対称構造になっています。

長さのバランスが不均等ですし、青の部分が余計ですね。
青の部分がないと

普通の対称構造です。もっともこれでも長さのバランスは不均等です。

最近読み解きしたシャッターアイランド

の構成

のようなのが典型的な対称構造になります。本作は変則的です。

コブは仕事を完結させるために妻の影響を減らす必要があったのですが、「妻の影響」と「サイトーから来た新しい仕事」、かなり明解に場所をわけていまして、

その上で二つの対称構造を合体しています。

二重対称構造とでも呼ぶべき構成で、非常に面白いかたちになっている。二つの主題は青の部分で重なり合います。見たことがない構成です。

クリストファー・ノーランという監督、実は映像感覚、編集力量、演技指導、どれも一流ではありません。しかし脚本というか、脚本の前段階の構想は超一流ですね。イギリスとアメリカ二重国籍なのですが、いかにもアングロサクソン的挑戦精神に満ち溢れています。そもそも物語とはなんぞや、という問いに切り込んでいっています。内容的にも優れています。現代の英米エスタブリッシュメントの問題意識が詰まっていると言っても過言ではないと思います。内容充実、しかし表現としては才能に恵まれてはいませんから、結果として非常に難解になります。だいたいエンドロールのラスト1分まで聞かなきゃいけない作品なんて、そんなにありません。

階層移動

あんまり褒めますと、階層移動の矛盾点を指摘されそうです。練り込み不十分だと。私も矛盾していると感じましたので、上への階層移動を全て書き出してみたのですが、

説明はしょって結論言いますと、矛盾はしていません。

1、人により階層からの抜けやすさは違う
2、下の階層ほど抜け出すのに大きなショックが必要
3、覚醒者に衝撃→その階層から離脱
4、昏睡者へ衝撃→その階層で覚醒

という原則の説明が言葉でされていないだけです。例えば雪の病院から抜け出すためになぜ病院を爆破する必要があるのか。

上の階層でエレベーター衝突しているから不要のようでもあります。

しかしエレベータ衝突には爆弾使って衝撃発生させていまして、さらに上の階層での自動車の自由落下の衝突より、大きな衝撃を与えている。つまり階層が下がるほど抜け出しが難しいとみるべきです。一番浅い階層からの抜け出しならば、マシーンでできます。

でもその下になると抜け出しが大掛かりになっています。第三階層は普段使っていない危険な領域ですから、エレベーター爆破だけではエネルギーが足りない恐れがある。だから病院を爆破する計画を立てておいた。二つのエネルギーを合算して確実に階層離脱を実行しようとしているのです。よく考えられています。

原罪

しかしすべてが自然に組み立てられているかというと、そうでもないです。
コブの妻は亭主を犯罪者に仕立て上げます。そこが経緯的に少々不自然です。

コブと妻は夢の階層を下に降りて行って、虚無階層(地下四階)で50年間を過ごします。その場所で天地創造を行い、巨大な街を作ります。

現実に戻らなきゃとコブは思いますが、妻は戻りたがりません。嫌がる妻を説得するために、コブはインセプション、つまり考えの移植、普通の言葉で言えば洗脳を施します。

「ここは現実世界ではない。現実に戻るためには死ななければならない」という洗脳です。

洗脳は成功しました。コブと妻は、鉄道レールに頭を置いて列車を待ちます。

虚無世界で一緒に死んで、めでたく現実世界に戻れるのですが、

妻の頭に植え込んだ考えはもう抜くことができません。現実世界でも妻は、ここは現実ではない、死んで現実に戻らなきゃという考えに取りつかれます。

しかし亭主は心中に合意しませんので、妻は弁護士に「命の危険を感じている」という手紙を出して自殺を敢行。ようするに亭主の逃げ場をなくして一緒に死んでほしいのです。恐い妻です。

コブは手紙の効果で有罪になりそうな状況でしたので国外に高跳び、よって帰国できず、子供たちに会えない身の上になりました。

これはキリスト教「原罪」の教義をなんとかドラマの中に組み入れようとする工夫です。

人間は神の命令に反してエデンの知恵の実を食べてしまったら。よって楽園を追放された。その罪、原罪をあがなうためにイエスは降臨した。イエスの自己犠牲によって原罪は贖われる。だからイエスを信じるもの、従う者は原状回復できる、つまりエデンの園に戻れる、元の幸福な状態に戻れる、それがキリスト教教義です。

本作は頑張って当てはめていますが、ドラマの設定としてはあんまり上手くいっていません。だって無理心中したいなら、チャチャっと亭主を殺せばいいんです。弁護士に手紙を送る計画性があるならば、亭主殺傷にも計画性を発揮すべきです。でも夢の中でさえ妻は激情的に刃物を振り回します。

多神教世界

「天地創造の神」との過去を引きずる主人公を救うのは、あるいは救おうとするのは、二人の多神教世界の住民です。一人はアリアドネ。

ギリシャ神話の人物です。非常に頭が良いです。コブに天地創造の魅力を教えられて、配下になります。ここらへん、ドストエフスキーの「ヘブライズムとヘレニズム」の世界ですね。

いま一人は強い力を持つ実業家、サイトーです。

日本人ですから無論多神教ですね。サイトーの与えた仕事を達成したことにより、コブは罪から解放されてアメリカへの入国が可能になります。サイトーの与えた仕事は、競合するエネルギー会社の独占を阻止するために、跡取り息子を会社解散の方向に向かわせるための洗脳を施す、というものです。

地下四階まで下りて行って跡取り息子ロバートに「自分の道をゆく」との考えを植え付けることに成功します。跡取り息子は多分これから風力発電に注力するのでしょう。

しかし一歩引いて考えると、コブとサイトーはよその会社の方針を変えようとしているのではないとわかります。コブ自身の心の中を変えようとしているのです。

本作は「二重対称構造」を持ちます。

構造から明らかなように、サイトーの仕事案件を達成するために、コブは妻との過去を清算する必要がありました。外面と内面、二つの世界の旅なのですが、その二つは元来同じものです。他人の心をのぞき込んでいる時、コブは同時に自分の心をのぞき込んでいます。他人の心を変えるならば、自分の心が変わるのです。そのことはアリアドネによって作中で象徴的に示されています。どこまで行っても自分を見るはめになっています。

具体的内容で見てみましょう。子供たちに会いたい、でもアメリカに帰国できない状況でくすぶっていたコブは、サイトーに一喝されます。

そして仕事を始めますが、ミッションの最後でサイトーは虚無に落ち込み、老人化しています。老人化しているサイトーを、コブは一喝します。

同じです。つまり、コブはサイトーに影響を与えられ、また影響を与えた。サイトーはコブを一喝しているように見えて、自分を一喝していたのです。

跡取り息子をコブは洗脳しました。コブが影響を与えました。

その影響はサイトーの場合と逆で、コブに帰ってくるのです。
跡取りにとっての父親は、コブにとっての妻です。コブが仕事を成功させたのは、妻の影響を(ある程度は)排除できたからですが、この仕事が回って来たから妻の影響を排除できた、とも言えます。

ではコブの子どもたちはどうなるでしょうか。彼らに睡眠に深く潜る危険性をコブは訴えるはずです。それで妻を失いましたから。祖父(妻の父)は現実に向き合えとコブに言っています。

孫にも言うでしょう。それで娘を失ったのですから。では父と祖父のアドヴァイスを孫たちは聞くでしょうか?聞きません。コブは跡取り息子に、父の影響から離脱するように洗脳を施したからです。その洗脳はコブにかえって来ています。だから子供たちを制御できなくなっている。既に子どもたちは妻と同じように天地創造への道を歩み始めています。コブは天地創造をした妻の影響から(ある程度)離脱した結果、妻と同じもの、子どもたちの天地創造から離脱できなくなっているのです。脱出不能のループにはまっているのです。恐ろしいですね。

独占企業としての西洋文明

サイトーが攻撃対象としたエネルギー独占企業とはなんでしょうか?西洋文明全体です。だから挑戦者として日本人が出てきます。アメリカは本作公開の2010年の時点では、世界のエネルギーを支配していました。2024年現在ウクライナ戦争とガザ戦争で、支配権は風前の灯ですが、ともかく当時はそうだった。西洋文明の内面はキリスト教です。神が死んだと言いながら、妻を忘れられないコブのごとく、神を忘れられずに生きています。

多神教の日本人がそこにくさびを打ち込みます。くさびはコブの内面深くに入り込み、妻との時間との別れに直結します。過去からの離脱です。でも、抜本的にはなにも解決していません。

母は死に、残ったのは父と子供二人、姉と弟です。イザナギとアマテラスとスサノオですね。スサノオはもう国づくりをはじめています。全知全能の神が地方神に格下げになっただけ、どのみち行動は一緒で、ただ規模が小さくなっただけです。ならば一神教のままでよかったのではないか。人間は永遠に神話的妄想をしつづける存在なのだから。

特定宗教の栄枯盛衰はあっても、人類の宗教的メンタリティーは不変です。そして多神教よりも、どうも一神教のほうがより深く心に食い入るもののようです。ガザ戦争はユダヤ教とイスラム教の戦いです。一神教同士の戦いです。救いようのない憎悪の連鎖を見るにつけ、ああ一神教はいかんなあ、と日本人である私は思います。絶対神という存在を意識することによって、絶対正義、絶対理想、絶対目標、絶対排除、とにかく絶対的に絶対な状況を作り出してしまいます。どん詰まりです。第四層まで下りてゆかねば離脱できないのでしょう。いや本作の場合は、第四層まで下りても脱出できなかったという話なのですが。

他方でアメリカのように国家のコアである信仰を喪失した国家も同様によろしくないですね。覇権を転がり落ちているのに、アメリカ人自身がソドムとゴモラの泥沼の中でそれに気づいていない。今後アメリカが立ち直るためには、キリスト教原理主義国家になる以外、手が無いのじゃないかとも思うのです。実際イスラム教を捨てていないイランや、共産主義を捨ててキリスト教を復活させたロシアのほうが、国際社会での存在感を大きくしています。一神教文明で神を否定することは、マイナスのほうが大きい気がします。

現在でも神への信仰を持ち続けている人々は幸いです。信仰を捨て去って別の安心立命の中に生きれている人も幸いです。信仰を捨てながら、神が死んだことを知りながら、それでも神を忘れられない人々、つまり妻を忘れられないコブ、それが欧米エスタブリッシュメントたちです。苦しみ続けています。具体的な解決策は明示されていません。バッドエンドで映画は終わります。

それでもストレートに悩みに続けられる力は素晴らしいですね。こういう思索力は英米のエリートから消失したものと思い込んでいました。まだ残存していたのですね。これだけで凋落する英米を救い出す力は無いと思いますが、復活の可能性は消えてはいないと思います。

ノーラン監督の新作は3月末に公開です。

原爆について映画化できたのは、「博士の愛情」のキューブリック、「ゴッドファーザーⅡ」のコッポラ、「シャッターアイランド」のスコセッシですが、イタリア系監督の後二者が暗示系なのに対して、キューブリックもノーランも明示系ですが、ともかくそのレベルの監督であるのは間違いありません。個人的にはキューブリックは大嫌いですが、「博士」だけは観れます。ピーター・セラーズが好きですから。

話し戻って、「オッペンハイマー」はあらすじを見る限り旧約聖書バベルの塔を下敷きに組み立てられているようです。技術の巨大な達成を成し遂げたのち、人々の言葉が通じなくなってゆく話、のように思えます。観に行くかどうかは未定です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?