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構成読み解きのこれまで

それ以前からブログに書いていたのだが、Naverの構成読み解きは今確認すると2014年8月から始めていいた。「ゴッドファーザー」からである。だいたい6年間やったことになる。Naverが9月末で終わりになるから振り返ってみたが、自分で思ったより量が解析できたし、同志に加わっていただけたので広がりが全く違ってきた。今後もネチネチ続けてゆきたい。

構成読み解きの利点は、

1、名作は逃げない。当面名作のままである。だから急ぐ必要がない
2、作家論ではないから、大量に読書をする必要がない
3、やっている人がほとんど居ないから、一つ一つが貴重な研究になりやすい

である。逆に言えば、その作家の作品全部読むとかは無理になる。レビュワーと解析者は両立できない。使える時間が有限だからである。

6年間で多くの発見があった。客観的に考えると、宮沢賢治の

「注文の多い料理店」解説 - 週休二日?アニメと文学の分析
http://dangodango.hatenadiary.jp/entry/2018/10/18/184758

「オツベルと象」解説【宮沢賢治】 - 気ままに読み解き
https://naginagi8874.hatenablog.com/entry/2020/02/23/044319

二つの読み解きが最大のインパクトだと思う。

宮沢賢治は「童話作家」ということになっていた。童話作家は抽象的なことは語れるが、リアルタイムの世界状況など語らないものである。しかし詳細に意味を検討すると、資本主義および植民地主義を具体性をもって批判的に描いていることがわかった。オツペルの河はガンジス河だったのである。考えてみれば国柱会に所属した作家が、世界情勢に興味がないわけがない。当然なのだが、そこまで具体的にイメージできているとは思わなかった。

順序的には
1、週休二日さんが「注文」解析。最後の「顔がクシャクシャ」というのが紙幣であると解釈

2、nagiさんが「オツペル」解析。こちらも資本家、労働、搾取の話なので、「クシャクシャ」が「注文」と同じく紙幣であると解釈

3、焼売さんが、「オツペル」のついておそらく象がインド象、最後の河はガンジス河ではないかと推定。おそらく賢治はガンジーを知っていただろうと。

賢治が抽象的な「童話作家」ではなく、リアルな具体性を持っているのがご理解いただけると思う。最近私は「戦争と平和」をやっているが、長すぎてまだまだ道が遠いのだが、もうやめたいと思っているのだが、それはさておき「戦争と平和」に出てくるフリーメイソンの入会儀式は、「注文」の服を脱ぐ過程と驚くほど似ている。第二部第二編第三節に出てくる。

「注文」でもロシア風の家、となっているから賢治はおそらくトルストイを読んでいる。つまり英米vsロシアを描いた作品なのだろうか?解析していないからなんとも言えないが、「注文」と「オツペル」のたった二つでこれだけの読み解きの広がりが発生してしまう。「純朴な童話作家」ではまったくなかったのである。国際政治にも経済システムにも興味を持つ尖った知識人だったのである。

「銀河鉄道」は構成に凝った作品だが、「注文」「オツペル」などがおそらく賢治のメインストリームで、「銀河」は少し変わった作品の気もする。nagiさんは「セロひきのゴーシュ」もやっているが、十分まとまっているがもっと解釈できるような気がしなくもない。「風の又三郎」「グスコーブドリ」「ポラーノ」は全く出来ていない。作品は逃げないから焦る必要は全くないのだが、現状ですでに宮沢賢治像の大幅な変更が余儀なくされている。それが賢治の履歴を調べることによってではなく、作品を詳細に読むことによって実現されたのである。つまり、賢治の作品は詳細には読まれていなかった。

先日珍しく文芸評論のようなものを読んでいたら、「夏目漱石、志賀直哉、宮沢賢治、太宰治の四人が近代文学の人気作家だ」という文章をみかけた。確かにそうだと思うが、賢治像が大きく明快に変わった以上、夏目漱石も志賀直哉も太宰治も、そのうち変更を余儀なくされると思う。なぜならば賢治がそうであるように、他の人達もしっかりとは読まれず、十分理解されていないと考えるのが妥当だからである。私達は近代文学という巨大な資産を死蔵している。デフレに苦しむのも、むべなるかなである。では国文科の先生方は、その間なにをやっていたのか。

「文学研究者」は、ただ「文学の周辺」のみを研究し、文学そのものも探求せず、同時に人間社会全般への興味も喪失した。おそらく、各分野での専門化が進み過ぎてついてゆけなくなったのも原因である。しかし、文学とは元来専門的なものではなく統合的なものである。総合的に世界を把握するために文学がある。
しかしタコツボ化し「文学の周辺」研究にはまりこんだ人が、急に総合的な見方に方針転換はできない。だから私達へのリアクションは在野からポツポツあるだけで、文学研究者からはほとんどない。残念だがこういう活動は成果が世間で共有されるまでに、20年くらいは見なきゃいけないものである。一世代動かないと世論は動かない。どうせメインの作品の解析も20年くらいかかりそうだから、じっくり反応を待ちたい。いやむしろ「20年で(あと14年で)どの程度解析できるか」のほうが問題かもしれない。


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