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「サクリファイス」あらすじ解説【タルコフスキー】

もしも核ミサイルが飛んできたら、どうしますか。そんな時の対応法が描かれた映画があります。芸術映画の最高峰ともいえる映画です。対応法が実用になるかどうかは別にして。

気の遠くなるスロー映画

タルコフスキー監督作品は芸術映画の頂点です。芸術映画は娯楽映画とは違います。つまらないのです。おもしろくないのです。退屈します。最大の原因はテンポにあります。全編気が遠くなるほどスローです。内容的には1時間15分くらいの脚本量です。でもなぜか2時間30分あります。つまり差し引き1時間15分ムダです。

字幕つきDVDでしたら、早送りで見れます。というか見るべきです。最後の10分だけ等倍速で見るべきです。なぜならば音楽と映像の結びつきが素晴らしいからです。その10分のために、タルコフスキーはこの映画を作り、それが最後の仕事になりました。だから10分だけは通常速度で観るべきですが、それ以外はダラダラ長すぎます。


まずは基礎知識

タルコフスキーはソ連の出身ですが、クリスチャンです。ロシア正教ではなく、カトリックの信者です。
キリスト教の教義の中心には「三位一体」があります。父と子と精霊を信じる、というものです。父はもちろん主なる神、子はイエスキリスト、精霊は「コトダマ」のようなイメージで捉えてください。昔はイタコの口寄せみたいな感じで、突然神の言葉を口走る人がたくさんいたのです。(のちのムハンマドもそういうタイプですね)。そのように人に言葉を口走らせる存在が精霊です。でもって精霊はキリスト教絵画では通常鳥の絵で描かれます。

そしてカトリックでは、精霊は父からも、子からも発せられます。

なぜそんな教義があるか

人間は有限な存在です。神は無限です。有限な人間は無限な神を把握できません。認識できるのは、概念としての父、視覚情報としてのキリスト、聴覚情報としての精霊、つまり断片のみです。この三位一体教義が、最後の10分間で映画化されるのです。長いキリスト教文明の中でも、おそらく有数の瞬間です。

簡単なあらすじ把握

核戦争が起こります。主人公は神に祈ります。「全てを捧げます。元の世界に戻してください」。すると知人が来て「マリアという女は魔女だ。彼女と寝ると世界は元に戻る」と教えられます。実際マリア宅に行って寝ます。目が覚めると自宅です。世界は元通りになっています。彼は神に全てを捧げるために、自宅に火を点けます。狂人とみなされ、救急車に押し込められ、精神病院に運ばれます。

つまり、たとえて言えば

明日北のミサイルが日本に降ってくるとします。でもそれを防ぐ方法があります。銀座の交差点の真ん中で裸になって大便をします。するとミサイルは日本に降ってこないと。信じられない話ですが、あなただけが知っている100%確実な話だとします、さて、あなたは銀座の真ん中の交差点で裸になって大便をできますか?
実際にミサイルが降ってこないのですから、誰も危機に気づきません。だからあなたのサクリファイス(犠牲)は誰からも評価されません。あなたはただの狂人です。あなたの人生は終わりです。それでもあなたは日本を救えますか?
なに?恥ずかしいから救えない?
でもこれをやらないと、核ミサイルでみんな死んでしまうのです。あなたの大事な人も、それほど大事じゃない人もみんな。あなたも死ぬのですよ。あなたの人生も終わりなのですよ。究極の悩ましい選択ですね。

全体構成

7つの部分から成り立っています。対称構造(「鏡」も同じような構造です)ABCDCBAとなっています。

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岸辺→家の近く→家→マリア宅→家→家の近く→岸辺です。
冒頭とラストは対になっています。もう少し詳細に見てみましょう。

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A1:岸辺にて
父(主人公=プチ神)が子(=プチキリスト)といっしょに木を植えています。枯れ木でも毎日水をやれば花が咲く、とか無制限にブツブツ独り言を言いながら。子は喉の手術をしたばっかりで、言葉をしゃべれません。

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すると郵便配達人オットーが自転車で手紙を持ってきます。手紙=言葉ですから、オットーは精霊です。冒頭、父と子と精霊が三者でからみます。子が喉を痛めて発声できないことだけ覚えていてください。

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このシーン、気が遠くなるほどスローなので早送りで見ましょう。

B1:家の近くで

車に乗って娘と亭主が着ます。お誕生日おめでとう、そう今日は主人公の誕生日なのです。

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しかし車には乗らず、主人公と子は家の近くを散策します。ふたたびブツブツ独り言を言う主人公です。

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突然子供が見えなくなります。

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急に出現します。

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驚いた父は反射的に殴ってしまい、子は出血。父は子を傷つけたショックで倒れます。親子共倒れです。と、モノクロの終末的な映像が流れます。

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これからの運命を暗示しています。このシーンも気が遠くなるほどスローなので早送りで見ましょう

C1:家

自宅に帰りました。娘婿はフレスコ画の画集を持ってきてくれます。喜ぶ主人公。

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先ほどの郵便配達人オットーも自転車で絵を持ってきます。古いヨーロッパ地図です。

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オットーは主人公の家のお手伝いマリアが、自分の家の隣に住んでいる、と言います(つまり、オットーが精霊なら、マリアも精霊です)。岸田今日子に似た女優さんです。

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カルト話をオットーがしている時、突然転倒します。ものすごい不幸を感じたからです。

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はたして、核戦争が勃発します。芸術映画は娯楽映画と違って、核戦争を描写しません。雰囲気で知らせるだけです。

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家の外に出ていた主人公は小さな家を見つけます。

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マリア(精霊)によれば、子(キリスト)とオットー(精霊)が協力して作ったものだそうです。

家に帰れば臨時放送です。全世界は危機にあると。主人公の奥さんはヒスを起こして、「私の罪にたいする罰だ」とか言い出します。いかにもキリスト教文化圏的反応です。

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主人公は悲惨な現実に、神に祈ります。
「主よ、お救いください、すべてを主に捧げます。家に火をつけ、生涯口を閉じて誰にも話しません」

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銀座の交差点の真ん中で全裸になって大便をする約束、でもよかったのですが、この映画ではこういう表現にしています。

すると夜中に郵便配達人(精霊)オットーが忍び込んできます。
「最後のチャンスがある。マリアは魔女だ。彼女に頼め」

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このシーンも気が遠くなるほどスローなので早送りで見ましょう。

D:マリアの家

郵便配達人に家にオットーの自転車で行く主人公、マリアは夜にもかかわらず家に入れてくれます。手が汚れているので洗います。タルコフスキー映画では心の内面に入るサインです。

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主人公は失敗した庭の手入れの話をします。荒れ放題の庭は美しかった。必死になって手入れしたら、美しさが消えた。マリアは救ってくれません。仕方がないので持ってきたピストルを自分の頭に当てて、救ってくれとお願いします。

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するとマリアは同情して、リラックスさせるためにセーターを脱がせる、とおもいきや自分も服を脱いで裸になります。やはり魔女です。

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主人公とマリアは交わるのですが、なぜか宙に浮いています。これもいつものタルコフスキーで、宙に浮くのは鳥ですから、鳥=精霊、精霊の効力が発動するのです。

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そして再度、モノクロの終末的な映像、今度は人々が逃げ惑っています。しかし、最後に子供の姿が映され、事態が解決されたことが暗示されます。

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このシーンも気が遠くなるほどスローなので早送りで見ましょう。

C2:家

目が覚めました。自宅で寝ていました。世界は元通り、核戦争は存在していなかったかのようです。家族は屋外で食卓を囲んでいます。

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そして主人公は、神との約束を守ります。家に火を付けるのです。

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このシーンも気が遠くなるほどスローなので早送りで見ましょう。

B2:家の近くで

火事になった家を見て驚いた家族が駆けつけます。しかし火の勢いが強くて手遅れです。

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主人公はマリアの手を握りますが、引き剥がされます。

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救急車が来ます。おそらく精神病院に連れてゆかれるのです。

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主人公はさんざん抵抗した挙句に、拘束されます。この救急車が見えたら、等倍速再生にしてください。ここから先が、この監督の全てです。

A2:岸辺にて

最初と同じシーンに戻ってきます。

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救急車は主人公を運びます。別のルートでマリアは(昨日オットーが乗り、昨晩主人公が乗った)自転車に乗って漕ぎます。そして岸辺では子が父の教えどおりに木に水をやっています。その近辺で、三者が交わります。完全に一致するわけではありませんが、三者が同一空間に存在するのです。冒頭といっしょです。三位一体教義が再現されます。

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ですが、冒頭の三位一体、父と子と精霊と違うところは、父は(発狂していないのですが)発狂しているとみなされ、精霊は人好きのするオットーから無口なマリアへと謎めいた存在になります。キリスト教は変わっていないとしても、世間のキリスト教にたいする見方は大きく変わったのです。

子は父の発狂、自宅の炎上を知ってか知らずか、木に水をやります。やがて救急車も自転車も去り、子は木のふもとに寝転び、木の上を見ながら声を発します。
「はじめにことばありき」
「でもなぜなの、パパ」

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喉の手術をした子は、声を取り戻したのです。キリストは長い沈黙の後に、言葉を発せるようになったようです。

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カメラは上に振られ、樹木の枝が水の光の反映に溶け行きます。

そこに重ねて字幕で、
「この映画を息子アンドリューシャに捧げる
希望と信頼とともに
アンドレ・タルコフスキー」
とかかれて、全編は終わります。

憐れみたまえ、わが神よ

最後の等倍速再生の箇所で使われている音楽は、バッハの最高傑作と言われる「マタイ受難曲」の第39曲、「憐れみたまえ、わが神よ」です。タルコフスキーは「惑星ソラリス」でカンタータを使い、「鏡」でヨハネ受難曲冒頭合唱を使いましたから、毎度といえば毎度なのですが、このメロディーはバッハの中でも最高に印象的なものです。というか、クラシック好きの感覚で言えば、「恐れ多くて映画なんかには使えない」曲です。それを最後の作品の最も重要な箇所で使うタルコフスキーの度胸には敬服します。大きな歴史の流れの、特別な瞬間です。

三位一体教義

三位一体が都合2回出てきます。その2回で、タルコフスキーの主張は十全に言い尽くされています。実はタルコフスキーに先立って似たような作品あります。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」です。

「銀河鉄道」では、冒頭の銀河、川、ミルクが、最終シーンで回帰します。「サクリファイス」と同じ構造です。
しかし、タルコフスキーも宮沢賢治も、あんまり真意を汲み取ってもらえていないようです。

実践の考察

というわけで、核ミサイルへの対処方法、理解できましたでしょうか。理解されていただいたのなら申し訳ないのですが、実はこの対処方法、まったく役に立ちません。
Jアラートが鳴ってから家に火をつけても着弾に間に合いません。着弾した後でしたらその時は家はなくなっていて火をつけれません。

というわけで、ミサイル対応マニュアルのつもりで読まれた方には大変お気の毒ですが、この映画の内容は、現実には全部ムダです。読んだあなたの時間も全部ムダです。しかし責任は製作者タルコフスキーにあるのであって、私にはありませんので、あしからずご了承ください。なにしろ芸術ですから、現実生活には毒にも薬にもならないものです。ウィルス対処マニュアルとしても同じように無価値です。実は製作後、故郷のソヴィエトでチェルノブイリが事故りまして、予言的作品というわけですが、予言したところで対処方法なければどうしようもありません。


おまけ

タルコフスキーはスエーデンで撮影するため、スエーデンの著名なカメラマンに撮影頼みました。好きに構図を決めさせて撮影させるのではなく、監督みずからカメラを覗き込んで、そのとおりにフィルム回させるだけの仕事だったそうです。そんなんだったら誰でもできます。つまり、著名なカメラマンにとっては屈辱的な仕事内容でした。
彼は根に持ったのでしょう、最後の炎上シーンで、なぜかカメラにフィルムが入っていませんでした。どう考えても意図的です。職人の恨みは怖いのです。仕方がないから再度家を建てて、再度炎上させて、再度撮影しました。
後年そのカメラマンは失語症になったそうです。つまり、言葉を失った、精霊が去ったのです。サボタージュの呪いです。神の罰です。だからもしかして神の奇跡は信じれるのかもしれません。私は信じませんけど、読者諸兄ご随意に。

おまけのおまけ

スクリーンショット使うのに、良い映像がないと使う気しません。以前のものは画質が悪く、だから記事もお蔵入りさせていました。しかし色々高画質のものがアップされていまして、

などはかなりの画質です。日本語字幕はありませんが。他の作品も、


https://www.youtube.com/watch?v=6-4KydP92ss

などなど充実しています。



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