2017アー写0299

『あと一歩』が足りない。

私が言葉というものに魅力を覚えたのは、高校生の頃だった。

高校生の頃は読書が大嫌いで、宿題でよくある読書感想文を書くのが嫌いだった。
読書をしたくなかった私は、どうにかして本を読まずに読書感想文が書けないかと考えに考えた。そうだ、自分で架空の本を作れば良いのだ!!

架空の本のタイトル、架空の作家を作り、内容も自分が考えたオリジナルストーリを練り、それに対して読書感動文を書いた。
どう書いたって良い。私が作り出した本なのだから、感想も好きなようにすれば良いのだ。どうせ、国語の先生なんてちゃんと読んではいない。
そんな軽い気持ちで私は架空の本を作り、読書感想文を書いて提出した。

数日後、授業が終わると国語の先生に呼び出された。
「この前の読書感想文、笛田のやつが凄い良いから、もしかしたら笛田の作品をクラスの代表にして読書感想文コンクールに出すかもしれない。」と言われた。
まさか自分の作品が選ばれるかもしれないと思っておらず衝撃。
実は私の本は存在しなくて、私が勝手に書いたんです。。と先生に言えるわけはなく、それをコンクールなんかに出すことになったらどこの本かとか聞かれて面倒くさいし、バレてしまったら怒られるかもしれないとヒヤヒヤしだした。

でもある意味、みんなが真面目に本を読んで読書感想文を書いているのに、自分のオリジナルストーリが先生に認められた気がして嬉しくて堪らなかった。
私はある程度、バレたらしょうがないと思いながらもクラス代表になれたら良いなと淡い願いを抱いた。

また数日後、授業が終わってから先生に呼び出された。
いよいよクラス代表になったかな!と心を踊らせながら行くと
「実は、感想文、大島のに決まっちゃったんだ。期待させて悪かったな。でも笛田の感想文本当に良かったからな。」と。

数日舞い上がっていた気持ちが落下して行く。
あーなんだ。ちょっと期待してたのにな。誰にもバレぬように肩を落とした。

そしてその選ばれた大島の読書感想文は、大島の部活の先輩が去年読書感想文で賞を取ったものを、先輩の許可でそのまま引用した感想文だったことを後で知る。
自分の手で書いておらず、しかも賞の経験があるものを提出したやつに負けたのは非常に腑に落ちなかったが、少しだけ安堵。
自分の書いた読書感想文が存在しないことの方がルール違反だし
選ばれた感想文よりも魅力があと一歩が足りなかったのだから。

でもそれが一つの言葉の自信に繋がったのだ。
そこから、以前のnoteにも書いたが部活の愚痴を替え歌で作ったり
オリジナルソングを作ったりと創作意欲が溢れるようになった。

歌詞もいろんな書き方をしてきた。
抽象的なもの、比喩、現実的なもの、簡単な英詞。
書いて書いて行き着いたのが赤裸々の女心。
10代の頃、人の前で堂々と自分の意見を言えなかった私は「さめざめ」という姿になると、何でも言えて何でも歌えることを知った。
歌詞にはいつだって本音しかない。
多少の脚色はしたとしても嘘なんて書いてないし、ほぼドキュメンタリーだ。
たまにそれが偽物っぽいとか、チープとか、メンヘラじゃないと言われるたび
短気な私は心の中で中指を立ててているが、作品に対して何も言われないよりは良い。
誰にも罵倒もされない作品なんて、存在しないものと同じだからだ。

なので、これからも書きたいように書いていきます。

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