独占しない愛し方

少し前から僕は、好きな人が複数いることを自覚して、
Twitterなどを通してそれを公言してきた。

「恋人(恋愛的に好きな人)が複数いる」と言うと、
無条件に「非道徳だ。不誠実だ」と決めつけられてしまう世の中に違和感を覚え、人知れず周囲からの批判・非難に苦しみながら生きている人に届いたらいいな、と思い、「僕はこういう恋愛観で、試行錯誤しながらもなんとかしあわせにやっているよ」と伝えてきた。
そのうち、世間で「ポリアモリー」という言葉が急速に広がってきて、最近では何件か、メディアに取材されたりもするようになった。
僕がかつてブログに書いた記事も、かなりたくさん読まれているようだ。

ここであらためて、僕の想いを書いてみたい。
「ポリアモリー」とは、複数の人と同時に恋愛をすること、つまり、「(恋愛的に)好きな人が、同時期に複数いること」だ。
でも最近僕が思うのは、重要なのは決して「複数であること」じゃない、ということ。それはただの結果にすぎなくて、本当は、僕が選びとりたい生き方は、「(恋愛的に)好きな人は、ひとりでなくちゃいけない」という規範に異議を唱えたい、ということなんだと思う。

「恋愛的に」という括弧書きをとっぱらってしまえば、賛同してくれる人がたくさんいると思う。大好きな友人がたくさんいること、それは決して不誠実なことだとは言われない。「友人」が「排他的」なものではないからだ。「友人」が「排他的」なものではないからだ。

でもなぜか、「恋人」は「排他的」なものだとあつかわれてしまう。「たくさん友人がいるやつは友情がうすい」などと言われることは普通ないのに、恋愛に関してはそう言われがちだ。「どっちも好きだ、なんて言うけど、二人が同時に崖から落ちそうになっていたらどっちを助けるのか?」なんて意地悪な質問をしてきたりもする。

でもさ、たとえば子どもが3人いる人に、「3人のうちだれをいちばん愛しているか?」なんて聞くのはナンセンスじゃないかなぁ。
子どもが5人いたら、それぞれの子どもを5分の1しか愛していない、なんてことにはならないと思う。
「愛情」というのは、上限が決まっていてそれを頭数で割って振り分けなきゃならない、というようなものではないだろう。

僕が「好きな人はひとりでなくちゃいけない」という考え方に反論したいのは、その考えが相手の可能性をつぶしてしまうものであると思うからだ。
「僕とつきあったからには、僕以外の人を好きになったり、恋愛したりしてはいけないよ」という無条件の権利を得られるはず、と考えることは、言いかえれば相手の恋愛について「独占権をもつ」ことに他ならないのだから。

だから僕は、僕自身のあり方を、「ポリアモリー(複数恋愛)」というよりは、「非独占愛」あるいは「非排他的愛」とよびたい。
お互いがパートナーのこれからの可能性を、つぶしてしまわない恋愛。

もしも「僕がいること」で、相手がしあわせでなくなってしまうとしたら、
たぶんそれは、お互いにとってよい関係ではないのだと思う。

これからの人生、まだまだ知らないしあわせをお互いにどんどん見つけていけるといい。
そしてもしも叶うならばあなたの、そのしあわせな未来で、僕もそばにいたらいいな。

(2015年10月執筆。当時32歳)

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