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「特別な日」はなくてもいい。

クリスマスでした。

クリスマスだからというわけではなく年末の三連休なので、東京に出かけてデートしたりライブに参加したりするぞ!とウキウキで出かけて東京に着いた途端、原因不明の歯茎の激痛に襲われて、すべての予定をキャンセルして帰ってきた悲しい文月煉です。

(ちなみに今日病院に行ったのだけど、未だに原因は不明で、治療は保留になってしまった。いつ激痛が来るかわからないって怖すぎる……)

さて、それはともかく。

僕は普段からあまり特別な日というのを意識しない。

クリスマスだから何をしなくちゃ、とかこれまでの人生でほとんど考えたことがなくて、だから恋人がいないときも、クリスマスだからことさらに寂しい、なんて思ったこともなかった。
本当に小さかった頃は、サンタさんがクリスマスプレゼントを用意してくれたので確かに「特別な日」だったけど。

今も、僕自身ではなく、僕の恋人や友人たちが「クリスマスだからということにして」イベントを企画したり、プレゼントをくれたり、はしゃいでいる様子はとても微笑ましくて好きなんだけどね。
そういう、「うまく利用して楽しんじゃおう」という姿勢はとてもいいと思うけど、僕自身がことさらにクリスマスだから何かをしよう、とは思わない。

どうして僕は「特別な日」に興味がないのだろうか、と考えてみると、おそらく僕自身が根を下ろさない生き方をしているからだろうな。

特別な日(=ハレの日)が成立するためには、普通の日(=ケの日)があることが前提なのだけど、職を変えたり住むところを変えたり新しく恋愛したりしていると、むしろ普通の日ってのがあんまりなくなる。

カレンダー上の「特別な日」に頼らなくても、自分の人生の中には特別な日がいっぱいある、とも言えるのかもしれない。
安定した生き方からはほど遠いから、「普通の日」こそがむしろ貴重なのかもしれないな。

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