Twitterの「晒し」と私刑

架空のお店と大学の話でTLが盛り上がっているけど「リテラシーの問題だ」というのも「騙すやつ許すまじ」というのもどっちも本質からズレている気がする。
本質はTwitterにおける「晒し」と「義憤」の問題。
釣られた人は「義憤で知らない人を殴ろうとした人」で、詐欺の被害者と同列には語れない。

「リテラシーの問題」という人は、例えば実在のお店や大学を使って周到に真実のように見せかけた「釣り」には対応できないことになる。「騙すやつ許すまじ」はまぁ真実かもしれないけど、怒られるのを分かっていてやってる人には無効だ。

問題はそこじゃなくて、自分は被害者だと考える人がTwitterを使って「わたしはこんなにひどい目にあった。加害者への怒りを共有してほしい」と主張し、義憤に駆られた人がそれをRTして加担し、ときにフォローの範囲を超えて「バズる」という「晒し」の構造そのものだと思う。

RTした人は「自分はいいことをした」と思っているからこそ、それが嘘だったら「釣られた!」と怒るわけだけど、そもそも「晒し」の行為自体が「私刑=リンチ」であって、正当なものではない。

リテラシーで言うなら、「思い込みで他人へのリンチに加担してしまうことのリスク」こそを考えるべきじゃないかな。

これは僕が何度も口にしていることだけど、「安全圏から他人を断罪する」というのは快感なのだ。でもだからこそ、その危険性・中毒性を認識して、その欲望にあらがう必要があると僕は思う。

僕がかつて書いたブログ記事。 http://fuduki-ren.hatenablog.jp/entry/2018/01/21/11465

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