映画『河童-Kappa-』評

「故郷とは何か」
 子どもの頃に読んで衝撃を受けたマンガ『シャーマンキング』の再アニメ化が発表され、久しぶりに恐山アンナ(声:林原めぐみ)の歌う"恐山ル・ヴォワール"を聴いていたら所謂クソデカ感情に包まれたので、ノスタルジックな邦画の紹介。

 "浪漫飛行"や"君がいるだけで"などで知られる音楽グループ「米米CLUB」のボーカル・石井竜也の初監督作品。タイトルの通り、河童が登場する。そしてジャンルはSFである…一応。なぜ一応か、それは本作の河童が遠い故郷を離れて地球にやってきた宇宙人だからである。だが別に地球人と一緒に宇宙旅行に行ったりプレデター流の成人式を催す展開にはならない。本作はあくまで河童との邂逅を果たした少年の望郷の詩である。

 手塚治虫の短編の中でも特に完成度の高い作品に、『W3(ワンダースリー)』というマンガがある。このマンガ、文庫版は全2巻なのだが、その最終巻に石井竜也がコメントを寄せている。そこで彼は自身の映画について言及しており、そのモデルが手塚治虫の短編『雨ふり小僧』であることを明かしている。『雨ふり小僧』は、「ある約束」のために主人公の少年を待ち続けた妖怪(幽霊?)の話である。ものすごく短い話なのにやたら印象に残るので機会があれば『W3』と合わせて読んでみて欲しいが、要は「少年と妖怪」の関係がそのまま本作の「少年と河童」の関係にトレースされる。結末もだいたい一緒なのだが、石井竜也がそこに加えたのは「家族愛」だ。

 家族とはなにか。昨年、お笑い芸人のガレッジセール・ゴリが照屋年之名義で監督を務めた映画『洗骨』もまた、「死者の弔いは生者同士の連帯の為にある」事をつよく印象付ける作品であった。家族間の軋轢など、まったくない方がおかしい。たまに会う友人とは違うのだ、何年も何十年も一緒にいれば、時には一生かけても埋まりそうにない溝もできるだろう。「家族だから~」という動機は、個人的にはあまり好きではないが、切ろうとしても断ち切る事のできない繋がりがどうしようもなく存在するのもまた事実。石井は、自身の祖父が亡くなった事がきっかけで本作を撮ったのだとも語っており、本作を観ていると確かにそれはひしひしと伝わってくる。加えて、人によってはしょうもない父親に映るかもしれないおじさんも、藤竜也の演技が説得力を与えているように思える。

 さて、すっかりダメダメなおじさんになってしまった少年と尖ったナイフみたいな息子とが、かつての約束を果たすべく帰郷するのがこの物語のラストなのだが、故郷に帰ることがなぜ終着点なのか、初めて観た時はよく分からなかった。例えば『ガンダムUC』では、地球すなわち人間の故郷を「重力の井戸」と表現していた。『ジョジョの奇妙な冒険 SBR(スティールボールラン)』では、やはり主人公ジョニィ•ジョースターが故郷を目指すところで終わる。『オズの魔法使い』は、主人公たちがそれぞれ自分に欠けているモノを求める冒険譚であり、ドロシーにとってそれは他ならぬ故郷カンザスであった。他にも『ワンピース』空島編などもそうだろう。挙げていけばキリがないが、「家族」と同じくらい切り離せない人間の根幹にあるもの、それがおそらくは「故郷」なのだ。監督の本業がミュージシャンであることも相まって、「家族」と「故郷」とをテーマに作られた本作の劇伴は非常にノスタルジックであり、石井が歌う主題歌"手紙"もまた味わい深い。言葉ではなく歌で訴えるところに、本作の魅力が詰まっている。

 以上。ノスタルジックに浸りたい時にでも。あと『シャーマンキング』本当におめでとうございます。個人的には「恐山ル・ヴォワール」編がじっくり観たいですお願いしますなんでもしますから。

【書籍】
・武井宏之『シャーマンキング 完全版』、集英社、2008年
・手塚治虫『W3(ワンダースリー) 文庫版』、秋田コミック文庫、1995年
・手塚治虫『雨ふり小僧』、集英社文庫、1995年
【映像】
・照屋年之、洗骨、ファントム・フィルム、2019年
【音楽】
・米米CLUB"HARVEST SINGLES 1992~1997”、ソニー・ミュージックレコーズ、1997年
・米米CLUB"HARVEST SINGLES 1985~1992”、ソニー・ミュージックレコーズ、1997年

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