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長野県立美術館


建築学会賞の建築、みてきました。感想など書きます。

コンパクトな構成

コンパクト、シンプルが第一印象、あれだけの機能が入っている建物と思えないくらい、隣の東山魁夷館とのボリューム感に差異があまりない。(東山魁夷は高いレベルに位置しているというのもあるのだが)
しなのギャラリーやバックヤードを地下にしていることもこの理由だと思うが、階高は1階4200、2階6400で3階に屋上デッキがあるとしても、極端に切り詰めているということでないとすると、この建物の大きさ(階高)・構成でいけると考えた東山魁夷館を含めて周囲との関係の読みが凄いと感じた。


外部とつながる美術館

展示室の構成はシンプルなのだが、外部と繋がる部分が多い。1階だけでなく、2階、3階にも外部出入口があり、3階レベルは屋上テラスと繋がっている。来館者はこのレベル差を楽しむことができる。
エントランスやホワイエがある東山魁夷館側はガラスカーテンウォールでオープンに作られていて、公園と視線が行き交う構成になっている。ホール、ホワイエから公園の風景や水辺テラスの霧の展示を楽しむことができる。3階に屋上広場があり善光寺が見渡せる。どこにいても外部を感じるオープンさである。


東山魁夷館へ移ると、構成の違いがはっきりと体験できる。東山魁夷館はクローズドな作りで、展示空間、建築空間に入り込むような空間構成である。外部とオープンな空間は展示体験後のホール空間だけで、その空間は樹木で囲われた水盤を眺める空間になっている。それはまるで、東山魁夷の絵画の静けさを味わうようである。結界により閉じた風景を味合わせるような構成である。


美術館と強めの体験

いろいろなところから入ることができて、東山魁夷館とも行き来しやすい。周囲を眺められるので、善光寺や公園と一体的な場所として感じる。それによって、その場所にあるべくしてある建築だと感じた。違和感なくあるというか、建築から嫌な感じが全くしないという感じ。新しくできる建物でここまでのことができるのか。
そういう建築だからこそ、思ってしまうのはそこに強めの体験というかここにしかない体験があってもいいのではないか、ということだった。
ここで考えたいのは価値の継続性で、霧や展示物は何10年もずっと経験できるものではない(かもしれない)のだが、建築はずっと体験されるものであるということである。ずっとそこにあり続ける建築はどうあればいいのか、ということである。
もちろん、霧の展示はとてもインパクトがありここでしか経験できない、美術館では展示品が非日常を感じさせてくれると言われれば、そうだと思う。
もちろん、インパクトのある外観であればいいかというとそうではない。善光寺やその周囲の景観との関係とそれが生み出す風景はずっと変わらないと思う。東山魁夷館にはあの場所でしか経験できない閉じられた静かな空間がある。
ここでしか味わえない何か、それがあることで建築は長く愛され使われ続けるのだと思う。






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