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自己紹介とか。

はじめまして、「遊びと仕事の境界線が曖昧な会社の社長」です。
(画像は42年ほど前の私。たぶん4歳くらい)
三重県鈴鹿市で電動モビリティの開発とか生産とか、たまに自動車作ったりしているフヂイ エンヂニアリング株式会社という会社です。フヂイ エンヂニアリング株式会社は、略して「フヂエン」と呼ばれていたりするようです。

私は、小学校5年生くらいの頃に、自動車やバイクに目覚めてから、ずっと車を中心とした人生を歩んできました。高校生の頃にレーシングカート、大学に入ってからは、AE86(カローラレビンとかスプリンタートレノ)で箱根やヤビツ峠を走り回り、卒業してからはフォーミュラカーのレースに参戦したり。20代半ばまでは、割と本気でレーシングドライバーになる事を目指していたので、まぁまぁハチャメチャで貧乏で、めちゃエキサイティングな青春だったように記憶しています。

フォーミュラカーのレースは、20代半ばの技術系サラリーマンが取り組むには到底無理筋な予算を要求されます。マシンが当時で200万円(中古)、年間の活動費が300万円、クラッシュしたら50万円単位のお金が消えていく・・・。というワケで、あっという間に当時の年収の数倍の借金が発生して、ドライバーとしての才能を枯渇させる前に、資金が枯渇して引退することにしました。まぁ、僕のように「まぁまぁ速い」「もっと経験積んだら強いドライバーになる」みたいなのは、いくらでもいるので、自分としてもそれ以上の投資に対してリスクを感じたのでしょうね。レーシングカーの運転は最高に楽しかったのですが、辞めました。

26歳の時にレース辞めて、それからは毎週末お酒飲みに街に繰り出したり、ジェットスキーやらプレジャーボートでウェイクボードしたり、行動の動機が「女の子にモテる」という健全な若者に変化しました。そういうのを2~3年続けたかな?それはそれで楽しかったけれど、飽きてきたこともあって、「セッティングが決まったフォーミュラカーのあの感覚を自分で作り出してみたい!」と「俺、車を作る!」と考え始めたのが28歳頃。

その頃、自動車部品の会社に勤めていたのですが、「クルマ作れるようになるにはどうすればいいんだ?」と色々と本とかネットを調べていったのだけど、一人で車を作るハウツー本はどこにも存在しなかった(後に英国の「How to build your racing car」というバイブルに出会う)ので、「たぶん、溶接とかボディワークを覚えれば夢に近づけるのでは?」と超絶短絡的な発想で、近所の板金塗装工場に丁稚奉公みたいな感じで転職しました。その板金塗装工場の親方は、鉄板からフェンダーを叩き出す技術を持つ最後の世代の職人で、フェンダーの叩き出し方は教わったけどいまいち何言ってんのか分からないくらい高度で、当時はチンプンカンプンだったけど、夜な夜なハンマーで鉄板叩いて、アセチレンバーナーで絞って、を繰り返していくうちに、自分の240Z(鈴鹿の街で駐車場に放置してあったのを所有者に連絡して譲ってもらった床に水が溜まっているポンコツ)のボディの腐ったところを全部新しい鉄板でパーツ作って再生できるくらいにはなりました。

溶接も塗装もそこそこ上手に出来るようになって、そろそろ自分オリジナルの車を作りたいなぁと親方に相談したら、「真面目に仕事しろ」とお叱りを受けてしまったので、「うーん、やりたい事をやるには自分の工場を持つしかないのか。」とフヂイ エンヂニアリングを創業したのが30歳の時。四日市の楠町という、海に近いエリアで60坪の小さい工場を借りてクルマ修理業を始めました。ほとんど同時に大学時代の1コ先輩(入学時は。卒業時には何故か2コ先輩になっていた)の奥様と結婚しました。奥様は今でも学生時代から乗っていたAE86(カローラレビン後期型)を所有しているような人です。それにしても当時の僕は、創業しても生活していける保証はどこにもない危ないオトコだったのに、よく結婚したよなぁ、と今でも思っています。(その後、数々の事業上のピンチを奥様が「なんとかなるっしょ」と笑い飛ばす人柄のお陰で深刻になり過ぎず、どうにかこうにか生き延びたと思います。)

とりあえず今日は、「創業まで」で一区切り。次回は「創業から」を書きます。1週間以内にアップしたいと思いますので、しばしお待ちください。感想とか、お声かけいただけると嬉しいです。ぜひよろしくお願いします。


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