自己嫌悪

1999年9月15日公開。生まれはじめてちゃんと書いた小説。15歳、高校1年生の夏休みの宿題の自由作文を転載。


 「なぜ、俺という奴は、こんなにも馬鹿なんだろう」
 青年は口に出して呟いた。彼は先ほどの商取引の失敗を自分一人の責任と思い込み、一人心の中で苦悶していた。
 「あのとき、ああ言ってさえいれば、先方は取引に応じたかもしれない。それにあの時、あんな目で相手を見たのが悪かったのだろうか。それともあの言葉が気に障ったのか。こんなことだと、昇給にまで響くかもしれないな」
 青年は、心の中に浮かび上がってくる先ほどの自分の姿を見て、自己嫌悪に陥っていた。すべての言動がまずかったように思えてくるのだ。
 その時、課長の青年を呼ぶ声が聞こえた。青年はてっきり叱られえるものと思い、半ば蒼ざめた表情で席を立った。
 課長は意に反して青年をなぐさめてくれた。青年一人の責任ではないと言い、むしろこれは、上司である私の責任だ、とも言った。
 課長の台詞は、青年の気持ちを軽くするどころか、ますます心の傷を深めることになった。青年は、怒鳴られた方がよかったと思った。
 夕暮れ時、退社時刻になって、青年は、その日整理しようとしていた書類の束が、半分ほどにしかなっていないのに気づいた。青年は、これを自分の失敗から来る心理的ショックが大きかったためと解釈しようとしたが、結局仕事いやさに、なまける理由を、心理的ショックという言葉に押しつけている自分を発見した。
 青年の自己嫌悪はますますひどくなった。
 その夜、青年は、自分の意志の弱さを呪い、馬鹿さかげんを呪い、無能力さを呪いながら、したたか酒を飲んだ。青年は飲みながら泣いていた。そして、泣きながら道端で吐いた。胃がからっぽになっても吐き気がこみ上げてきた。最後には血を吐いた。
 青年はアパートに帰ると、上着を脱ぎすて、胃の内容物で汚れた顔を洗おうともせずに眠った。翌日の午後までぐっすりと眠った。
 翌日、青年は目覚めて時計を見ると三時半を指していた。ほとんど寝なかったのかと思ったが、部屋にさし込んでいる光が西日なのに気づいた。青年は寝過ごして会社を休むはめになった自分に毒づきながら顔を洗うと、深いため息をひとつついた。
 青年は昨日の分の日記をつけようと思った。
 「某月某日 晴れ
 大事な取引に失敗した。課長はなぐさめてくれたが、いくら考えても自分のバカさかげんにあきれる。夜、浴びるように飲んだ。帰り道で吐いたことは覚えているがそれ以外は何も記憶にない。いやなことが多かったので、出来事を書かずに、思ったことを書く。
 自己嫌悪ほど人間の心に陰険な傷をつくるものはないのではないか。学生のころ、特にそう感じた。あるとすれば、罵倒や嫌味、それに失恋であるが、前者の傷は数日で癒え、後者の傷は時とともにやさしくなる。
 長い休みの終わりや試験前、しようとしていたことの半分も消化できずにいる自分に腹を立てたものだ。始業式や試験の前日、何もやれないでいた自分に涙したのを覚えている。
 かすかながらもナルシズムを持っていた自分にとってこの傷は、深く大きくどす黒かった。未だにこのころの夢を見てうなされる。
 今は、自分の無能さ、勇気のなさに嫌悪を感じるが、これらも、意志の弱さを嘆くのと同様に傷は深い。生涯にこんな苦痛を何度も味わうのなら死んだ方がましだ。
 自己嫌悪が起こらないように、常にベストをつくそうとも思うが、それができるなら何年も何年も悩み続けて来たりはしない。できないからこそ、自己嫌悪し、悩むのだ。……」
 青年は、日記帳数ページにわたって連綿と内面の怒りをぶつけた。しかし、どうにもならないとわかると、最後にこう書いた。
 「……明日、死のう。」
 翌日、青年は遺書がわりの日記帳を持って、会社へ行った。そして、タイムカードも押さずに屋上へあがると、柵にもたれて町を見下ろした。ビルの八階から見た町は非常にちっぽけに見えた。ちっぽけな地球のちっぽけな国のちっぽけな町のちっぽけな人間の命が消えるかと思うと、虚しい爽快感が湧いた。
 青年は柵から身を踊らせた。走馬灯にたとえられる人生のパノラマ現象は起こらなかった。ただ、落ちゆく一瞬が永遠にも感じられるその胸に去来したものは、死という現実からの逃避を選んだ自分に対する自己嫌悪だった。

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