「筆先三寸」日記再録 2005年3月~4月

2005年3月2日(水)

【起】
 「冬のソナタ」にはじまった韓流ブームも、ほぼ終息に向かいつつあるようだ。
 テレビでは相変わらずいろんな韓国ドラマが放映されていて、あちこちの雑誌でも韓国俳優の特集が組まれているものの、一時の熱気はとうにない。
 それでも、ルービックキューブやティラミスのブームとは違って、対象にバリエーションや切り口が豊富なだけ、一定のレベルに収束していくと思われる。
 「韓国製のドラマに対する日本社会の関心」というものを、まったくの主観的感覚的な尺度でいうと、「シュリ」公開時を20、「冬ソナ」ピークを100とすれば、いずれ50ぐらいで安定するのではないかと思う。今のところはまだやや高いし、安定するまでには今年の秋風を待たないといけないような気もするが。

【承】
 そんなこんなで、昨年来の「ヨン様ブーム」と、それをめぐる言説は興味深かった。とくに、「ヨン様」に群がる中高年の女性たちと、それに対する批判のあふれ具合は、「べつにええやんけ」と思っている人間にとっては他人事ながらおもしろく思った。
 この世間の加熱ぶりに対する批判は、ほぼすべて「見苦しい」あるいは「愚かしい」という論調に貫かれていたように思うが、反感の底に見られたのは、結局のところ「おばさんの熱狂」に対する、「狼狽」であり、「逆ギレ」だったのではないだろうか。
 たとえば、中年男性を中心として、新聞雑誌テレビなどのマスメディア上で行われたものに顕著だったが、「嫉妬」や「性差別」を無意識に露にしたものである。具体的には、「更年期のババアが、若い男にキャーキャー言うな」や、「小娘みたいにめかしこんで追っかけなんて許し難い。家で旦那にかしずいてろ」というもので、「夫としての自分」をないがしろにされているという恨みや、中高年の女性に対する広い意味での性的抑圧あるいは性差別意識が大きく作用しているように感じられた。
 もちろん、「夫としての自分」という立場のありえない中高年女性の側からも、同様のコメントは多くあったが、これは素朴な反フェミ感情同様、後者の意識の内面化によるものだろう。
 また、男女問わず若い層からの批判も、実のところ後者に拠っている。「ママのような女の人が、ヨン様ヨン様って、フケツ!」である。マザコンといってしまえばそれまでだが、これも「中高年女性の(広い意味での)性的欲望」の現実を突きつけられた驚きと反発だろう。

 と、まあ、そこまでは、80年代の「杉さまフィーバー」や、梅沢富美男をきっかけとする「大衆演劇ブーム」を取り巻いた、マスコミの揶揄するような調子や世間のしかめっ面と同じである。歴史は繰り返すものであると嘆息せざるを得ない。って、そんなタイソな。(「おばさんの熱狂」だけでいうと、もちろん絵島事件とかあったし、江戸時代までさかのぼれるのだろうが、当時の世間の反応や庶民レベルでの性的抑圧の状況など、私はこれっぽちも知らないので、そのへんのことは田中優子にでも聞くように)。

【転】
 で、今回あらたに、私が強く感じたのは、日本人におけるオタク的行動様式の親和性である。
 あのおばさんたちの行動を見ていると、
・テレビは欠かさず見て、デッキ買ってまで録画。
・マニアは大枚はたいてDVD-BOXまで買う。
・雑誌やムック、原作本を買いあさって、周辺情報ももれなく入手。
・ドラマのディテールにも関心を持って、ヨン様の乗ってる車がどうだの、あのシーンのロケ地はこうだのと、うんちく合戦。
・ロケ地観光はもちろん、来日したヨン様が立ち寄った店にまで出かけて喜ぶ。
・本人がひと目見れるならと、空港や立ち寄り先に群がる。
 まあ、コアなファンはみなそうだともいえるが、これはたとえば、アイドル声優をおっかけてる「大きいお友だち」なんかとまったく同じじゃないのかなあ。

【結】
 あー。てことは、ペ・ヨンジュンの来日当時に吹き荒れた、ブログや掲示板での「おばさん叩き」の嵐は、あれは「同族嫌悪」、「近親憎悪」てやつだったのか。オヤジどもが中高年女性の(あってはならないと思っていた)リビドーに反発したように、おばさんたちの(持ってるはずがないと思っていた)オタキッシュなエネルギーを無意識に感じ取って、驚いたとか怯えたとかということかもしれない。
 ひゃー、なんともはや。


2005年3月6日(日)

▼年度末の多忙とプレッシャーからくる逃避願望と軽鬱で更新意欲が低下中。ちょっとは前向きな人間になりたい。もしくは後ろ向きに暮らしたい。

▼そんなことはさておき、このごろ2周回ったぐらいで、「ポストモダン」が気になっている。
 デリダだバルトだフーコーだという、1周目の話はもうどうでもよくて(ほんとはよくない)、それを踏まえて現代の日本社会はどうなっておるのか、我々はそこで如何に生きるべきかという2周目の議論もどうでもよくて(ぜんぜんよくない)、結局ぐるぐる回ってもとの位置っていうか、「学者と物好き以外、だーれもポストモダンなんか気にもしてないやん」という、素朴な事実の前でとりあえず呆然としている。
 たとえば、「伝統を大切に」っていうけど、そもそもその「伝統」が嘘っぱちで、みんなで持ちきれるもんじゃないというのがわかって粉微塵になったのが「ポストモダン」だったはずなのに、多くの人は何の反省もなくうわべだけ復古を遂げようとする。
 あるいは、「地域共同体の復活」。昔の町はみんなあったかくて、近所づきあいも人情味にあふれてたのに、という議論が普通にあって、みんな懐かしい目をして語る。でも、コミュニティが失われたのは、社会が殺伐としたせいでも都市化が進んだせいでもなくて、だれもそれを必要としなくなったせいだ。それがポストモダンだろう。

 最近とくに、「それ」が壊れた原因を見ようとせずに、なら壊れた「それ」をうまく作り直せばいい、みたいな議論ばかりなのでうんざり中なのである。
 だれか、その辺を平易に論じた、しかも公務員が仕事に生かせそうな本を紹介してください(宮台以外)。


2005年3月8日(火)

▼箱入りのね、食玩みたいなフィギュアなんだけどね、「真・三国無双3 無双選集」ていうのがあるの。これがあんた、塗装の凝ってること。ずっと前からゲームの方をやり倒してきた、うちのなおちゃんとともちゃんとお父さんは大喜びです。お母さんはあまり喜んでないようです。
 でも、1個500円は高いなあ。このクオリティじゃ仕方ないんだろうけど。購入係のお父さんはそこだけちょっと悲しいです。

▼今朝はともちゃんの機嫌が悪かった。
 お兄ちゃんとはちがって、もともとねぼすけだから、起きてからもぐずぐずするというのは珍しい話ではないが、今日はそこへふくれっ面が加わって扱いにくいのなんの。
 朝ごはんはよ食べやー、お着替えしてやー、と精一杯やさしくせかしても、怒った顔のままなかなか動かない(ゆーっくり、のそーのそーとは動く)。
 出勤の時間になったので、あとはサイに任せて、いってきまーすと叫んでも顔すら向けやがらない。
 なんですか。なにか私が気にさわるようなことでもしましたか。

 そんなこんなで仕事を終えて帰宅すると、今度はともちゃんの方から寄ってきた。
「おとうさん、あさはごめんなさい」(棒読み)
 本人も悪いと思っていたんだろうが、きっとサイにあやまっとけと注意されていたのであろう。風呂に入る直前だったのか、ちんちんをほり出したままかけ寄ってきての台詞である。
「かめへんかめへん。せやけど、朝はなんで怒ってたん?」
「わからん」
「お父さん、なんかしたか?」
「ううん。ぜんぜん」

 まあ、なんか、いつものこととはいえ、なんぎな6歳児ではある。


2005年3月11日(金)

▼先日の新聞によると、司馬遼太郎の著作は約600冊で、合計1億8千万冊ほど売れているらしい。
 さすがに国民的作家と呼ばれるにふさわしい数字であると思うが、私はむしろ意外と少ないように感じた。
 だって、たとえば、あだち充の単行本が1億冊を超えたと聞いたのは「H2」の連載中だったと思うから、もう20年ぐらい前だ。それに今年の正月には、井上雄彦の「スラムダンク」が1作品で(巻数は多いが)、1億冊超えたという全面広告が五大紙に出ていたし。
 それを考えると、司馬遼太郎の1億8千万冊はどうなんだろう。ネームバリューも社会的地位も、おそらく後の二人より懸絶しているといってよいと思うのに。
 マスコミではほとんど評価されないけれど、コミックスのマーケットの巨大さを思わざるを得ない。

▼明日はともちゃんの卒園式です。赤ん坊のころから、ほんとに長いあいだ、よくがんばったね。

▼なぜそんなことをはじめたのか私にもすでにわからなくなってしまった昨年10月からの怒涛の更新でこの間には雑文祭ネタもあって順調にアクセス数も伸びていたところなのですが今月に入って心の中でいろんなものが折れてきたのでしばらく更新をお休みします。

▼   枯枝ほきほき折るによし    放哉


2005年3月12日(土)

▼3月半ばのわりには気温が低くて、寒かったのだが(とくに外での記念写真)、いよいよ本日がともちゃんの卒園式。
 流れもお歌も、もちろんなおちゃんのときとほぼ同じだったが、はかま姿の山川恵里佳先生が、ほろほろと泣く姿はやっぱりかわいかった。
(以下私怨)
 それはともかく、PTAちゅか保護者会の会長のあいさつが長くてうざかった。ゆとり教育で学力が奪われているとかへちまとか言う前に、お前の息子のタチ悪いのをなんとかせえっちゅうねん。こないだもお前とこのクソガキに膝蹴りかまされて、ともちゃんはパンダ目で帰ってきてんぞ。ともちゃんは、お前とこのクソガキと小学校が別になることを心底喜んでるんだぞ。クソてめー、でかい面しやがって。

▼ともちゃんは、「ごくせん」がめっちゃ好き。なにがあっても毎週欠かさず見ている。どうやら、仲間由紀江がどうとかいうより、「おだぎりりゅうがかっこええ」って、イケメンのお兄ちゃんたちをすっごく気に入ってるようだ。かれらを見上げるようにして、画面に見入っている。
 え~、あんなんなりたいのかともちゃん。かっこよくなるのは歓迎だが、ケンカと夜遊びが大好きなDQNになるのだけは勘弁してくれよ。


2005年3月13日(日)

 今日はとくに予定もなかったので、サイは髪を切りに美容院へ出かけた。
 ところが、帰ってきたサイを見て、ともちゃんが開口一番、「おかあさん、ユジンみたい」とのたまった。
 そりゃもう、韓国ドラマファンのサイの喜ぶことといったら。

 だから、そんな手管をどこで覚えてくるのか貴様。


2005年3月15日(火)

 ともちゃんがすごい熱を出した。夕方時点で39度くらい。
 困ったのが両親である。どちらも仕事がつかえていて、明日はどうにも休んでやれそうにない。とりあえず薬を飲ませて、熱の下がることを祈るばかりである。
 すると、なおちゃんが言った。
「ぼく、学校休んでもええで。ともちゃん見といたげる。心配やから」
 そんな、おまえ、弟の看病で学校休むって。4年生の分際で。
「ううん。べつに悪いと思えへんし」

 と、ここまでは、真夜中に腹ペコのまま残業から帰宅した私がサイに聞いた話。
 私は、なおちゃんの眠る2階にむかってつぶやいた。
 いいお兄ちゃんに育ったな。でも、学校休むってのはなしだぞ。

 ともちゃんの熱が下がりますように。


2005年3月16日(水)

 今日、仕事で別の部署にちょっとした書類を持っていった。
「ええっと、すいませーん」
 誰にともなく言うと、カウンターの近くで机に向かっていた若い女性が、顔を上げて立ち上がった。
「はい」
 来客ににっこり微笑むだけでも公務員には珍しいのに、その女子事務員は突拍子もない美人だった。
 いや、可愛い過ぎるとでも言えばいいのか、山田優を、まだもうワンランク上品にした感じである。本気でびっくりした。
 私は急にしどろもどろになって、
「いえ、あの、これ、ど、どこに持っていけば、いいですか、あの、すいません」
 もちろん彼女は、私の妙な態度を警戒もせず、にこやかかつ丁寧に教えてくれた。
 もうなんか、こっちは見とれてドキドキしっぱなし。

 そんなことぐらいで脈拍あがったり、喜んだりする私はすでに四十過ぎ。
 みずみずしい少年の心をまだ持ってるって自慢してもいいですか。
 「子持ち童貞」ですかそうですか。ほっとけ。


2005年3月31日(木)

 今日は、なおちゃんもお休みで、休みを取ったサイと一日過ごしたらしい(ともちゃんは学童保育の慣らし運転で学校)。
 二人してひまを持て余して、昼間に将棋を指したらしいのだが、そこでのやりとり。

 そもそもサイは、将棋なんてさっぱりなので、当然なおちゃんが圧倒する。
 で、盤面の駒をどんどん取られていくサイは、開き直ってなおちゃんの持ち駒に手を伸ばした。
「ちょっと、これちょうだい」
「えー、それ、ぼく取ったやつやん」
「ええやん、けち」
「えー」
 サイはかまわず、なおちゃんの手から歩やら桂馬やらを取り上げて使う。
 でも結局は、またまたなおちゃんに追い詰められてしまう。
「王手やで」と、なおちゃん。
「えーっと、次はここ行こかな」
「せやから、王手やのに」
「ええねん、それ取っといて」
「王さま取られたら負けやんか」
「お母さん、別にかめへんもん。ちょっとこれちょうだい」
「またやー」
「お母さんの、全部取ったらなおちゃんの勝ちやから」
「えー」
 めちゃくちゃである。なおちゃんもさすがにあきれて、途中からは二人とも抱腹絶倒しながらだったらしい。
 それでも、サイは結局、自陣の駒を全部取られて負けたらしいが。
「お母さん、ともちゃんみたいなことばっかり言う」
 なおちゃんの鋭い指摘で、のどかな昼下がりの将棋は幕となった。

 その夜、その一戦の報告を終えたサイは、私に尋ねた。
「なあ、あたしってともちゃんみたいかなあ」

 似てる似てる、めっちゃ似てる。


2005年4月6日(水)

 今日はともちゃんの入学式でした。
 朝から紺色のブレザーに小さなネクタイ、そこへ半ズボンを着せて、まんま入学式ファッションです。もちろん足元は、白のハイソックスに黒革のローファーです。
 出がけに、玄関先で声をかけました。
「ともちゃん、今日は入学式やから、保育園のお友だちもおるけど、走り回ったりしたらあかんで。かしこうするんやで」
 べつに厳しく注意したわけではありません。しゃがんで肩を抱いて、微笑みながら言っただけです。
 ところが、それでともちゃんのどこかにあるスイッチが入ったのか、ともちゃんはうつむいて立ちつくしたまま動かなくなりました。サイが、時間だからもう行かないと、とうながしても動きません。
 そのうち、ともちゃんは手の甲で目元をぬぐい、嗚咽を漏らしはじめました。泣き出したようです。
 えー、なんでやー。なにがあかんかったんやー。
 狼狽したのはお父さんです。こうなるとともちゃんはてこでも動きません。入学式だというのに。
 抱き上げても、いやだいやだとむずかるし、おんぶしてもおろせとわめくし、サイは切れかかるし、もうなんかおろおろ状態です。100メートル進むのに10分以上かかりました。遅刻するっちゅうねん。
 なんとかかんとか説得して、止まっては進み、進んでは止まりしながら歩き出したのですが、ともちゃんはめそめそしたままです。学校が近づくと、他にも幸せそうな親子がたくさん歩いているのに出くわしたのですが、なんでうちの子だけ泣いてるんでしょうか。
 とりあえず、会場の体育館にたどり着いたところで、6年生のお姉ちゃんに席まで案内してもらえることになって、ともちゃんはやっと泣き止みました。女性の前では見栄がはたらくのでしょうか。とりあえずひと安心です。
 と、そこでサイが言いました。
「あー、スリッパ忘れたー」
 こらー、体育館では上履き持って来いってプリントに書いてあったのにー。ともちゃんめそめそ事件のおかげで失念したらしいです。
 俺が家まで取りに走るんかい、と揉めていると、サイは家で待つなおちゃんに電話をかけました。
 待つこと5分。両手に一足ずつスリッパをつかんだなおちゃんが、首から家の鍵をぶら下げて、息を切らせて駆けつけてくれました。えらいぞ5年生。やるな5年生。でも、スリッパを袋かなんかに入れて持って来るという知恵は浮かばなかったのでしょうか。
 まあ、そんなこんなで、無事ともちゃんの入学式を迎えることができたのでした。

 そして入学式の冒頭、体育館にマイクの音声が響きました。
「開式の辞。一同起立」
 当然、みんなごそごそと立ち上がる。
 そこへ引き続きマイク音声。
「……入学式を始めます国歌斉唱」
 やられたー、そうきたかー。ひと呼吸どころか句点すらないほどの一気呵成でした。みんなすでに立ち上がってしまっていて、きっかけもないので座りようがありません。そういえば4年前、なおちゃんの入学式のときは、先生の中にさえ座っている人間が少なからずいたのですが、日教組系君が代反対派もここであらためて座ってしまう度胸はないようです。

 私は感心しました。これはある意味いいアイデアだと思います。わざわざ「国歌斉唱だから立て」と言われたのなら、気合で座り続けてもいやすいでしょうが、立ったままのところへ国歌が始まるのでは、周囲が全員立っている以上、座るには格別のエネルギーが要る道理です。それに、反対派にとっても、「開式やていうから立っただけやし。国歌斉唱のために立ち上がったわけちゃうし」と、内心のいいわけもしやすいような気がします。
 ほほう、と思いながら、私はお通夜の参列者の念仏のように、陰気でバラバラな君が代の斉唱をやり過ごしたのでした。

 入学式が終わると、1年生は教科書をもらったり、保護者への連絡があったりするので、みんなで教室へ向かいました。
 初めての担任の先生は、髪の長い女性の先生でした。先生の年齢はさておき、見た目の話をすると、もし私がこの教室の子どもだったら、速攻で「ベラ」というあだ名を献上していたにちがいありません。
 それはともかく、ともちゃんの席は最前列でした。となりの男の子が、ジャイアンのコスプレかと思うくらいそっくりだったのがおかしかったです。
 やっぱり、ともちゃんはここまでくるとかしこく、先生の話を一生懸命聞いています。保育園時代の名残か、小さい椅子に背筋を伸ばして座り、両手は甲を上にして太ももの下にはさんでいました。お道具箱を開いて教科書や教材を確かめるのも、先生の指示通り、初年兵の訓練のように律儀にこなしておりました。

 ともちゃんは、今日から1年生ということらしいです。なんだか変な感じです。このサイトの最初の頃の日記を読むと、言葉もまだろくに話せなかったのに。もう5年生のなおちゃんだって、まだ保育園だったのに。月日がたつのは早いというかなんと言うか。

 ともあれ、これからの学校が楽しいところだといいね、ともちゃん。


2005年4月9日(土)

 心斎橋の大丸で「M.C.エッシャー展」をやってるというので、めんどくさがる子どもたちを、無理やり引き連れて見に出かけた。
 もとよりエッシャーは、幼少の頃より私のお気に入りである。その原画が一堂に会してあるというのだから、見に行かない手はない。それに、不可能図形や平面の規則分割を題材にしたかの版画群は、わかりやすいし面白いし、なおちゃんも喜んでくれるだろうという目算もあった。
 なおちゃんは一生懸命見てくれた。
 ともちゃんは、入場するなり、「出てもいい?」だの、「しんどいー」だの、見る気もへちまもない。
 初期の版画から、「滝」、「ベルベデーレ」、「爬虫類」、「版画画廊」、「出会い」などなど、代表作が目白押しで、私はとてもうれしかった。なおちゃんもけっこうじっくり見て回ってくれてなにより。
 帰りに、東急ハンズなどにもよってあれこれ見て帰宅。
 私は一人満足していたのだが、夜になってサイが耳打ちしてくれた。
「ともちゃんが言うてやってんけどな、『あんまり行きたなかってんけど、お父さんが行こう行こうって言うから』ってぼやいてたで」
 そうか。そうですか。悪かったな。
 一つ一つじっくり見てたなおちゃんについてもこんなことを。
「なおちゃんもな、『あんまり面白なかったけど、お父さんがすすめるからちゃんと見とこうと思って』やて」

 えーいもう、どいつもこいつも。


2005年4月12日(火)

 普通はどこの職場でも3年くらいいることが多いのに、今日いきなり異動だって言われた。
 いまの職場はまだ2年なのに。おととし異動してからこちらというもの、慣れない業務のせいか、かなーり積極的に無能をさらしてたので、「こいつあかんわ」と見限られたのかもしれません。ていうか、後任がバリバリできる先輩であることを思うと、その通りのような気がします。

 でも、今度行くところもなあ……ぜんぜん向いてるような気が……むにゃむにゃ。

 とりあえず、今度は一年もてばよしとしてください。

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