パンダ侍

1999年8月24日公開。眠狂四郎が好きなんだ。


 もう流連(いつづけ)も三日になる。パンダ之介は、本所深川の船宿の二階から欠伸をかみ殺しながら通りを眺めていた。
 既に日は高く、小商人や職人の忙しく立ち働く姿が見える。ひと抱えばかりの笹を用意させて釣り船でも仕立てようかと思ったが、それも億劫で、パンダ之介はこうして朝から一刻ほど窓辺に座っている。
 通りの向こうから、砂煙を立てて走ってくる男の姿が見えた。下っ引きの八兵衛だ。襷掛けに尻端折りで、顔を真っ赤にして駆けてくる。
 窓框に腰掛けているパンダ之介を見つけると、つんめるようにしてたたらを踏んだ。
「旦那っ、てえへんだてえへんだ。こないだから神隠しってんで大騒ぎの、武蔵屋の女房が見つかったぁ。それも心中でぃ。」
 パンダ之介は、まだ肩で息をしている八兵衛を、険しい眼で見下ろした。
「そんなことを大声で言う奴があるか。すぐに行くからそこで待っていろ」
 敵妓(あいかた)の小糸に声をかけようとして奥をのぞくと、小糸は肌襦袢についたパンダの毛を毛抜きで取り除いている最中だった。
「もう、旦那は毛深いんですから」
 そう言って頬を赤らめた。
 パンダ之介はそれには構わず、出掛けることを告げた。
「やですよぉ、危ないことは。旦那にもしものことがあったら、あたしは明日からどうすりゃいいんですか」
「危なくはない。それに俺は」
 パンダ之介は背中を向けた。
「明日のために今日を生きておらぬでな」

 黒羽二重の着流しに細身の大小を落し差しにして、パンダ之介は表へ出た。
「いえね、今朝がた大川で手に手をくくりつけた身投げの死体が上がったんでさぁ。そこへ集まった野次馬の一人に武蔵屋の丁稚がいやぁがって、そいつが奥様だってんで……」
 ともすれば前脚も使って大股で歩くパンダ之介の横を小走りに、八兵衛が説明を続ける。
 そのうちに両側に寺院の長い塀が続く、昼なお人気のない処へさしかかった。
「で、銀次親分が、旦那を呼んで来いってんで、もう探したのなんの……」
 途中、八兵衛の説明にも一言も発さなかったパンダ之介が、前を向いたまま小声でささやいた。
「もういい、続きはあとで聞く。黙って先に行け」
 いぶかしげな八兵衛に重ねて言った。
「いいから先に行け。説明は後だ」
 ただならぬ気配を感じたのか、八兵衛は顔を引き締めてうなずくと、脱兎の如く駆け出した。
 八兵衛の姿が見えなくなったのを確かめて、パンダ之介はゆっくりと振り返った。
「姿を見せたらどうだ」
 その瞬間、パンダ之介の腰から一筋の白光が疾った。ぴいん、と金属音がして一本の手裏剣が地面に突き立った。手裏剣を払ったパンダ之介の大刀は、既に鞘に納まっている。
「忍びか」
 パンダ之介は塀の向こう側に立つ欅の大木を見上げた。
「そこにいることはわかっている。俺に隠形の術は役に立たぬ。居場所を明かしたときが忍びの死ぬときと知れ」
 言い終わらぬうちに、手裏剣が立て続けに飛んできた。今度は剣を抜かず、二間余りを一歩で飛び退った。
 手裏剣を追うように、忍び刀を手にした大店の番頭風のいで立ちの男が地面に降り立った。むっくりとした体型で、顔を頭巾で覆っている。
「武蔵屋の件からは手を引いてもらおう」
 背を丸めるように、忍び刀を下段に構えた。
 それに応えて、パンダ之介はすらりと二尺八寸の大刀を抜き放った。
「そういうわけにはいかんな。丁度退屈していたところだ」
「ならば死ね」
 男の太刀が下段から跳ね上がるようにパンダ之介の小手を襲った。パンダ之介は刀を胸に引き付けてそれを躱し、身体を開いて男の首筋をしたたかに薙いだ。忍びは面金と鎖帷子を用いる。首の一点しか弱点はない。
 男は泳ぐようにして頽れた。即死だった。
 パンダ之介は男の頭巾を剥ぎ取った。
 赤い眼、長い耳、白い毛に覆われた顔。
 男はウサギの姿をしていた。

よろしければサポートをお願いいたします。いただいたサポートは、創作活動の大きな励みになります。大切に使わせていただきます。