スガノさんの公園(2)

2004年4月18日公開。短編小説(四百字詰め約70枚のうち後半部)


 モリモトは翌朝帰ってきた。スガノさんが明け方集めて回った空き缶をつぶしていると、モリモトの姿が目に入った。
「おおい」
 スガノさんが声をかけると、モリモトは、遠くでちらりと顔を向けて会釈した。怒られたのがこたえているのか。
 スガノさんは大きく手招きした。モリモトは渋々と言った様子で近づいてきた。
「どしたんだい、ゆうべは」
「駅の軒先で」
「ああ、じろちゃんてのがいたろう」
「他の人とは話しませんでしたから」
 スガノさんは鼻をならした。
「ちょっとこれ、手伝え」
 スガノさんは、昨日のことなどなかったかのようにモリモトに接する。
「昨日は、仕事でも探しに行ってたのかい」
「ええ、まあ」
「なんもなかったろ」
 モリモトは肩をすくめただけだったが、それでも散らばった空き缶を拾っては踏みつぶしはじめた。
「ホームレスの人って、たくさんいるわりにだいたい固まってるんですね」
 スガノさんは腰を伸ばした。
「なんでだと思う」
「そりゃやっぱり、さびしいんでしょうか」
「こわいんだよ」
「なにがですか」
「ま、ふたつかな。シノギとガキども」
「シノギってなんですか」
「早い話が強盗だよ。ホームレス相手の」
 モリモトがくすりと笑った。
「強盗ったって、なに取るんですか」
「なんも取るもんなんかないみたいだけどな。取る方も必死だからな。千円札の一枚でも十分ってのがいくらでもいるんだ」
「子どもは」
「こいつらはほんとむちゃくちゃだからなあ」
「塾帰りのガキは、花火を放り込んだり、空き缶ぶつけたりして、さっと逃げちまう」
「たちの悪い不良どもは、よってたかって殴ったり蹴ったりだ。たまに新聞にのるだろ、ゲーム感覚のホームレス狩りとか」
 それで植物人間になったものを、スガノさんは知っている。南のほうの高校のそばでは、去年一人殺されていた。
「ガキどもに殺されるやつだっているんだ」
「こ、殺されるんですか」
「ああ、ひでえもんだ。ま、そんなのはめったにないけどな。それでも、このあたりだけでも、なんだかんだで毎年十人ぐらい野たれ死んでんじゃないか。病気や凍死がほとんどだけどよ」
 昼食の時間になった。
「おう、今日は炊き出しでも行ってみっか」
 国道をこえて大きな公園に行くと、すでに五十人以上並んでいた。顔の広いスガノさんはあいさつに忙しい。モリモトはたくさんのホームレスに紛れて、小さくなっている。
 炊き出しは、毎日、いろんな場所で行われている。ボランティア団体がやってるのがほとんどだが、アーメン系の団体も多い。そういうのは、飯を食わせる前に長々と説教を聞かせようとするので、スガノさんはあまり利用しない。
 今日の炊き出しはほんの少しの肉じゃがと七分がゆだった。それとたくあんがふた切れ。
「もうちょっと腹にたまるもん食わしてくれりゃと思うけどよ、ぜいたくは言えねえや」
 食事のあとでモリモトといっしょに、リヤカーを引いて、ホームレス相手の廃品回収業者の店まで行った。といっても、これも路上にはかりを出してるだけで、ほとんど露店のようなものだが。
 スガノさんは、親父に評判がいい。空き缶はつぶしてくるし、スチール缶を混ぜたりもしない。ずるいやつは、空き缶に水や砂を入れて、少しでも目方をごまかそうとする。ひどいやつは、空き缶の間に水を詰めたペットボトルを混ぜたりしてくる。親父はベテランなので、そんな袋は一瞥しただけで見破ってしまう。
 スガノさんが集めた空き缶は、千円分を少し超えるくらいだったが、親父は千円札を二枚差し出した。
「弟子っこができたお祝いだよ。ちゃんと教えてやんな」
 スガノさんはありがたく受け取った。モリモトに一枚渡した。
「これがおれの仕事だ」
 モリモトは考え込むような表情になった。
 スガノさんはにやりと笑って声をかけた。
「どうだい、これで、あと何十年も食ってくつもりかい」
 モリモトはうなった。
「でもまあ、これしかないのなら」
「無理ならやめときな」
 スガノさんは笑ってモリモトの肩をどやしつけた。
 数日は何事もなく過ぎた。スガノさんが放置自転車をがめているやつに話をつけて、モリモトは、一台格安で手に入れた。それで空き缶を集めたり、職安へ出かけたりしている。
「今日、役所へ行ってみたんですけど。五十前だってわかったら話も聞いてくれなくて」
「役場なんてそんなもんだ」
「だって、忙しいんだからとっとと帰れとか言うんですよ」
「あいつらの仕事は、ホームレスを助けるんじゃなくて、追い返すことだからな」
 実際のところ、ホームレスが役場でよくしてもらった話なんて聞いたことがない。金がないと言えば、働けと言われるだけだ。仕事がないと言えば、探せばいいだろ、病気だと訴えてさえ、知ったこっちゃないと言われる。役所には役所の理屈があるのだろうが、スガノさんもあんまりだと思うことが多い。
「スガノさんは役所へは行かないんですか」
「まあ、もう何年かすりゃ、民生にもかかれると思うんだけどな。暮れに行ったときは、まだ若いんだから働けってよ。おまえと同じだ」
「若いったって、ねえ」
「お役所は杓子定規だからな。六十五までは鼻もひっかけやがらねえ」
 その晩、スガノさんが寝ていると、遠くの植え込みの裏で怒鳴り声が聞こえた。
 しんさんの声だ。また、のぞきがばれて男の方ともめてるんだろうと、気にもせず寝返りを打った。
 公園の西側に当たるそのあたりにテントはない。だから、昼間は子どもたちの遊び場にもなるし、日が暮れるとアベックが来たり、若者がたむろしたりする。スガノさんも、そこに住もうとするホームレスがいると、自分たちの固まっている方へ来いと注意したりする。
 しんさんは、そのあたりの植え込みの裏にベンチを引っ張っていって、アベックを待ち構えてすごす。本人は夜のお楽しみだと言っているが、ただののぞきだ。そして自分は、これも自分で積み上げた粗大ゴミの陰に隠れる。
 都合よくだれにも見えない処にあるベンチを疑いもせず、アベックはよくそこでいちゃつく。たまに本番に及ぶやつもいる。
「死んでどうすんだばかやろう」
 ところが、そんな怒鳴り声が聞こえたので、スガノさんは寝床から這い出した。つっかけを履いて表に出る。
 真夜中の公園を横切って近づくと、サツキの植え込みの裏で、若い男が正座してしんさんに怒られていた。
 男の膝元には、わっかに結んだロープが落ちていた。おおかた桜の木で首でもくくろうとしたのか。
「しんさん、どしたい」
 スガノさんは声をかけた。
 しんさんは顔を真っ赤にしている。
「こいつがよ、首くくろうとしやがったんでとめたんだよ」
 その若い男は、うなだれたまましゃくりあげている。スガノさんは名前をたずねた。アオキというらしい。そういえば、ここしばらく昼過ぎになると。この公園にきて所在なげにしているやつだ。
 二十歳にもなって浪人中で、成績も思わしくなく、先月から死ぬことばかり考えているという。
 スガノさんはぶん殴ってやりたくなった。が、思いとどまった。
「おまえそりゃぜいたくっていうもんだろう。親のすねかじって勉強させてもらって、それで死のうたあ、了見ちがいもいいとこだ」
 スガノさんは説教する気にもならなかった。
「帰ればか。今度この公園へ死にに来やがったら、ぶっとばすぞ」
 散々おどしつけた。親から仕送りまでもらって、大学まで行かせてもらえるってのに、死のうなんて、スガノさんは自分がばかにされてるように思った。
「明るいうちならいくらでも話を聞いてやるからよ、今日は帰って寝ろ」
 アオキは、手のひらで何度も涙をぬぐうと、背中を丸めて公園から出て行った。
 次の日、アオキはなぜか朝からやってきた。それでもスガノさんたちには話しかけづらいらしく、いつものベンチに腰を下ろしてぼんやりしていた。
 スガノさんはテントから出てきてそれを見かけた。そう言えば今日は日曜日だ、予備校とやらも休みなんだろう。
 近づいていって声をかけた。
「よう兄ちゃん、もう死ぬのはやめかい」
 アオキは、一瞬おびえたような目になった。
「あ、どうも」
「どうもじゃねえよ。もう死ぬなんてばかな考えおこすんじゃねえぞ」
 スガノさんは普通の調子で言ったつもりだったが。アオキは首をすくめて目をそらした。
「いい若いもんが勉強のことぐらいでうじうじと」
「でもあの、やっぱり苦しいんですよ」
 アオキは真顔で反論した。それでいい。スガノさんは思った。見ず知らずのホームレスにばかにされて、文句も言えないようなら本気で心配するところだった。
「苦しいなんて、おれはなあ中学出で、家もない金もない、家族もないんだ。そんなおれに向かって、よくも苦しいなんて」
 そう言いながら、スガノさんは笑顔だ。その顔を見て、アオキの表情にも笑みが浮かんだ。
「すいません。でもやっぱり大学は行きたいし。親には心配かけたくないし」
「親に心配かけたくないやつが、自殺なんてするか馬鹿野郎。お前、言ってることがむちゃくちゃだぞ」
「はあ。そうですね」
 そうしてアオキの首根っこを押さえているところへ、エリちゃんが来た
「おはよー」
 エリちゃんは相変わらずの調子であいさつをよこしてきた。
「おじさん、今月は仲間ができる月間だね」
「なんだそりゃ」
 仲間と言っても、たいていはいかにもなホームレスだが、今月はサラリーマンや学生や、たしかに妙な奴が来る。
 かまわず、エリちゃんはアオキに話しかけた。
「はじめまして、お兄さん。私はエリコ」
「アオキです」
 スガノさんは、昨夜からのことをエリちゃんに話した。
「いいなー、お兄さん頭がよくて。あたしなんて、ばかだから高校もいけないのに」
 今度は、アオキにエリちゃんのことを説明した。
「なんだか気の毒なような、うらやましいような」
 アオキの率直な感想に、スガノさんは眉をしかめた。
「お前がどうこう思うことじゃねえだろう。同情も裏返しのヨイショもいらねえよ。エリちゃんはエリちゃんだ」
「ですよね」
 アオキはスガノさんの肩越しにエリちゃんに微笑みかけた。
 数日後のある夜、今度はホームレス狩りが来た。宵の口から、公園の近くでパラパラパラパラと、馬鹿の乗るバイク音が聞こえていたので、スガノさんも気になっていたので、モリモトにも、気をつけるように声をかけていた。
 ひとり離れて、簡単な段ボールの囲いだけで暮らしているこんちゃんが狙われた。
 若造の叫び声に混じって、近ちゃんの悲鳴が聞こえた。スガノさんがテントを飛び出すと、モリモトもテントから出てくるのが見えた。
 ちゃんと小屋がけして暮らせって言ってるのに、こんちゃんはいつも適当にそこいらで寝るので、ガキに襲われるのもこの数年でもう三回目だ。
 打ち合わせどおり、二人して鍋を棒で叩いて、大きな音を出しながら、叫び散らしてこんちゃんのところへ駆けつけた。
 相手は三人だったので、それだけで逃げ散った。後姿しか見えなかったが、三人ともバットや角材のようなものを持っていた。数が多ければ、逆にやられていたかも知れない。
 こんちゃんは、頭から血をを流してぐったりしていた。腕も折れているようで、かなりの大けがだ。コンビニに駆け込んで、店長に救急車を呼んでもらった。
 救急車に続いて、パトカーまでやってきた。
 次の日、朝から警察が迎えに来た。夕べの話が聞きたいということで、半分引っ張られるような格好でモリモトと警察署まで連れて行かれた。スガノさんが警察に行くのは、半年ほど前に、ホームレス同士の喧嘩を止めて以来だ。あのときは、一方がスパナで頭の骨をかち割られたのだった。
 警察の事情聴取は結構長く続いた。二人がやっと解放されときには昼を回っていた。
「まったく、カツ丼ぐらい出したらどうなんだ。こっちは善良な市民なのによ」
 スガノさんがつぶやいた。
 帰りしな、警察署の前にある掲示板を見た。このあたりはホームレスが多いので、掲示板にはいつもたくさんの尋ね人の張り紙が出ている。それも個別のやつなんかじゃなくて、全国の尋ね人の氏名が一覧表になったやつだ。
 スガノさんがそれを指差して説明した。
「ここには全国からこうやって、尋ね人の問い合わせがあるんだ。家出したやつばっかじゃなくて、やくざや借金から逃げてくるやつも多いからな。ドヤだのホームレスだのってのは身を隠すにはもってこい……」
 スガノさんは、反応のないモリモトを見て言葉をとめた。
 モリモトは、一覧表になった張り紙の隅に目を留めたまま動かなくなっている。モリモトの視線の先を追って張り紙を見た。
「森本良昭っていうのか、あんた」
 スガノさんは、前に名刺をもらったことなどすっかり忘れていた。
 モリモトの肩を叩いた。
「電話しな。ありがたい家族じゃねえか。あんたが逃げたと思っていても、こうして心配してくれてるんだ」
 真っ赤な顔で目に涙をためているモリモトの肩を揺さぶった。
 スガノさんは、小銭しか入っていない財布から、絵柄もはげかけたテレホンカードを取り出して、モリモトの手に押しつけた。
 二人して警察署の中に戻って、ロビーの公衆電話に向かった。
 モリモトは、電話の前で立ちすくんでいる。
「早くしろって」
 スガノさんはモリモトの尻をはたいた。
「考えているんですよ。なんて言えばいいか」
 モリモトは困ったようにつぶやく。
「ばか。子どもが出れば、お父さんだよ、嫁さんが出れば、おれだでいいじゃねえか。あとはなんとでもなるって。代わりにボタン押してやろうか」
「いいですいいです」
 モリモトは手を振って断った。そして、意を決したように受話器を取り上げた。手がふるえて、カードがうまく入らない。
 なんとかカードを入れて、ボタンを押した。
「あ、いえ、あの、すいません」
 モリモトは電話を切った。帰ってきたカードを取り出す。
「どしたい」
「まちがえました」
「落ち着け、ばか」
 その間違い電話で落ち着いたのか、今度は間違えずにかけたようだ。スガノさんは一歩離れた。
「お、お父さんだけど」
 子どもが出たらしい。それだけでモリモトはぽろぽろと涙をこぼしている。嫁さんが代わったのだろう、今度は「うん、うん」とひたすらうなずいている。スガノさんは、一歩ずつ離れながら、とうとううろうろとロビーを歩き回るはめになった。
 そこへ制服の警官が声をかけてきた。
「なんか用か」
 ここのおまわりは、ホームレスと見るとあからさまに横柄だ。
「ちょっと連れが電話してるもんで」
 スガノさんは、中腰で愛想笑いを浮かべ、モリモトを手のひらで示した。
 電話は終わったらしい。モリモトは泣き腫らしたような目で、スガノさんにカードを返した。
「迎えに来るって言ってました」
「だろ。だよな。家族ってそんなもんだ。そうでなくちゃならねえ」
 スガノさんも涙声だ。
「とにかくお前は、公園暮らしなんて向いてねえんだから」
 モリモトはうつむいたまま、うんうんとうなずく。
 肩を寄せて警察署を出ると、玄関で立ち番をしていた警官が、怪訝な表情で二人を見た。
 公園に戻ると、スガノさんのテントの前にいくつかの人影が見えた。
「おかえりー。みんなで心配してたんだよ」
 エリちゃんが言った。
「スガノさんが警察に引っ張られたって言うから」
 店長はコンビニの縞柄の上っ張りを着たままだ。
「逮捕のわけないって言ったんですがね」
 と、これはアオキだ。
「なんだいなんだい、もう昼過ぎてるってのにみんなして。まさかおれを、待ってたってわけじゃあるまいし、こんなとこで」
「待ってたんですよ」
 三人が声をそろえた。
 スガノさんの後ろでモリモトが言った。
「スガノさん、いい人たち過ぎますよね、みんな」
「そりゃありがたいというのかなんというのか。それよりよ、もっといい話があるんだ」
 そこでスガノさんはモリモトの話をしはじめた。モリモトは恥ずかしいのか、スガノさんの話をさえぎろうとしたが、尋ね人の張り紙に名前があったことから、無理やり電話させたこと、迎えに来るらしいことまでを一息にしゃべった。みんなはモリモトの間違い電話のくだりで大笑いしたが、迎えに来ることになったところでは、次々にモリモトに握手を求めた。エリちゃんとアオキは、高々と両手を上げて手のひらを打ち合わせたりしている。
 店長はお祝いにといって、賞味期限の切れていない弁当を三つも振舞ってくれた。アオキとエリちゃんは、お金を半分ずつ出して、モリモトに床屋をおごってくれることになった。
 騒ぎを聞きつけたつかもっさんやげんちゃんもやってきて、いっしょに喜んでくれたが、こっちは現役のホームレスなので、スガノさん同様、なにも差し出すものがなかった。それでもモリモトには十分うれしかった。
 みんなでモリモトを囲んで、夕方まで騒いだ。ある意味不思議なことだが、モリモトを妬むようなホームレスはいなかった。みんな自分のことのように、自分がふるさとの家族に迎えに来てもらえるかのように、心からうれしそうな表情を見せた。モリモトのことが心に希望の火をともしたということなのだろうか。
 久しぶりにきれいな夕焼けが、公園を訪れた。モリモトは約束の時間が近づいたことをみんなに知らせた。
「あ、あれかな」
 エリちゃんが西の方の入り口を指差した。夕日の中を、大中小と三人の人影が進んでくる。
「そうですそうです」
 モリモトは満面に笑みを浮かべて手を振った。
「おおーい」
 三つのうちの小さい影が駆けてきた。モリモトも駆け出した。
「お父さーん」
 まだ声変わりしていない男の子の声が、夕焼けの中に響いた。
 二つの影は、公園の真ん中でぶつかり合うようにして抱き合った。
「まんま、テレビドラマじゃん」
 それをまぶしそうに見ていたアオキがつぶやいた。
「いいじゃねえか」
 スガノさんが笑って言った。
 四つの人影は、夕日に照らされて、そのまま公園を出て行った。モリモトは振り返らなかった。見送るスガノさんたちは、大声で万歳三唱した。
 ところが、一週間ほどして、スガノさんは、炊き出しの列に混じるモリモトを見かけた。思わず駆け寄って声をかけた。
「なにしてんだ、こんなとこで」
 モリモトは、黙ったままうつむいた。
「こないだ家族みんなしてお前を迎えにきたじゃないか。また、逃げ出したなんて言うんじゃないだろうな」
 モリモトは唇をかんだ。
「あのあと、家へ帰ったらいろんな書類が置いてあって」
「書類だあ」
「出て行くんなら、マンションの名義やら離婚の手続きやらをちゃんとしてくれって」
「それでお前……」
「押しましたよ判子を。二十ばかり」
 モリモトは足元を見つめて黙り込んだ。
 スガノさんは、かける言葉を失った。
「なんてこったい」
 ようやくそれだけを言った。
 炊き出しのカレー皿を持って、歩道の縁石に並んで座った。
「さすがにあの公園には戻れなくて。今はこっちに住んでます」
 スガノさんは天を仰いで嘆息した。
「もうなんか、ほんと、いやになってしまいした」
「そうか」
 二人で黙々とカレーを平らげて、皿を返した。
「ま、おれはいつでも公園にいるから」
スガノさんは、仕方なくそういい残して、公園に戻った。モリモトは返事をしなかった。
 自分の公園に戻って、スガノさんは週刊誌を手にして、お気に入りのベンチに腰を下ろした。せっかく拾った週刊誌も、読む気が起こらない。腹もふくれたし、天気もいいし、普段なら上機嫌でもおかしくないが、今日ばかりはそんな気分になれなかった。足元の小石を蹴飛ばした。そばにいた鳩が飛び立った。
「いろいろあんだなあ、まったくよ」
 だれに言うともなくつぶやいて、ベンチに横になった。腰にはさんでいたタオルを丸めて枕にした。週刊誌は開いて顔にかぶせた。
 スガノさんは眠りに落ちた。夢は見なかった。

(了)


よろしければサポートをお願いいたします。いただいたサポートは、創作活動の大きな励みになります。大切に使わせていただきます。