「筆先三寸」日記再録 1999年8月


1999年8月1日(日)

今日の更新:マジエッセイ「霊魂と心霊現象」

今日は暑かった。午後、空を見上げると見事な入道雲が、太陽に挑みかかるように伸び上がっていた。
 そこにかぶさる蝉の声に、夏だなあとも思うし、夏も終わりかなあとも思う。
 もうすぐ立秋。気をつけてると、ホントその前後に秋が来る。
 まだ1ヶ月は十分暑いけれど、今日から秋って日がきっとあるから、自分でカレンダーに丸をつけよう。


1999年8月3日(火)

 いつのまにか「1999年7の月」が終わってしまった。「恐怖の大王」も降りては来ず、「アンゴルモアの大王」も復活しなかった。小学校時代からホント楽しみにしてたのに。 「やっぱり核戦争かなあ。ほんで、僕は三十五歳かあ……全然先の話やん」 などと、わくわく期待していたのに、あっさりと7月も過ぎてしまった。 三流研究家によると、あれらの詩はユリウス暦で書かれており、現在のグレゴリオ暦換算では「7の月」とは7月半ばから8月半ばであろうなどという。でも、そんな中途半端なのは却下。「7の月」は7月のことで、もうおしまい。おれが決める。

 そんなわけではあるが、「恐怖の大王」は、本当に降りてこなかったのだろうか。 ひょっとしたら、着の身着のままで、淀川の河川敷なんかに降りてきていたのではないだろうか。

「すんまへん。このへんにアンゴルモアの大王ちゅうひといてまへんか」
「わ! びっくりした。なんや、あんたやぶからぼうに。そんな変わった名前の人、この辺にはおらんで。安藤さんやったら、そこの角曲がったとこやけど」
「いや、アンゴルモアやねん。これ起こしに行かんとどないもならんねん」
「ア、アン、アンゴロモー? 外人さんかいな」

 などという会話が、「恐怖の大王」と大阪市東淀川区原住民の間でなされていなかったともかぎらない。そして、「アンゴルモアの大王」を復活させるのをあきらめて(だって7月にはなにもなかった)、今はマクドナルドとかでアルバイトでもしているのかもしれない。

「ありがとうございましたー…………今の客、めっちゃムカツク」
「こらこら、恐大君(呼び名)、仕事中にそんな言いかたしたらあかん。それに君、怒ったら口の中に炎が見えんねん。吐くのしんぼうしてるのはわかるけど、もうちょっとなんとかならんか?」

 などと、店長に小言を食らってるかもしれない。 もう悪いことするつもりはなさそうだから、恐怖の大王を街で見かけたら、親切にしてあげようと思う。


1999年8月4日(水)

 そんなに毎日毎日、日記に書くようなことがあるわけではない。面白いことも思いつかない。それが普通だとは思うけど。
 さっきテレビでCMを見てて、「原田知世も年取ったなあ」と、感慨にふけってしまった。角川映画(「時をかける少女」!)の頃とは、たとえば薬師丸ひろ子のような巨大な落差があるわけではないが、やはり違っている。
 で、かつての原田知世のポジションには、現在、見事に一色紗英がはまっている。ついでに、一色紗英のこないだまでの場所には、なんと鈴木蘭々がおさまろうとして失敗している。
 なんか、ナンシー関の書きそうな話だけど、さっきそう思ったのであわてて書いとく(やっつけ仕事でした)。


1999年8月5日(木)

 本日、仕事で情報化基礎研修(機器操作実習)というのに行ってきた。
 もちろんうちの役所で、職員向けの研修として行われたわけだが、会場にずらりと並んだのはNECの9821Xeである。いつの機械や! とつっこむのもそこそこに、私は席について資料を眺めた。
 一番最初にハードウェアとソフトウェアの違いとかいう説明があったりするのだが、外部記憶装置の説明のところには「フロッピーディスク(3.5インチまたは5インチ)など」とあって腰が抜けそうになった。MOとかZIPとかは影もない。いまどき5インチのフロッピーなんて、どこにあるそんなの。いったいいつから、テキストの改訂をしてないんだろうか。
 しかしながら、NECから来たインストラクターズ(5、6人いる)は、みんな可愛くてミニスカートで、親切でって、じつに素晴らしかった。マウスに触るのもはじめてというどこぞのオヤジなどは、後ろからやさしく手を添えてもらって、耳元で説明してもらっていた。も少しで、右肩あたりにぽよよんである。私はパソコンを買って一年になることをこれほど後悔したことはない。

 んで、エクセルを例にコンピュータの使い方をいろいろ教わったわけです。クリックぐらい知ってるっちゅうねん。


1999年8月10日(火)

 油断してると、あっという間に5日が過ぎた。仕事が忙しいと、更新する心の余裕がなくなるね。時間よりも。
 といいながら、人にすすめられて久しぶりに本格推理小説というやつを読んだ。といっても、カーとかじゃなくて、日本の今風のやつ。
 私は本格ミステリには明るいほうではないので、トリックがどうとか、伏線がこうとかいうつもりはない。トリックもテーマも十分に面白かったし、楽しく読んだ、というにとどめておく。
 そして、ここで書きたいのは、その小説の内容についてではないので、書名を挙げるのは差し控える。
 気になったのは、以下のくだりである。

 「すべては、トゥリビアル、些末だが……、無視できるほどではない……」犀川はここで言葉を切った。「つまり、諺で言うと……」
 「瓢箪から駒ですね」萌絵はすぐ答えた。
 「チェスメン・フロム・ザ・ゴァード」犀川は萌絵だけに聞こえる小声で囁く。 

 もちろん、この学者探偵は理工系なので、文科系の教養に欠けるのは構わない。著者がわざと間違えさせたと考えられなくもない。
 けれど、私はこの直訳に思わず笑った。
「瓢箪から将棋の駒が出ただけやったら、そりゃただの入れ物やんけ」
 そう、この「駒」は、毎年春先によく聞く都都逸、「咲いた桜になぜ駒つなぐ、駒が勇めば花が散る」の駒ですね。
 瓢箪から馬が出てくるから、びっくりもするのである。

 でもなんか、瓢箪から馬が出てくるって絵は、極端でおもしろい。で、どうも道教くさいように思う。禅の公案でも瓢箪はよく出てくるけど。
 中国の四世紀ごろの本に『神仙伝』というのがあって、そこに「壺公」という仙人が出てくる。
 市中で万能薬を売るこの仙人は、日が暮れると軒先に懸けた空の壺に飛び込んで姿を消す。それを不思議に思った一人の役人が、いっしょに飛び込ませてもらうと、そこは仙宮の世界だった、という話である。
 これは一般には「壺中天」という故事として知られている。早い話、ハクション大魔王の壺である。
 「瓢箪から駒」も、このへんに関係ありそうな気がする。
 誰か詳しく知りませんか。


1999年8月11日(水)

 ここ2、3日、1年ぶりくらいでCDウォークマンを使っている。
 自分でも耳が痛くなるくらい音量を上げて聞いてるつもりなのだが(ロックだし)、ヘッドフォンをはずしてみると、それがあんまりシャカシャカいってない。音漏れ防止が完璧にできるようないい機械でもないので、これはボリュームの気合いが足りないせいだと思う。気合いとかいうものでもないと思うが。
 そこで、がんばって本体&リモコンともども最大音量にしてみたら、これがあんた、耳突き抜けて目の奥から鼻の付け根まで、ギューっと痛くなってきたのであわててやめた。ベトナムで米軍がやってたとかいう拷問を思い出した。
 たまに電車なんかで、1メートル離れてても歌詞が聞き取れるほど音漏れしてる奴がいるけど、あいつらはなにか、耳の中に粘土でも詰めてからヘッドフォンをしてるのか。それとも、あの耳に見えるものは何か他の器官か。で、音圧で肩こりでも直すつもりか。案外、ヘッドフォンに見えるあれが別のものなのかもしれない。実はヘッドフォンと見せかけた外向きの小さいスピーカーで、シャカシャカ音で電車の客の苛立ちを高めて、ケンカでもさせるつもりか。それが地球征服の第一歩なのか。ということは、あいつらは新手のメトロン星人か。
 いっぺん、たずねてやろうと思うんだけど、どんな大声出しても聞こえないんだろうなあ。


1999年8月13日(金)

 あ、今日記を書こうとして気がついた。今日は「13日の金曜日」だ。
 と書き出して、「13金」ネタで引っ張ろうと、いま福音書だのカバラだの書き始めたんだけど、あまりの知ったかぶりに我ながら嫌気がさして、全部削除。
 きょうは、久しぶりにお休みでした。妻は仕事でした。保育園は盆休みです。
 そこで、簡単な算数の問題。4-1=?  答えは、「過酷」、もしくは「こんなはずではなかった」。
 プールを出して、遊ばせて、ちょっと寝かせて、飯食わせて。それを2クールこなすだけで1日が終わった。そしてその間、ずっと「泣く」「わめく」「怒る」「笑う」「飛びかかる」「おむつをかえる」、その他もろもろのオプションがつくんですの。
 世界中の専業主婦の皆さん。あるいは、家庭で子育ての中心を担ってらっしゃる老若男女の皆さん。
 私が悪うございました。もう勘弁してください。
 で、14日(土)も15日(日)も仕事です。これはこれでヤなもんです。


1999年8月15日(日)

今日の更新:マジエッセイ《高見広春『バトル・ロワイアル』》

 日記は、毎日書こうと思うのだが、これがなかなかにむつかしい。
 更新しようとする時間帯は、おおむね10時半から11時過ぎなのだが、この時間帯は本当に眠いのである。晩酌のビールと、子どもと入った風呂上りのビールが、ダブルで睡魔となって襲ってくるのがちょうどこのころなのである。もう眠いなんてもんじゃない。気がつくと腕組みしたまま眠ってたりする。午後一番の重要な会議に匹敵するほどの眠さである。
 それでも、12時を過ぎると、今度は反対に目がさえたりする。会議が終わったときみたいに。
 昨夜も本当は日記を書きかけていたのだが、7行ほど書いたところで、椅子から崩れ落ちて床で眠ってしまった。意識を失ったんじゃなくて、半分はわざとだけど。
 で、1時間ほど眠って、目がさめたら、書きかけの日記の末尾はこんな文章になっていた。

「高校野球を見ながらというものの青春の日記の、スパイがうしろからくるとか」

 あんまり面白いので、ここだけ残しといた。朦朧としながら、こっくりこっくりしながらいろんなことが頭をよぎってたのは覚えていたけど、こんな変な文章になってるとは。これじゃまるでダウナー系のおクスリきめてる人か、シュルレアリストじゃん。
 バロウズじゃあるまいし、ってんで昨日の日記はなし。
 じゃあ、12時回ってから書けば、という考えもあるが、12時回ると目はさえても、今度はまとまった文章にするための集中力がなくなってくる。年取るってホントにヤだよね。
 ことほどさように日記の更新は大変なのである。みなもありがたがるように。


1999年8月16日(月)

 今日帰りの電車の中で、とてもゴリッパなおじさんを見た。
 時刻は11時、がらすきの車両内で、金髪のヤンキーらしき兄ちゃんが携帯電話を使ってどっかの誰かと話していた。別に大声というわけではない。向かいに座っている私にも会話は聞き取れなかった。
 すると、同じ車両の向こうの方から、赤い顔をした中年男性がその兄ちゃんの目の前にやって来て、
「電車の中で携帯を使うな!」と注意した。
 ちょうど電車は駅に止まったところで、あまつさえそのおじさんは、金髪の兄ちゃんの襟首をつかんで電車から引きずりおろしたのである。「おりろ!」と怒鳴って。
 酔っ払いにかかわり合うのは得策ではないと考えたのか、その兄ちゃんはおとなしく降りていった(たぶん別の車両に移ったと思う)。
 そのおじさんは得意満面で、さっきまで兄ちゃんが座ってた場所(私の向かい)に腰を下ろした。
 それで、隣に座った何の関係もないばあさんに、とくとくと話し始めたのである。いかに今の若者のマナーがなってないか、私が毎日注意しつづけてるか、車内の携帯がどれほど不愉快なものか。それも大きな声で。
 お前の方がやかましいっちゅうねん。

 電車内の携帯なんて、大阪じゃいまどきオールオッケーなのに。ていうか、注意するのも馬鹿らしいほどみんな使ってるからもう慣れた。あのおじさんは関東なまりがあったから思うんだけど、関東じゃまだまだ携帯の使用にはうるさいんだろうか。
 なんかくだらない。携帯かどうかは関係ないと思う。二人の大声の会話がうるさくなくて、小声の携帯がうるさいんだろうか。結局はうるさいかどうかだと思うようにしてるんだけどね、私は。

 まあ、電車内の携帯電話は車内の共同体意識に亀裂を生じるから不愉快とか、独り言やヘッドフォン同様に他者をあからさまに拒絶するから不愉快だとか、会話の片方のみを聞かされるのは不可解なので気分が悪いとか、そんな議論もあることは知ってるけど、そんなの個々人の感情論じゃん。

 うるさいやつぁうっとうしい。私はそれが基本。
 つっても、私は電車内で電話しませんけどね。バカ丸出しに見えるから。


1999年8月17日(火)


 今日、「オルセー美術館展」(神戸市立博物館)へ行った。もちろん一人で。
「19世紀の夢と現実」と副題をつけるだけのことはあって、19世紀のかなり充実したコレクションが公開されていた。思ったこと感じたことはいくつかあったが、それはいずれ書く。
 それよりなにより、人が多すぎた。ごった返していたといってもよい。
 お盆も17日になると、人も少なかろうと出かけたが、なんのなんの。平日の午後だというのに、発券窓口の前は長蛇の列だった。帰ろうかとも思ったが、せっかく神戸まで出てきてそれもなあ、ということでなんとか入場した。
 やっぱり中も大変なことになっていた。
 順路に沿って、おおむね4重くらいの人の列が、絵を見ながらカニ歩きをしていた。それも毎分1メートルくらいの速度で。その列より外側になると、もう絵を見に来たのか他人の後頭部を見に来たのか、よくわからなくなってくる。
 それにうるさい。しゃべってる一人一人は小声でも、人数が多いと百貨店のバーゲン会場みたいなざわめきになってくる。でも、それはそれで聞いてると面白いが。

おばさんA「いや、ここ見て、この人倒れてはるわ。死んでんねやろか」
おばさんB「さあ、聞いてみやなわからんのとちゃう」
私の呟き「(誰に聞くねん誰に)」

おばさんA「あ、セザンヌやて、セザンヌ。」
おばさんB「ほんまや、セザンヌて書いたある。セザンヌや」
私の呟き「(もう、それはわかってるっちゅうねん)」

おばさんA「上手に描いてはるなあ」
おばさんB「ほんま、きれいやなあ」
私の呟き「(そらそやろ)」

 おばさん方はとくに、考えがそのまま口をつくという「思考だだもれ型」の会話や独り言をまき散らしていらっしゃった。
 私は絵からはなれたところから、他人の頭越しにゆっくりと見て回っていた。画家という職業の業の深さや、芸術が芸術たりえてた最後の時代について考えながら。
 でも実は、おばさんたちの会話のほうが面白かったりして。


1999年8月18日(水)

 今日は久しぶりの休みで、上の子と二人で、「スター・ウォーズ/エピソード1/ファントム・メナス」を観に出かけた。もちろん、子どもはまだ4歳なので日本語吹き替え版である。そんなのは、べつにかまわない。どちらかといえば、SFXが目当てだったし。
 朝一番の劇場はずいぶん空いていた。余裕を持って二人してフロアの中央あたりの位置を占めることができた。
 そして映画は始まった。私は以前の第1作をリアルタイムで観て、しかも熱狂した口である。乏しいお小遣いをはたいて、2回も見に行った。しかもどちらも朝から3回見た。まあ、そんなことはまたいずれ詳しく書く。ともかく、二十年に及ぶ期待を膨らませまくって、私は座席に座っていた。
 今回は先入観を持たずに観たかったので、あらゆる情報から身を遠ざけてきた。主人公の少年がルーク・スカイウォーカーの父親、ということ以外は、ヨーダが出るのかどうかさえ知らずにいた。
 だから、きっと冒頭はあの、画面手前から奥に向かってスクロールしてゆく文章、「Long long ago, in a galaxy, far far away ……」で始まる文章で、幕が開くのだろうと思っていた。その画面を見た瞬間、この日を待ちつづけた私は、泣いてしまうかもしれない、そんなことも頭をよぎった。
 すると、劈頭、ジョン・ウィリアムズのおなじみのテーマが流れて(ここで私はすでに胸が詰まっていた)、予想通り、奥のほうが小さくなった文章が現れて、スクロールをはじめた。
 「遠い昔、はるかかなたの銀河系で……」
 画面の文字は日本語だった。おまけに特太ゴチック体。
 別の意味で涙が出そうになった。そんなとこまで吹き替えてくれんでもええのに。

 映画の感想について : CG最高。脚本はクソ。

 そして私たちは、映画を観たあと、ご飯を食べて、「ポケモン・センター」に立ち寄って帰った。
 帰りの電車では二人して寝てしまって、駅を乗り過ごした。疲れていたのだと思う。
 暑いさなか、汗を流しながら家にたどり着くと、私は家の鍵を持ってないことに気がついた。
 固く閉ざされた玄関の前に、汗まみれで立ち尽くして、私は息子の非難がましい眼に耐えていた。
 立っていても仕方ないので、二人で手をつないで、妻の職場まで家の鍵を借りに行った。
 妻には当然笑われた。息子は不機嫌だった。私は悲しかった。
 家に入るなり、エアコン全開にしてビールを飲んだ。それが今日の一番幸せな瞬間だった。 


1999年8月19日(木)

 今日、何を思ったのかCDを買った。すっごい久しぶり。
 誰のかっていうと、佐藤奈々子。20代から下の人間は知るまい。今日買った「Kissing Fish」だって、1979年の復刻ものだし。「SPY」ってバンドを組んでたのも今は昔。YMO全盛で、「プラスティックス」とか「ヒカシュー」とかその頃だし。今はフォトグラファーとしてのほうが有名なのか。
 ま、カヒミ・カリィの元ネタみたいなもんなんですけど。

 佐藤奈々子が、僕にとってとりわけ興味深いのは、独特の声質でもなく曲調でもなく、その音楽の中の時間の流れ方による。
 現実の時間から切り離されて、一瞬で音楽の中の時間にからめとられる。まったく流れ方の違う時間に。「地下鉄に乗った船乗り」なんて、聞いてるうちに自分の居場所がわからなくなってしまう。
 とくにファンというわけでもないし、もっとすぐれていると思う音楽も、もっと好きなミュージシャンもいくらでもいるけれど、この感覚は彼女の歌によってしか得られない。
 こんな経験のできる対象は、あと小説では、殿谷みな子の『求婚者の夜』(元版はれんが書房。のちにハヤカワ文庫NVで文庫化)しか知らない。カフカも近いものがあるけれども。

 この世のものとは思えない時間の中に放り出される感覚。これはちょっと捨てがたい。


1999年8月20日(金)

今日の更新:マジエッセイ《オルセー美術館展》

 うちの掲示板があんまり重い、ていうか使い勝手が悪いので、付け替えることに決定。
 無料BBSをいろいろあたったが、結局、みんな(って誰?)使ってるTOWAXに決定。
 あんまり急がず、適当に時期を見計らって、きっちり取り替えることに決定。
 文末で“決定”が続いたので、今日はこれで行くことに決定。

 ところで、今日の帰り道、自転車で信号を待っていたのだが(駅からは自転車で通っている)、赤信号を見ているうちにちょっといやなことを思い出して、「殺すぞ」と独り言をつぶやいたら、案外大きな声が出てしまって、あっと思った瞬間に信号が青になって、同時に僕の前で同じく信号待ちをしていた自転車の少年が、ちらりと振り返るなりロケットスタートのような猛ダッシュで、びゅーーーーーーっと坂道を登っていったのは、やはり独り言が聞こえたのかと思い、今後はあんまりガラの悪い独り言は控えることに決定。

 文末を“決定”でまとめるのは、ちょっとしんどいということに決定。
 もうこんな無理はしないことに決定。
 激辛の「決心して食べよう定食」の略称はやっぱり決定。
 決山定吉さんの呼び名もやっぱり決定。
 今日は自分でもどうかしてると思うことに決定。
 もう寝たほうがいいことに決定。
 さよなら三角またきて決定。


1999年8月22日(日)

 日曜日だというのに今日もやっぱり仕事で、帰宅は10時を回った(少し飲んだけど)。
 仕事といっても、今日のはちょっとした催し物のお世話で、ばたばたとはしたが、たいしたことはない。
 そして、その催しの中で、阿波踊りの実演というのがあった。本場徳島からも、ひとつの連(グループもしくはチームの謂)を招いてのステージである。
 知られるように、阿波踊りの伴奏は笛、鉦、太鼓である。歌はない。メロディも特にあるわけではない。そして振り付けも、基本は非常に単調である。中腰のまま足を踏み鳴らし、頭の上に持ち上げた手を適当に舞わせる程度、といってよい。
 にもかかわらず。
 この高揚は何だ。この興奮は何だ。
 鉦が先行する。笛が鋭く空間を広げてゆく。そして耳を聾する太鼓が全体を持ち上げるように包み込む。
 同時に、膝のあたりから沸き立った血が、下半身でいったん渦を巻いて、胴体の真中を肩口のあたりまでぐーっと盛り上がってくるのを感じる。
 踊り手の動きもきれいにそろって、ひときわ大きく、人数さえ増えて見える。そこへ、「やっとさぁ」「やっとやっとぉ」の一斉の掛け声。
 私は総身が震えるのを感じていた。

 土着のリズム、と言い切っては身もふたもない。日本固有の、とは言おうとも思わない。
 しかし、このプリミティブな太鼓と踊りがもたらす興奮は、たとえば「白熱のライブ」のそれとは明らかに異質である。それは知的理解を前提としない。アーティストに対する過度の感情移入を要求しない。ステージに対する注目さえ必要とはしない。ただ、そこにいるだけでよい。
 おそらく、キューバのサルサがそうであろう。ブラジルで体験するサンバも、ジャマイカで触れるレゲエもそうかもしれない。
 だから、やはり民族音楽は現地で聞きたいなあ、というのが今日の結論。


1999年8月24日(火)

今日の更新:バカフィクション「パンダ侍」

 サイシは早く床につくので、今夜も9時ごろ二階へ上がっていった。
 ひとりビールを飲みながらテレビを見ていると、しばらくして上の子が一人で降りてきた。
「おとうさん、のどかわいたぁ」
 コップに少しばかり麦茶をついで与えた。「ねしょんべんするぞ」と付け加えるのは、親としての基本のキ。
 唐突に息子がたずねた。
「おとうさん、セブンイレブンて、なんでいつもあいてんのん」
 突然のいかなる質問でも、毅然として答えるのは親の義務である。市民のライフスタイルの多様化、深夜・早朝時に日用品が手に入ることの利便性、アメリカで発達し、日本ではニッチ業種として生まれた24時間CVS事業の歴史。
 そんなことなどを、頭の中で4歳の子どもにもわかる言葉にかみ砕きながら、私は答えた。
「それはな、カギがないからや」
 息子は深くうなずいた。
「カギないのに、電気消して兄ちゃんとかみな帰ってみい、お菓子とか泥棒に取られるやろ。せやから、いっつも店あけてはんねん」
 息子は眼を輝かせて私の答えを聞いていた。私は父親の偉大さが子どもに伝わるのを感じていた。「お父さんは何でも知ってる」。子どものそんな信頼をかち得るのは、父親にとって大変な喜びであることを再認識した瞬間である。
 疑問が氷解して、息子はうれしそうだった。明日あたり保育園で先生に教えてやるつもりかもしれない。それはちょっと困るような気もするが、まあよい、恥をかくのは息子である。
「ほんなら、おにいちゃんとか、ねむたなれへんのん」
 新たな疑問である。私は間髪をいれずに答える。
「それは大丈夫。そういう人が働いてるから。絵の上手な人は絵描きさんに、運転の上手な人は運転手さんになるやろ。それといっしょや。眠たくなれへん人がセブンイレブンで働くねん」
 偉大な父親の姿に、息子はますますうれしそうである。

 そうこうするうちに、下の子を寝かせて、妻も二階から降りてきた。
 そしてニコニコしながら言った。
「子どもって面白いなあ。さっき布団の中で、セブンイレブンてなんでいつも開いてるって聞くねん。ほんで、さあ、なんでやろって言うたら、『カギないからちゃうか。あのガラガラってしめるやつ(シャッターのこと)がないから、いつもあいてんねんで』って言うねんで。子どもの発想って面白いなあ」

 私は唖然として声もなかった。
 ほたらなにかい、俺の頭は4歳児並みかい!(やっぱりっていうな)


1999年8月26日(木)

 すでに朝方はひんやりとして、秋の気配も濃厚である。
 私は一年のうちで秋のはじまる頃が一番好きだ。
 夏の間にのびきった身体と心が、澄んだ空気とともに内側へ向けて引きしまってくるのを感じる。体調もすぐれて、食欲ももどり、食べるものをみなおいしく感じはじめるのもこの頃である。身につけるものもそう、半袖一枚から長袖へ、加えて上着もと、衣服を着ることを楽しめるようになる。

 誕生日が九月なので初秋を好むのかもしれない。人は生まれ月の季節を最も好きになるという話を誰かに聞いたことがある。真偽は知らず、少なくとも私に関しては明らかに正しい。
 ならばうちの子どもたちは晩秋を、あるいは青葉の季節を愛するようになるのだろうか。紅葉で燃え立つような鞍馬のあたりを、初夏の日差しもみずみずしい若草山を、ぶらぶらと歩きながら、いつか子どもたちとそんな話ができるようになるのだろうか。

 もうすぐに秋も深まる。しんとした夜気に包まれて、缶ビールを片手にひとり、いろんなことを考えようと思う。いろんなことを思い出してみようと思う。
 きっとそのときは、やはり今夜のように、上の部屋ですやすやと眠る妻と子どもたちの寝息が、耳元で聞こえるような気がするのだろう。


1999年8月28日(土)

 私の誕生日も近づいてきたので、サイが誕生日のプレゼントを買ってくれることになった。
 何がほしいと聞くので、とりあえず大きなおもちゃやさんへ行こう、と答えた。
 で、わざわざ車に子どもを積んで出かけた先が「トイザらス」。せっかく連れてきてやったのに、息子はどことなくじゃまくさそうである。心外である。お父さんのようにはしゃがんかい!
 ひとまず、私は気に入った商品を指差して言った。
「んとね、ぼくは前からほしかった、ワンダースワンがいい」
 妻はにっこりとしてうなずいた。あまつさえ、私は誕生日にかこつけて、「GUNPEY」というソフトまでねだった。これも妻は快く理解してくれた。すばらしいヨメである。
 こうなるとかさにかかるのが私の悪い癖である。
「あとね、プレステのんやけど、『どこでもいっしょ』っていうのが面白いて。みんなそう言ってるし。でね、でね、それするのに、ポケットステーションもいるねん」
 これについては、いくら誕生日を楯にとってるとはいえ、妻も顔を曇らせた。
「そんなにたくさんは買えません。どれかひとつはあきらめなさい」
 私は断腸の思いでポケステをあきらめた。泣いて馬謖を斬った諸葛孔明の気持ちが少しわかる気がした。ていうか、ポケステは自分で買った。
 子どもには五百円くらいのおもちゃを買い与えておいて、私は飛び跳ねんばかりだった。子どもに、
「お父さん、ほんまにおもちゃ買いすぎやで」
 と言われても、平気だった。
 帰り道、鼻歌交じりで運転していると、後部座席の妻が言った。
「あたしの誕生日には時計買ってね、時計」
 そういえば、妻の誕生日も9月である。
 私は真新しいワンダースワンが急に疎ましく思えてくるのを感じていた。


1999年8月29日(日)

 今日は、久しぶりに床屋へ行った。かつては美容院なぞという軟弱なところへも通っていたが、顔剃りがないのと、仰向けのシャンプーがなじめなくて、結局散髪屋にもどってきた。
 今日は、いつも刈ってくれる兄ちゃんが見当たらなかったので、別の兄ちゃんが刈ってくれることになった。
「どないします?」と聞くので、いつものように、
「もう、だいぶ伸びたし、ばぁーっと刈り上げて、ばぁーっと」と言った。
 普段なら、これで伝わって、「そこそこの刈り上げもみ上げ添えセンター分け、ヤングサラリーマン風」という感じになるのだが、今日は違った。
 ばぁーっと刈り上げられてしまった。ばぁーっと。ばぁーーーーっと。
 お前は、正直にやりすぎなんじゃ!
 で、なんかGIジョーっていうか、ヘイブラザーっていうか、加納典明っていうか、側頭部がクリフハンガーっていうか、頭じゅうスースーするのである。
 きっと明日職場で「どうしたんですか?」とか言われるんだ。ぜったい。
「失恋したの」とでも答えればいいのだろうか。それとも「グレイス・ジョーンズの夢見て朝起きたらこうなってた」とかの方がいいか(だいたいグレイス・ジョーンズを知らんか)。

 追伸 やっぱり(というべきか)辰吉が負けた。試合内容もどうしようもないものだった。
ただ、私はこの大阪で、あんな男を見続けて来られて、本当によかったと思う。感慨無量である。


1999年8月30日(月)

 今日は特にこれといった出来事も、とりたてて書くこともないので、
《むしまるさんのカバンの中味拝見!》てのをやってみる。

 まずは、カバンから。これは黒一色のリュックサック。ジッパーのつまみにゲーセンで取ったエヴァ初号機の人形がぶら下がってるのはご愛敬。
 それじゃ、ひとまず外側のポケットを調べてみましょう。

  • 財布(長財布。ツタヤの会員証とテレカ、キャッシュカード、クレジットカード、現金6千円)

  • 定期入れ(通勤定期、名刺十数枚、ポケット時刻表、サイシの写真)

  • 扇子(暑いので)

  • ガム(ブラック&ブラック)

  • のど飴

  • コーム

  • ポケットティッシュ(2ヶ。サラ金のとテレクラの)

  • リップクリーム

  • レザーマンのツールナイフ(広げるとペンチにもなるやつ。何かと便利なので)

  • 携帯電話(そろそろ機種変更かも、のドコモP205)

 いかがですか。ツールナイフあたりに少し主張が見られますね。実際、ねじ回したり切ったり削ったり、とても便利なのですが、公務員という仕事柄からはぜんぜん必要なさそうです。職務質問とかに出合ったらどうするつもりなんでしょうか。
 つづきまして、いよいよカバンの本体を開けてみましょう。

  • システム手帳(バイブルサイズ。リング径10mm)

  • フロッピー1枚(ワープロ用)

  • ペンケース(筆記用具12本、カッター、修正ペン、直定規、消しゴム、予備の認印、付箋紙少々)

  • 新書本(『狂骨の夢』。読み残してた京極夏彦最後の1冊。講談社ノベルズ)

  • 雑誌(「インターネット・マガジン10月号」インプレス。とにかく重い)

  • ワンダースワン(スケルトンブラック。刺さってるのは「GUNPEY」)

  • ポケステ(トロキチというイージーなネーミングのポケピ入り)

  • 三つ折の折り畳み傘(朝から晴れてようが常に入れてるのでカビくさいです)

  • ・風呂敷(急な荷物には大変便利)

  • お弁当箱(850cc入り。毎日いただいてます)

 いかがでしょうか。来月36歳になる男性が仕事に出かけるときの荷物とは到底思えません。本当に大丈夫なのでしょうか。
 通勤時間が長いようですが、これだけそろってると1時間やそこいらでは忙しくて仕方がないというのが実情なのではないでしょうか。なぜそこまで、本やおもちゃがいるのでしょう。それに、筆記用具も多すぎますね。黒のサインペンだけで4本も入ってるというのが尋常ではありません。なぜ普通の小役人が筆箱に0.1ミリのロットリングを入れているのかも不思議です。謎、というより反省が必要ですね。
 あ、むしまるさんのコメントが入ったようです。
「ぼくのカバンは意味もなく重いと職場でも評判です。ぼくもそう思います。おかげで最近左肩がおかしくなって、腕が上がりません」
 ありがとうございました。なんとなく「処置なし」という言葉が思い浮かびました。
 とにかく、むしまるさんには、もう少し「社会人としての自覚」というものが必要なようです。

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