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「稼ぐ」という言葉の意味を調べると、インプ稼ぎ撲滅のヒントが見つかった

「個人で稼げる力を付ける!」
「副業で月10万円稼ぐ!」
「AI時代に稼げる職業は何?」

こういった文脈で使われることの多い「稼ぐ」という言葉。
目にする機会が多くて食傷気味なのと、拝金主義的な下品なニュアンスを感じるのとで、正直辟易していました。
で、そもそも「稼ぐ」ってどういう意味の言葉なんやろ?と調べてみた結果、X(Twitter)でのインプ稼ぎ撲滅にもつながりうる考えに至ったのでシェアします。


「稼ぐ」とは「自分が決めたものに熱心に打ち込むこと」を指す言葉だった

数年前に急に欲しくなって買ったきり押し入れにしまっていた「広辞苑」を引っ張り出して、「稼ぐ」の意味を調べてみました。

書いてあった意味は以下のとおり。

  1. 生業に励む。精出して働く。

  2. 力を尽くす。心を砕く。

  3. 得ようと心を砕く。探し求める。

  4. (他動詞として)働いて金を得る。儲ける。

「4」は、現代で一般的に見られる用法です。
ただ「1」~「3」を踏まえて考えると、少し違った印象をまとった言葉のように思えてきます。

それは、自分が「これを極めるぞ!」と心に決めたものに向かって、熱心に取り組み続けるということです。
その証拠に、「1」~「3」は「励む」「尽くす」「探し求める」といったように、いずれも「取り組む姿勢」を示す言葉で説明されています。
「何かを得られる」といった「結果」を示す言葉ではありません。

ということで、現代で一般的に使われる「4」の用法も、もともとは「何かの道を極めようとするプロセスを経て、結果として、金銭的なメリットを得られるようになる」という意味があったのではと思います。

効率至上主義の中で、得られる情報の濃度がどんどん薄くなっている

私たちは今、資本主義っていうか「効率至上主義」とも言える時代を生きています。
コスパ・タイパの良い生き方を探し求めて、忙しく時間を過ごしている自分自身の姿を省みると、我ながらちょっと本質を見失っているな・・・と感じます。

たとえば何か疑問が生じたとき、ネットで検索すれば、すぐに「正解」にたどり着けます。
しかし、それらの情報は多くの場合、二番煎じ・三番煎じであり、五臓六腑に染み渡るような深みのある情報ではなかったりします。

私はWeb業界で働いており、とくにSEOを主軸としたマーケティング支援業務に従事していることから、「ネット上のコンテンツは低品質で役に立たない!」といった紋切り型の批判には「ちょっと待ってくださいよ!」と反論したくなります。
プロフェッショナルとしての矜持をもって働くライターは、読者にとって有益な情報を、読者が求める形で提供することにこだわりぬいて執筆しているからです。

けれど、実際に私が記事を書くときにも直面する問題として、「記事のテーマについて本当に自分自身の実体験にもとづく文章を書けているか」というと、残念ながら答えは「No」と言わざるを得ません。
どうしても、既存の上位表示コンテンツだったり書籍だったりを参照し、それらを「わかりやすく編集する」といった記事制作フローを踏むことが大半です。
それは、やはり業務として取り組む以上、納期や予算、体力気力との兼ね合いもあり、高品質な記事を「効率的に」制作することが重要だからです。

そして読者の側もまた、「効率的に」情報を得たいと考えています。
情報収集する際、ネット上の記事を隅々まで熟読する人は稀でしょう。
大抵、タイトルと目次を見て、自分の知りたいことが書かれていそうな箇所をサッと確認して済ませてしまいます。
開いた記事が期待外れな内容なら、検索結果画面に戻って別の記事をチェックします。
もちろん、私もそうしています。

しかし残念なことに、そうして閲覧したコンテンツの多くは、いくら読んでも頭の中を通り過ぎて、心の中に残っていないのです。
そりゃそうです、二番煎じ・三番煎じで薄まったお茶の、さらにその上澄みだけをすくって飲んでいるようなものですから。
喉元を過ぎれば、味も温度もすっかり忘れてしまいます。

「稼ぐ」の意味を噛みしめれば、インプ稼ぎはできなくなる(はず)

こうした「効率至上主義」は、プロセスを軽んじ、結果だけを重視するムードを醸成します。
結果を唯一の評価指標として捉える場合、同じ結果が得られるのであれば、そこに至るまでのプロセスはできるだけラクに・速くしたほうが良いと考えるのは自然なことです。
そうした働き方は「生産性が高い」と評価されます。

しかし、結果を重視するだけならまだしも、プロセスを軽視してしまうことには決定的なデメリットがあります。
それは、「同じ結果が出るなら何をしてもいい!」というアナーキーな思想が生まれてくることです。

その顕著な例が、この年始に起こった能登半島地震に関するX(Twitter)上での動きでしょう。
Xでは、投稿のインプレッション数(閲覧数)に応じてユーザーに収益を分配する仕組みが導入されています。
そこで、「地震」という単語を入れて閲覧数をガッツリ伸ばそうとするユーザーが、けっこうな数存在します。
地震関連の情報を求めて、X上での検索数が急増するためです。
もしくは、地震関連の投稿にリプライすることで、閲覧数を獲得しようとするユーザーもいます。
俗に「インプ稼ぎ」「インプ乞食」と呼ばれるその行動は、ちょっと常軌を逸していると思えてなりません。

これを「インプレッション数に応じて収益を配分する仕様にしたイーロン・マスクはけしからん!」と批判するのはカンタンです。
まぁ実際、なんちゅー仕組みにしてんねんという気持ちはありますが、それよりももう少し手前でできることとして、今私たちに必要なのは「稼ぐ」という言葉の意味をあらためて噛みしめることではないでしょうか。

災害にかこつけてテキトーな情報を垂れ流し、混乱に乗じてインプレッションを増やすこと――
それが自分の「心に決め、熱心に打ち込みたいこと」なのか?
もしそうでないなら、そんな行動をしてまで獲得する対価にしては、得られる収益ってあまりにもちっぽけなのではないか?
そうした問いを、自らに投げかけてみることです。

・・・ってこんなことを1mmでも考える人であれば、そもそもインプ稼ぎなんかしないのかもしれませんね。
地震関連のインプ乞食はちょっと極端な例だとしても、私たちが普段「稼ぐ」ために取っているアクションについて、「本当に自分が極めたいと思えるものなのか」を振り返ってみるのは有益なはずです。
もしくは「もっと極められないか?」と考え抜き、創意工夫をこらすことも必要です。
こうした意識は、「プロセスを重視する」ことそのものだと言えるでしょう。

プロセスを重視するためには、やっぱり手書きがよさそうな気がする

「プロセスを大切にする」というのはマインドセットの問題なので、何かしら具体的な行動に落とし込んだ方が取り組みやすくなります。
そこで私が思うのは、やっぱ手書きって重要だよなということです。
先日買ったホワイトボードシートの使い心地に感化されすぎている気がしなくもないのですが、手書きって思考のプロセスと向き合うのにめちゃくちゃ向いている行動だと思うのです。

手書きの文字には、そのときの感情が少なからず反映されます。
自信に満ちあふれているときには力強い筆致になりますし、反対に、自信がなくなっているときには弱々しい字になります。
そうして書かれた文章は、仮にテキスト情報としては同じ文章であっても、内包する意味が違ってくるでしょう。
手書きで文章を書くということは、自分の精神状態というプロセスを残すことにつながります。

また、手で書いた文章は、パソコンにタイプした文章よりも記憶に残りやすい、という研究データもあります。
自分の書いた文章が記憶に残る、というのは、思考のプロセスを自分の中に蓄積するのと同義です。

そして何より、落ち着いてノートに向かい、1文字1文字しっかり確認しながら文字を書くという行為自体が、プロセスを大切にする姿勢の表れだと言えるでしょう。
結果軽視・プロセス偏重に陥らないようバランスには留意しつつ、手書きの習慣を上手に生活の中に取り入れていきたいと思います。

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