見出し画像

私は大柴。

ルー大柴になる今日この頃である。英語を話せる体で、希望して外国人の多い職場に配属になってからはや3ヶ月。英単語が出てこない。仕方なく”Let’s calculate distance by 緯度&経度”のように、英語の中に日本語を混ぜて話している。なので、ルー大柴ではなく大柴ルーと行った方が正確かもしれない。(ちなみに、緯度はlatitude, 経度はlonditudeである)

リスニングはもっと壊滅的だ。特に月曜日は耳が慣れていないので、半分くらいしか聞き取れない。さらに、聞き取れても次の言葉が来るまでに意味として像をなさず、結局30%くらいしか理解できていない。

それでも、敢えて言おう。英語が流暢かどうか、もっと言ってしまうと英語が話せるかどうかは、コミュニケーションで二の次である。

南イタリアのゲストハウスに泊まった時のことである。宿の主人の弟、サビーノは、テラスで青のズボンに赤のシャツ、緑のコートの一見チグハグな色合いを綺麗にまとめていた。私とがっしりと握手をすると、ケーキと蒸留酒を勧めてくれた。彼はほとんど英語が話せなかったし、理解できなかったが、どっしり構えてたくさんのことを問いかけてくれた。どんな仕事をしているのか、どれくらいの期間イタリアにいるのか、これまでどこに行ったのか、私はGoogle翻訳で一つ一つ答えた。彼は宿の主人と共に私を連れて、行きつけのバールでコーヒーを奢ってくれた。ゆっくりと濃紺に変わっていくアドリア海の海岸を歩いた。交わした言葉の数は少なかったとしても、交わした思いは多かった。

結局は、「私はあなたの話を聞きたい」「私はあなたに伝えたい」という姿勢が大事だと思う。だから僕は、今日も炭治郎のようにじっと耳を澄ませ、ルー大柴を憑依させて話すのだ。

カツ丼食べたい