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FC東京のJ2降格を告げるホイッスル、西京極の夕日は綺麗だった

皆さんこんにちは。藤原と申します。JリーグではFC東京のSOSICO会員(いわゆる年間チケットホルダー)になって、もう14年目です。今回はここに至るまでの過程を書いてみます。しばしお付き合いくだされば幸いです。

J開幕当初はガンバサポ

思えば1993年、僕が高校一年生のときにJリーグが開幕しました。大阪府堺市出身の僕は当時オリジナル10ではガンバ大阪を、セレッソ大阪が昇格してからは長居スタジアムが吹田より近いということでセレッソ大阪を応援していました。(当時のモリシ社長良かったよね!)

ところが、大学を卒業し就職のために2001年から移り住んだ横浜市中区、2004年から社員寮を出て住んだ東京都大田区と、ともにスタジアムが遠いこともあって、また仕事も大変忙しく、しばらくJリーグからは遠ざかっていました。

しかし、2006年に妻と同棲を始めるにあたって、僕の職場の初台と、妻の職場の八王子の中間地点である飛田給を偶然新居に選んだところから、『味の素スタジアム』の存在を知りました。

ちなみに、バーミヤン2階のスタジアム通り側に当時住んでいましたので、そこから飛ばしていた野良ゲストwifiをキャッチした方がいたら嬉しいです。

さて、元々サッカー好きだった僕は、Jリーグ開幕当初の何だか理由なくわくわくした気持ちを胸に、FC東京やヴェルディの試合を、どちらを応援するでもなく、純粋にフットボールを楽しむためだけに『味の素スタジアム』へ行くようになりました。なんせキックオフ10分前に家を出ても間に合うのですから、こんな恵まれた環境はないですしおすし。

時を経て東京サポへ

味スタでは、あらゆる試合で中立サポを決め込み、ふらりと来た広場で少年サッカーを眺めるオッサンのような態度で過ごした2シーズンが終わり、新たな2008年シーズンが始まるに当たって、ふと

「これは常にどちらかのチームに肩入れした方がぜったい楽しいんじゃないか。かつてセレッソ大阪を応援していた高校・大学時代のような興奮をもう一度味わうのも悪くないかも。」

そう思った僕は、青赤か緑かを比較検討し、とうとう「よし!青赤に肩入れするぞ!ホーム側に座ってユルネバも歌うぞ!」と意思決定しました。JFK監督のもと、チームスローガンにMoving Footballを掲げたこの首都東京のチームなら、10年も応援すれば1度くらいはリーグ優勝するだろう、と。。。

2009年ナビスコ杯決勝での僥倖

青赤を応援し始めた2008年はそこそこの成績で終え、翌2009年にはSOCIO会員に入会、そこで僥倖が待っていました。ナビスコカップの優勝です。

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▲なぜかトイレットペーパーが乱れ飛ぶ旧国立競技場ホーム側

当時のナビスコ杯決勝は11月3日(文化の日)に開催されていました。この日は晴れの特異日(不思議と必ず晴れる日)としても有名ですが、僕にとっては結婚記念日でもあります。特に2009年は5月に待望の長女も産まれ、子どもができてから初めての結婚記念日だったのですが、妻子を置いて嬉々としてサッカー観戦に出かける僕に、妻はTHERMOSに入れたホットコーヒーを持たせてくれました。

旧国立競技場で米本と平山のゴールを肴に飲んだホットコーヒーの味は今でも忘れられません。

ナビスコも優勝したし、これはもうリーグ優勝しかないだろう。来シーンは楽しみだなぁ。そんなことを思いながら帰路につきました。まさかこのような結末を迎えるとは思いもせずに。。。

歯車が狂った2010年シーズン

長友佑都がチェゼーナに移籍したこの年、なぜか勝てない・・・。勝てたと思っても終了間際に追いつかれ、まんまと勝ち点を落とす。そんな試合が続いたのを覚えています。今シーズンは何かおかしいぞ。でも降格するようなことはないだろう。秋口くらいまではまだそんな甘い考えを、選手も、僕らサポーターも持っていたと思います。

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▲久しぶりに勝った旧国立競技場ホームゲーム(2010/10/3 湘南戦)

とは言え不調は継続し、あれよあれよと順位を落とし、気付けば最終節を残して降格圏一歩手前となりました。運命の最終節は既に降格が決まっていた京都が相手。勝てば問題なく残留、負けても他会場(浦和vs神戸)の結果次第では残留というFC東京にとってはとても有利な状況でした。

とは言えこんな大事な試合はないと思い、僕は飛田給からアウェイの地、大学時代は大阪からよく遊びに行った京都へと向かいました。西京極に降り立った僕は、なんだか楽しそうに、そしてリラックスした雰囲気で試合を楽しむ多くの東京サポを目撃し、少し安心したのを覚えています。

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▲サッカーを楽しみ応援を楽しみ食を楽しむ東京サポの皆さん

しかし、試合の方は2010年を象徴するようなゲーム運び。こんなことを言っては京都に失礼ですが、普通にやれば負けない相手に対して、東京の選手たちは残留決定戦のプレッシャーからかガチガチになってしまい、あり得ないようなミスを連発していました。

既に降格が決まって目標を失っていた京都のモチベーションを、東京はついに最後まで上回ることはなく、2-0という無残なスコアで惨敗しました。他会場では神戸が浦和に勝ち、この時点で東京のJ2降格が確定しました。

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遠くに見える京都の山の向こうには、綺麗な夕日が沈んでいきました。

後日譚

J2で過ごした2011年シーズンは、序盤戦は少し苦しんだものの、J2の戦いに慣れた中盤戦以降は順当に勝ち星を積み重ね、概ね戦力通りの結果となり、FC東京はJ2優勝で幕を閉じました。

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▲千葉戦勝利後の味スタでのセレモニー(2011/11/26)

ファン・サポーターにとって自分が応援しているチームが下のカテゴリーに降格してしまうという経験は、できることならみんなしたくないはず。

でも、そんな経験をしたサポーターは、僕を含め、なんだか少し強くなった気がします。涙の数だけ強くなれると歌ったのは誰だったかな。アスファルトに咲く花のように、多少のことではへこたれない、ちょっと負けたくらいでSNSにヘイトを撒き散らしたりもしない、常に相手へのリスペクトを忘れない、純粋にフットボールを楽しむ、そんなしなやかで強いサポーターが増えるなら、それはそれで降格を経験するのも悪くないかもしれません。

いや、やっぱりもう絶対嫌だな(笑)

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