猫をまるごと受け入れられたら、子どもが心底かわいく感じられる気がする
こんにちは。
幼児教育ドラマトゥルクの塚田ひろみです。
先月の誕生日から、”猫活”中です。
私の誕生花がネコヤナギで、その花言葉がこれからの自分にぴったりだなと思ったからなのですが、、とにかく、もっと自由に、きままに、生きていくことを自分に許可しようということ、それが私の”猫活”です。
先日、横須賀美術館で開催中のミロコマチコさんの展示会に行きました。ミロコさんは5匹の猫とくらしている作家さん。帰り際にミュージアムショップで目についた、2冊の猫の本を自宅につれて帰りました。
パラパラと立ち読みしている最中から、おかしくて、くすっと笑ってしまう猫の姿。まるで「自分の娘たちみたいだなぁ」、と思ったものですが、帰ってじっくり読んでみると、やはり猫と子どもってなんだか近しいものを感じるのです。
連れて帰った本のうちの1冊『ねこまみれ帳』の中で、ミロコさんの描く猫たちの姿。心からおかしくて、かわいいなと思うものもあれば、おかしいんだけど、おもしろいんだけど、「これは私受け入れられない!」というものもしばしば。
そういう猫の仕草に、自分の子どもたちの仕草を重ねてみると、「あぁ、私やっぱり子どものそういうところ、まだ受け入れられてないなぁ」と実感します。
それは何よりも、自分自身がそういう仕草をすることを、自分に許していないサインなのでしょう。
我が家にはペットの犬がいるのですが(猫活中なことは内緒です)、うちにやってきたときから、大変おとなしくて、私がしつけなくても、一通りのこと(お手とか、ご飯を待つとか、吠えないとか)はできました。
そもそも、犬のほうが人に従順な生き物だと言われているので、当たり前ではあるのですが、私のことを「邪魔している」なんて感じたことは一度も有りません。
でも、きっと猫をかったら「邪魔された〜(T_T)」ということがたくさん起こるのだろうなぁ。。と思うと、猫を飼っている人って、なんて懐が深いんだろう!!と尊敬の眼差しを向けてしまう。愛情深い人はすごいですね。
毎日、色々思うことはありますが、その上で、だからこそ、のんきな空気をとどけていきたいなと思います。真剣になりすぎず、人間は遊ぶ生き物だということを忘れずに。
ねこの本はこちらからどうぞ(ΦωΦ)
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