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「環境が大切」の2つの意味

こんにちは。
幼児教育ドラマトゥルクの塚田ひろみです。

幼児教育ドラマトゥルクとは…?
幼稚園や保育園の先生が、ご自身の活動を尊いものだと感じられるように、
様々な家庭や地域にも、その価値や知恵が届くように、
独自にリサーチをして、保育現場や社会に届けていく役割を、私自身がそう名付けたものです。
(参考:ドラマトゥルクという立場について

子どもに限らず、人間の成長にとって環境が最も大切、ということをよく耳にします。私も、環境は大切だと思います。

ただ、そこに包含されている意味が複数あり、それを捉えることができると、子どもたちの安心がもっと増えていくような気がします。

今日は、私の感じている「環境が大切」というときの、2つの意味について書いていこうと思います。

環境のこと①:自分の「こうなりたい」を伸ばすための環境

例えば、自分がプロ野球選手になりたいと思うのならば、高校野球の名門校に行ったり、いわゆる、野球がうまい人のいる場所に身を置くことが重要だと言われます。

それは、そうした人たちと一緒に活動することで、世間的にはかなり大変な練習を、当たり前のようにこなすことになり、本人も、ついていくのが大変かもしれませんが、やっていれば、周りの大多数の人とくらべて、格段に技術が上がっていく、ということでしょう。

また、仲のいい夫婦になりたいなと思うのならば、実際にとっても仲良しな夫婦の人とお友達になったり、触れ合う機会をふやすことが大切だと言われます。そうした人たちの空気感に触れているうちに、夫婦仲がいい人の感覚や考え方が自然と自分にとってあたりまえになり、現実になる、ということでしょう。

今、多くのお父さんやお母さんが、自分の子どもたちに<いい環境を>というときに目指していることは、こちらの環境のことだと思います。

環境のこと②:その子の持っている種(気質や才能)を見守るための環境

もうひとつの「環境が大切」ということは、もっと小さな社会の中で、例えば、家庭の中だけでも実践することができるものです。

前回の記事で触れた、気質の話にも通じることですが、人間は、本当はそれぞれ、ただただ違うのです。その違いについて、絶対的な優劣はありません

それが、いつの間にか「こうしなくてはいけない」「こうならなくてはいけない」という価値観がうまれ、自分自身を縛ることがありますよね。

子どもであれば、元気に、友だちと外で走り回って遊び、何にでも好奇心を持って触れ合う。それが子どもらしいと言われたりします。更に、誰にでもやさしく、誰からも好かれる、人の気持ちがよくわかる、そんな子どもになってほしい、という願いが乗せられることもあります。

そういう理想の子ども像ができあがり、そうでない子どもは自然と心配の種になってしまう。こうした出来事は少なくないように思います。

「子どもらしい」の枠にはまらない子どもたちもいます

シュタイナーの捉えている人間の気質は4つ。そのうちの少なくとも1つは、前述した、「理想の子ども像」とはかけ離れています。

元気に走り回るのが自然な子どもは、4つの気質のうちの2つ。だとすると、子どもたちの半分くらいは、友だちと遊ぶのが好きではなかったり、家でひとり、物思いにふけって過ごしていたい、そんな子どもたちであっても不思議ではないとも思えます。

そして、こうした気質の子どもたちがダメだという根拠もありません。

例えば、なわとびを飛ぼうとしたとき、真っ先に取り組み始め、失敗しながらも、自分の身体をもってその飛び方を習得していく子どもたちもいれば、反対に、誰かがなわとびをしている姿をみながら、どうすればうまく出来るのか、じっと観察して、頭の中でシミュレーションして、そして、「わかった、出来る」と思ったタイミングではじめて飛ぶと、本当にできてしまうタイプの子どももいます。

どちらがいい、わるい、ということは決められることではありません。

大切なことは、その子に合わせたやり方、その子のうまれもった気質や才能を最大限に伸ばしていける方法を探りながら、育っていける環境を作っていくことだと思います。
(最初から、完璧につくる必要はないと思います(^^)。大事なのは、寄り添おうとする姿勢の方です。)

身近な子どもたちの気質や才能をじっくりとみつめながら、一緒に「こうなりたい」という想いを見つけていき、それに最適な環境を家族で相談しながら選択していける。

「環境が大切」というときに意味することは、もしかしたら他にもあるかもしれませんが、今回まとめたこの2つが、このように活かされていけたらと願います。

最後に、教育にとって本当に忘れてはいけない、「その子の気質や才能を見守る環境」ということに、改めて気づかせてくれた、篠 秀夫先生の書籍より、引用して終わります。

少々昔のことではありますが、本質的なところは、まだ続いていることだと思います。

 人間の様々な活動も、その気質を根底にして展開しています。その結果として、文学も絵画も、音楽も、哲学も、科学も、政治も、工業も成り立っています。
 ですから、どんな気質の人にもちゃんと社会の中に受け皿はあります。
 それなのに、その多様性を否定する社会があります。それが幼稚園や学校といった教育の場です。(もちろん、全部ではありません。でも、大部分がそうだと言うことは事実だと思っています。)
 そして、その教育を受けた人たちが同じような価値観をこの社会にも取り入れ、どんどん社会の中から多様性が消えつつあります。
 学歴とはなんの関係もないような職場や職業でさえ、当たり前のように学歴が問われているのが現実です。
 そして、多くの子ども達、そして大人達が自分の気質を否定されて生きなければならなくなっています。
 明るくて、ハキハキしていて、元気で、素直で、真面目で、行動的で、思いやりがあって、勉強を一生懸命にやって、感性が豊かで、運動が得意で・・・・・。
 そんな人間は空想の産物です。そんな子どもはどこにもいません。
 今の子ども達は大人の空想を押しつけられて自分らしさを出すことができず、押しつぶされそうになっています。

子どもの育ちと大人の育ち Vol.4「気質の話」 篠 秀夫, 2003.4 , P54-55

文末になりましたが、本年もよろしくお願いいたします。
今年は、私ひとりではなく、みんなで一緒に活動したいなと動き出しています。

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