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India~Bangladesh 2016.2.28-3.21 ①

今回の旅は第二次世界大戦で戦死した叔父の慰霊のための企画でした。

毎年お盆になると私は母の手伝いで仏壇の掃除を一緒にやっていました。一つずつ丁寧に位牌を拭きながら母は独り言のように、此れは誰々さん、此れは戦死した私の兄、、と、つぶやきながらお掃除するのが常でした。私は当時小学生の低学年でしたが、その後も戦死した叔父のことが何時も頭の何処かにありました。

此の旅の一年前にポーランドのアウシュビッツを訪れていた時、『2017年 戦後70周年』と、そこここにポスターが貼ってあったのを見てすぐに「来年慰霊に行こう!」と決めたのです。 

奈良県の援護係で叔父の戦歴を取り寄せて調べてみると五年間の戦歴が詳しく書いてありました。戦死した場所がアッサム州とナガランド州の州境のチスエマというところでした。

この日記はINDIAのコルカタから北上、激戦地のコヒマからバングラディシュを縦断した旅の記録です。


1. 地図

2. 旅程


3.日々の旅の記録 ①

 2月28日(日曜日)晴
関空初10:55分 桜井を7:30分のリムジンバスに乗る。今朝も4:00過ぎに起きる。洗タクを済ませ、湯タンポのお湯を昼まで寝るであろう夫の為に再び温める。
7:00夫を起こしてバスターミナルまで送ってもらう。
関空に時刻通り到着。人、人、人、でごったがえっている。
今回も息子手配で

BUSINESS クラス !!

大勢並んでいる人達をしりめに サッ、サッ〜〜〜〜〜とビジネスカウンター受付へ!
Gate3で13#のラウンジを使う。
朝が早かったのでお腹が空いた!コーヒー、お茶、サンドイッチ、お寿司を食べて こばらをうめる。

10時15分 Gate3に行きファーストクラス、ビジネスクラスに並び スイースイーと機内ヘ。
座席につくやいなや飲み物のサービス。迷わずシャンパン!
シャンパンをちびちび飲みながら旅に出たら日記を書き始める。 
後部座席のお客はかなり年配でどうやら台北まで行くらしい。私も人様のことをとやかく言えた義理ではないが、(聞き漏れる言葉から)全く飛行機のシステムが解っていない。それでも行動するのは   ス ゴ イ  !  ! 

今回の旅の一番の目的は第二次世界大戦で戦死した叔父の慰霊に行くこと。
ガイドブックも色々あったが(インドのアッサム州、ナガランド州に付いては)詳しい情報は得られず、少々どころか大いに不安な面があったが、
後部座席の殿方を見て大いに勇気ずけられた。
斜め後部座席の青年が香港経由でダッカへ行くとのこと。
一番気になっていた(バングラディシュの国の)ホテル事情を聞いてみた。
 「ホテルがずーと並んでいるから大丈夫。それにシレットは茶畑があってとってもきれいだ!」と教えてくれた。

この飛行機は台北経由の香港行き。

そうこうしているうちにLunchメニューが届いた。

シートNoは11K.窓際2席の並びだが隣の席は空席。
この日記帳を書いているとスチワデスの皆がめずらしがってほめてくれる。

窓の外に目をやる。
山々が連なっていてその山の頂には所々白い雪がが積もっている。
ここはどの辺りだろう?飛行機が飛びたって30分から40分である。

(昼食は、前菜・メイン・デザート)
満腹 
もう入らない〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!

機長からのメッセージをもらう

関空では何も聞いていなかったがどうやら台北経由。ここ台北で一旦飛行機を下り4時15分発で香港に向かうらしい。
ところで今回のcxビジネスクラスのlunchは最悪。シートも、スリッパ等々何にもなし。こんなの初めて。エコノミークラスと何らかわりなしっ!
香港のラウンジに期待しよう。
台北で約一時間待って搭乗したのが関空から乗ってきた同じ飛行機。
掃除の時間が必要だったのかね???

(そして再び搭乗)座席につくや否や、ドリンクのサービス。
オレンジジュース? or シャンパン?
迷わずシャンパン。冷たくておいしい!
めちゃめちゃのどが かわいている  もう一杯ジュースを飲む。
少ししてデザートタイムと称して、フルーツ、ケーキ、パン、等々がやってきた。ただ座っているだけなので一向に腹が減らない。メイン料理は無しにして果物とケーキのみを注文。3時のティータイムとした。

窓の外は雲一つない青い空。飛行機が飛んでいるのか静止しているのか解らない位 景色が変わることなく青一辺倒である。
定刻4時20分に香港到着。
ここ香港のcx(キャセイ)のラウンジはすごく良いよ!と長男がお勧め。
4時間も待ち時間があるのでシャワーをあびる。シャンプーもして下着、靴下を洗い ドライヤーで衣類も乾かし、移動の疲れもとれた。
やっぱし、ビジネスクラスやね。今は5:30分
そろそろ夕食としようかな。
ボーデングの8時20分まではまだまだ時間はある。
もち米のチャーハン、それにチャウダーポタージュ、美 味 な〜〜〜り

数え切れない程の滑走路を見ながらカウンターに腰かけてジャパンを飲む。おつまみも適当に見繕って!
灯が少しずつ滑走路につき始め夕闇が迫ってくる。
もう少しお腹に余裕あり。熱いチィとクロワッサン二つ。納  得 。

コルカタ行きのgateは「505
ラウンジから30分もかかるとか?
7時30分にラウンジを出て早歩きしてバスに乗り別のターミナルへ。
20時30分にコルカタ行のビジネスクラスに並んでいると今日のフライトはビジネスクラスは無し、その差額分を返金するとアナウンスがあり。
どっちみち三時間足らずのフライトなのでいいじゃん!お金が戻ってくるんやから。因みに10300香港ドル。
シートNO30、私は通路側?窓側!?と隣りにいた男性に尋ねた。
彼はたまたま日本人だった。見るからに優しそうな人だった。
色々話をしている中で空港で寝るんだったら僕のホテルに来ませんか?と親切に誘ってくれた。
こんなおばあちゃん、誘ってくださるの?のと二人で大笑い!

あ り が た や~~~~~~~~→。
御厚意にあまあま、あまえることにした。
彼は***社のサラリーマン福岡勤務。(出張でインドに向かう道中)
天から降って湧いた有り難いお誘いに感謝、感謝です。
これやから旅は楽し〜〜
       ファンタスティクよ〜〜〜〜

彼のアドバイスでさっき払い戻してもらった香港ドル5000をインドルピーに両替することにする。残りの香港ドルは帰国するトランジットの時、空港で円に両替すると良いですよ、と教えてもらう。

コルカタ着23時20分 
出国手続きを済ませ両替も済ませ、香港ドル500×10枚をルピーに両替(38500ルピー)。
HYATTホテルの迎えのタクシーでホテルへ誘ってくれた男性の部下(らしき人)と3人で行く。
空港からはたったの10分。
明日のインパール行きの空港までの時間のメドはついた。ここHYATTは朝食も出るとか。彼らは朝8時20分ホテル出発で仕事とか。短期間の出張らしい。あんの状、こんなにイイホテルなのに一睡もできず、、、香港→カルカタの飛行機の中の2〜3時間のみの睡眠だったことになる。

(※後日談)帰国してHOTELに誘ってもらった中野さんに叔父の慰霊の報告と親切にしていただいたお礼をEメールに送った。すぐにお返事が来た。
私の(戦死した)叔父のお墓参りに行く話を聞いて、何かのお役に立ちたいとの思い、ホテルの同泊をお誘いした、との事だった。感謝、感謝です。

つづく


#バックパッカー #旅日記 #75歳 #50歳からのバックパッカー  


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今回の旅は第二次世界大戦で戦死した叔父の慰霊のための企画でした。 叔父の戦歴を取り寄せて調べてみると五年間の戦歴が詳しく書いてありました…

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