あなたは犬騒音があるところに住みたいですか、それとも、犬騒音のないところに住みたいですか。 (2021/06 68枚) 前編
十六万葉の宇宙船が地球から解き放たれた。まるで、いつか見た、望月がみなもをただよう熱帯の夜の海に珊瑚がいっせいに卵を放つ、そんな光景を、自らもその卵のひとなった舟の窓からのぞみながら、思いだした人もすくないだろう。舟はどれも軍隊のように自立し、都市のように自足し、完結していた。人類が目論んだ乗り物としては目もくらむほどの規模を誇り、まぎれもなく最大の代物であったが、これからのりだそうとする宇宙という虚無の大海原とむかいあうと、それは一枚の木の葉にも足りなかった。舟は、しばらくは名残を惜しむかのように地球のまわりをよるべもなく漂い、やがて、それぞれに方向を定めて散らばっていった。ただ一葉で漕ぎ出すもの、二葉、五葉、七葉、さらにもっとおおくが一団となって漕ぎ出すものなど、さまざまだった。それからほぼ千年の歳月が流れた。そのころには人類の寿命は格段に延び、なかには二百歳を数えるものもいた。たどり着いた銀河や星系であいかわらず宇宙船暮らしをするものたち、あるいは舟を捨ててあたらしく見いだした星々に定住するものたちもいた。もし、これらの人類をまとめて俯瞰し観察できるものがいたとすれば、それはあの懐かしい書物に記された、あれらフィンチのようだと感慨にひたったにちがいない。……
雨は音楽よりもやさしく守ってくれた。降りそそぐ、幾千、幾万もの甘露が、木の葉、道路、アスファルト、屋根瓦、土手、小川、車の屋根やボンネットやガラス、芝生、傘、そういった外界のものいっさいとぶつかり、弾け、特有の音をたて、その音が水のようにひとつに融けあってわたしをつつみこむ。雨音の繭がほどよく外界とわたしのつながりをたもちながら、心地よく断ち切ってくれる。音楽にはできない芸当だった。ほどよく大気がうるおい、暗すぎないていどにやわらいだ光のなかにうかぶ、晴れた日にはその強すぎる光にすこし気後れしてしまう景色を、窓ガラス越しにながめるのはここちよかった。毎日、雨が降る必要はなかった。三日か四日に一度夜と昼をとおして降りつづく雨があればよかった。深夜、ベッドに入って目を閉じると、外界はすべて闇もふくめて雨音のなかにとけこんでしまい、さまざまなものにぶつかる雨の雫の音がそれぞれのものの特徴はそのままにひとつの音に融けあっていき、昼間は繭のようだったそれが、わたしのなかにやすやすとしみこんでくる。そしてふと気づくと、いつのまにかわたしはその音に置き換わってしまっている、そんな状態がとてもここちよかった。わたしは雨であり、雨の雫であり、雨の雫が外界のいろいろなものにぶつかり弾けるそれぞれのひとつひとつの音であり、それぞれのひとつひとつの音がひとつに融けあったものであり、それを聴きとり感じとる意識であり……。こんな時のわたしが、他のなにをしているときのわたしよりもわたしは気に入っていたし、好きだった。こんな時のわたしこそがこの世界に存在する、もっともわたしらしいわたし、もっとも望ましいわたしのひとりだと、しみじみと、世界のなかにとけていくことができる。厭うべき外界、忌むべき外界のものは一切なかった。雨と雨の音がそういうもののいっさいを洗いながしてくれた。
一度、眠りが醒める。五時間か六時間、眠りのなかにいたあと。トイレで小用をたし、またベッドに戻る。この時間帯、眠りのなかでわたしは昨日私の身の上におこったこと、ことにわたし自身が起こした行為について、整理や検証をしているのだろうか。いやなタイミングで目が醒めるものだと、いつもいたたまれない気持ちになった。昨日はネットオークションである茶道具を落札した。ものは本物であり、出品されたのを見つけた瞬間これは手に入れようとなんの迷いもなく決意し、落札価格も想定内、むしろいくらか安く落札できた。満足のいく結果に昂揚し、入金もすまし、はやく届かないか、とても楽しみでしかたなかった。
そのすべてを、今のこのわたしは後悔していた。あのときはほしいと思ったにしても、よくよく考えてみれば必要でもない、落札なんてしなくてもよかったのに、しかもこんな価格で。ほしいと思ったものをこうして手に入れたのに、なぜかこころはカラッポ。手に入れたからこそ、むなしくなるのか。なにかとんでもない失敗をしでかしたような気持ちになる。あの時はほしいと思ったのに、手に入れた今さらこんなふうに否定したり後悔したり、むなしいわたし自身がやりきれなくなる。たぶん、人にはこんな時間帯があるのだろう、自分の行為についていったん全否定したり、後悔したり、その行為の是非をあらためて検討するような時間帯が。誰にでも。ただたいていの人はその時間帯にはぐっすり眠りこけていて、そんな時間帯があることを意識することすらない。運悪く、わたしはその時間帯に猛烈な尿意によって目が醒めてしまう、ただ、それだけのこと。あらためて、わたしは、落札の経緯について一から、子細にたどってみる。とくに注意を払っているのは、わたしの考えや感情のうごきだった。いや、この否定や後悔を消すのに唯一問題なのは、わたしの考えや感情の動きいがいにはなかった。あの釜は確かに本物で、いいものだった、ことにあの肌ときたら。その釜があの価格ならむしろお得だろう、そう、なにも後悔することなんかない。たどりながら、わたしはその時のわたしの考えや感情の動きを微に入り、思い出そうとする。細に入り、ひとつひとつの考えや感情の動きを検証して、あの時わたしがそう考えたり感じたことは状況からして必然であり、それは仕方ないとしかいいようがないほどの自然であり、そして、そのような考えや感情の連鎖によって今の状態になったこと、あの釜をあの価格で落札して手に入れたことはどうしようもなく避けがたい自然なことだったのだと、わたし自身に検証してみせ、わたし自身を納得させるのだった。たぶん、大多数の人はこんなことは眠っているうちに、無意識が片付けてくれることなのだ。その時はまったく満足していたのに、その行為を自分自身で全否定する、後悔するなど、これほど個人にとって不快な行為はないのだから。むなしさは、やがて時間が解決してくれた。トイレに行くみちにあらわれた全否定を、折り返しながら全否定すると、わたしはベッドに戻った。そして、また、はじめる……十六万葉の宇宙船が地球から解き放たれる……。
とりとめもない空想、というより、それは、おまじないであり、儀式だった。
まず、トイレで小用をたす。出ても出なくても、したくなくても、したくても。そのあと、ふたたびベッドに入り、姿勢をととのえ、目を閉じる、そして、空想するのだった、十六万葉の宇宙船がいっせいに地球から解き放たれる様を。そのとき、地球はまだ青いのだろうか? 赤茶けた地球かも知れなかった。きらきらとかがやきながら、星雲のように、解き放たれた十六万葉の宇宙船が地球のまわりを漂っている。その様を、逐一、言葉に置き換えていく。たどたどしく、一語進んだかと思うと、三語、もどったり。放精にも似たそのようすを彼方から俯瞰していたかと思うと、宇宙船の船窓から間近にながめていたり。そんな未来の出来事のはずなのに、「大王」と呼ばれる人物がいたり、錬金術師がいたり。どのあたりでわたしが眠りに落ちていくのか、それは夜ごとに違っていた。わたしが眠りに落ちる須臾のうちに、この宇宙では千年がすぎ、それぞれの宙域、銀河系、惑星へと散らばっていった人類のなかには、地球を旅だったときの姿を留めていないものもあった。知性を備えた液体状、ゲル状の存在、そんな生命体にまで進化したものたちもいた。その生命体にも目玉だけはしっかりあった。外見上、それがかつての人類だったという証は、おそらくその目玉だけだろう。彼らは水銀のように容易にとけあい、離合集散する。何人がひとつになったものか、それは目玉の数を数えればよかった。二個一組で、どんなに密集しようと凝集しようと、ひとりの目元、目玉と目玉の間隔は変わることがなかった。千年すぎてもかたくなにクラシカルな人類の形態を保っているものたちが彼らと遭遇したら、なんと思うだろう。すでに言葉も通じなければ、意思疎通の方法とて失われてしまっている……
空想の人類の進化が行き着くところまで行き着いても、眠りに入れないこともすくなくなかった。そんなときは予感がした。今日はだめだ、いつまでも空想にこだわっていてもしかたない。こんな時の対処法を、すでにわたしは編みだしていた、音楽だ。まぶたを開けると貴重な眠気がさらに逃げていってしまうことを恐れて、手探りで、ベッドの脇に常駐しているCDラジカセのスイッチを入れる。音楽は壁だった。雨の音のつぎに、わたしをやさしく守ってくれる。殻を失った黄身のように脆弱なわたし。むきだしになっているわたし。ゲルのようなわたし。イメージすると、そのわたしの界面は、はげしくいりくみ、いたましく糜爛している。こんなにはげしくいりくみ、複雑なでこぼこがあるのは、つねに侵蝕をうけているから。酸のような外界がわたしの界面をつねにとかしながら侵蝕していた。とくに無防備だった、一度眠りから醒めたこの時、ガラスのような外界に結露した水滴のように、重力のままにしたたり、消えてしまいそうないやな気持ちに満たされている。このままこの厭な気持ちのまま消えてしまうことができるなら、それはそれでいいのかもしれないが、どれほど侵蝕がすすもうとわたしが消えてしまうことはなかった。外界からの侵蝕など、おそらく、とるにたらぬ表面での出来事にすぎないのだろう。だが、その界面が侵蝕されぼろぼろに糜爛することによって、表皮が部分的にでもとけて消えることによって、黄身のわたしは外に流れだしてしまう。その実、ガラスのような外界に拒まれながら、わたしはわたしのナカミを外界にぶちまけてしまうことになる。かたちもなく、流れだしてしまう。かたちを失い、流れだしてしまう……。おもったるい不快感は、とけた表皮に比例した、とけて消えた表皮からあふれだして、外界と接しているナカミに比例した。音楽は表皮にかわる壁だった。案外、分厚い壁なのだ。かたちを保っていた外皮を侵蝕されて失い、液状に、流れ出そうとするわたしを外界から守ってくれる。音楽が、わたしと外界のあいだに境界をひく。よく音楽につつまれる、というが、そう、音楽はわたしを包みこみ外界を遠ざける。つつみこみ、浸潤してくる。液状のわたしにしみこんでくると、わたしを眠りの卵のなかにかためてしまう。外界に接していたわたしの意識は、音楽にひきこまれている。はじめはとぎれとぎれに。はっと意識をとりもどすと、音楽の繭が奏でている。わたしはわたし自身が眠りの卵となって固まっていく。
音楽が役に立たないときもあった。気が張りきっていてテンションも高く、一見ぎっしりと充実していて、外界のことを忘れきってしまっているとき、そう、ただわたしが忘れているだけで、外界は消えてしまったわけではない。たしかに、眠りに入る前は充実していたが、眠りのなかでわたしは、いい思いも悪い思いも、いったんすべてを脱ぎ捨ててしまう。あの不愉快な時間帯、それもこの脱ぎ捨てる作業の一過程にちがいなかった。わたしは空っぽになる。空っぽで目覚める。ただ気分だけは前夜の充実をひきずっている。まだ、その充実の感覚、充実の感触が実は充実そのものではなく、ただの充実の記憶であることに気づかない。からだをかよわせ、よろこびをつむぎ、ふかくつないだ翌朝、まだ性器にも肌にも相手のぬくもりや感触がなまなましくのこっている、そんな見せかけの充足、その空っぽのわたしに音楽は役に立たなかった。わたしは気づかない、実は、わたしのいちぶが失われてしまっていることに。外皮どころか、わたしのいちぶが。相手と交ざりあって、消えてしまったわたしの一部分。もちろん、これとて、たぶん幻想なのだろうけど。わたしという幻想、わたしって何? 外界の侵蝕をうけているわたし、外界の侵蝕から守られるべきわたし、そんなわたしというものが存在している、それはわたしのわたしという幻想? ああ、でもわたしはいつも外界の侵蝕に怯え、黄身のわたしは凍え、震えている。皮膜が糜爛した黄身のようにこころは恐れている。空っぽ、なのに。空っぽならば、怯え、凍え、震え、恐れるわたしなどないはずなのに。こんな時、わたしは界面だけになっている。まるい、球体、ガラスのような輪郭だけの存在。その輪郭が、外界に怯え、凍え、震え、恐れている。ほんとに、卵の殻のように一見硬いが脆い存在。界面だけのわたし、だから、なのだろうか。音楽は壁にならなかった。音楽が輪郭のわたしを満たしていくのを、辛抱強く待たなければならなかった。こんな時の外界の不意打ちはとても応えた。外界の鋭い一撃は、ただその一撃で、わたしはクシャッとなってしまう。クシャッとひび割れ、そこから怯えや恐れの波紋がひろがり、わたしを歪ませる。音楽はまだ半分ほどしか満ちてきていない。ボリュームをあげるほどはやく満ちていくが、隣ではまだ相手が眠っている。だが、やがて音楽が輪郭のなかに満ち満ちると、すべての界面が音楽と密接になると、輪郭は音楽のなかにとけていく。とけて混じり消えていき、音楽の輪郭、壁ができあがる。こうして、また、音楽の壁がわたしを外界から守ってくれた。
朧げながら、周期があった、外界からの侵蝕、腐食がいたたまれないほど耐えがたいとき、「ああ、またこの時期が来た」とわたしは心するしかなかった。糜爛が浸潤したこころで。外界に変わりがないことはわかっていた。いつもどおりの外界。ただ、腐食がはげしくなる。ガラスの壁のような外界にはりついている液状化したわたし。そのわたしが、外界との境界ではシュワシュワと炭酸飲料かなにかのように、こまかに泡だちながら流れおちていく、そんな様子が目に浮かんだ。外界にべったりはりついたまま、ずるずると滴り落ちていく。泡のように見えるのは、実は爛れたわたしの外皮だった。沸騰しているのかも知れなかった。そう、沸騰していた。外界とのあいだにはげしい火花を散らして。わたしは抵抗し、戦っていた。外界がわたしのなかにしみこんでこないように。これ以上わたしを侵蝕し、腐食しないように。しかし戦うことが、かえってわたしのなかに外界を侵蝕させた。戦うことで沸騰し、泡だつわたしの外皮、その泡だった分だけ、外界はわたしを腐食してしみこんでくる。外界はガラスのような壁でありながら、なぜかわたしにはしみこんできた。こんな時は、音楽が役に立たなかった。いくらボリュームをあげようが、外界の侵蝕を防ぐ壁にはならなかった。音楽の繭につつまれた世界で、外界はわたしを侵蝕し、腐食しつづける。わたしは泡だちながらとけしたたり落ちていく。泡立ち、震え、怯えながら、恐れながら、とけていく。とけたところで、わたしが消えるわけではなかった。そして、とけ残ったそれがわたしなのではなかった。泡立ち、震え、怯え、恐れながらとけている、その現象こそがわたしだった。こころのなかでおこっている現象、それこそがわたしにちがいなかった。音楽はわたしをつつみこみ隙間という隙間にまで満ちているが、外界の存在の気配は消えず、わたしという現象は絶えることがなかった、あわだち、ふるえ、おびえ、おそれ、溶けていくわたし。音楽が通用しないいじょう、ほかに今のこのわたしという現象からぬけだす手がかりを見つけなければならないことはわかっていた。何時間音楽に満たされていようと、この現象がやむことはない。そのあいだ、わたしはこの泡立ち、ふるえ、怯え、おそれ、硬直、溶解を生きつづけなければならない。このあわだち、震え、おびえ、おそれ、硬直、溶解そのものとして存在しつづなければならない。手がかりは、思いもよらないところに、ふいにぶら下がっている。
最後に隣の部屋との襖を締めきった。外に面しているサッシも、廊下側の襖も締めた。サッシは鍵もかけた。廊下からの水の流れる音も聞こえなかった。「壺清水」といって、廊下には、アクアリウムのポンプで水を流し、せせらぎの音がする仕掛けになっている古い磁器の壺を置いていた。いつもせせらぎの音がしていた。外界からわたしを守るために置いてみたのだが、音楽ほど役には立たないことがわかったとはいえ、気を紛らすことくらいはできた。その音もこの部屋では聞こえない。泡立ち、震え、怯え、恐れ、硬直し、溶解しているわたしから、すべての音が一瞬途切れた。ただ、釜の煮える音だけがしずかに鳴っている。カチッとなにかとなにかがかみ合う。この音だった、今日、今は、音楽のかわりに、釜のこの鳴りの音がわたしを外界から守ってくれる。
どんなときも、わたしがいかに泡立ち、ふるえ、怯え、おそれ、硬直し、溶解していようと、夜はこころづよい味方だった。夜の暗闇が染みわたり、外界が同化してしまうと、泡立ち、震え、怯え、おそれ、硬直ものびのびと夜のなかに広がり、雲散霧消していき、溶解していたわたしもすこしずつかたちをとりもどしてくる。昼間は尖り、棘立ち、糜爛しているわたしの界面も、しなやかになって糜爛もおさまり、やがてなめらかなここちよい表面となった。いや、表面も中身もなかった。わたしそのものだった、わたしそのものがわたしそのもののかたちのまま、夜のなかでは存在できた。夜の闇はここちよかった。どこまでも夜の闇のなかにとけこんでいけて、それでいてわたしというひとつの塊でいられた。わたしはわたしというまとまりを維持したまま、どこまでも夜の闇の彼方まで、一体になることが出来た。夜の闇がわたしであり、わたしの肌でもあり、わたしが夜の闇だった。光に刻み出されてそれぞれがそれぞれのかたちを主張して存在する外界は、そこにはなかった。光が押しつけてくる、それぞれの存在を区別する境界や輪郭や界面を、闇はおぼろにするか、見えなくするか、無くしてしまう。昼の光のなかでは、外界の侵蝕をうけ、警戒して尖り、棘だち、糜爛するわたしの界面も、だから、夜の闇のなかでは存在しなくなる。あらゆるものを明分する光が、ガラスの外界をわたしに押しつけてくる。光のなかで、わたしは侵蝕をうけ、警戒して尖り、棘だち、糜爛する。光のなかで、わたしは外界と区別され、界面は侵蝕され、警戒して尖り、棘だち、糜爛する。
闇がすべてを癒やしてくれた。ゆったりとして、ひろがっていくが広すぎず、狭すぎない、わたしはここちよさそのものとなる。
ゆったりとして……昼間なら耐えがたいあれら外界の侵入も夜の闇につつまれとかされていく。わたしのなかに。夜の闇とともにわたしは外界を消化していく。昼の光のなかで硬質なガラスのようにあれほどわたしを拒みつづけ、触れるところを糜爛させていた外界に根をはるように消化していく。夜の闇はなまあたたかかった。硬質なガラス質の昼の外界と違い、昏く、人の肌のようにやわらかく、なまあたたかかった。こまやかな肌理は繊細な多孔質か微少な乳突起のようなさわり心地があり、ここちよかった。
そう、そんなわたしにときおり、突然、あの外界の象徴が斬り込んでくることがあった。夜の闇につつまれとかされていた外界が、一瞬にして凍りつく。切り口は、闇にとかされていた昼の光が息を吹き返したように鋭くきらめいていた。やわらかく、なまあたたかく、ここちよかった闇が硬化し、昼の光のようにわたしを閉め出す。外界の象徴は切り込みをくり返し、そのつど、夜の闇のなかにとけこんでいるわたしは闇とともに、凍りつき、切り裂かれていく。切り裂かれて硬化した切片は、絶望と怒りと呪詛の闇に落ちていく。闇のなかで心地よさそのものとなっていたわたしは、凍てつき、削り取られて減っていき、削り取られた分だけ、絶望と怒りと呪詛の坩堝が膨張した。夜の闇のなかでわたしは外界ととけあうことができたが、あの外界の象徴は別だった。外界の象徴は、いわば、澱であり、芥であり、塵埃であり、無知であり、無頓着であり、暗愚であり、劣悪であり、下劣、そういったものが凝縮していた。
夕暮れ時は、眠りが中断されるあの時間帯についで、もうひとつの最悪の時間帯だ。昼間の長い夏はとくに。まだ暮れない。まだ、明るい。長かった。サッシの窓ガラスのむこうには、よどんだ光が充満している。外界は、そう、窓ガラスのむこうにあった。わたしと外界のあいだには空隙があった。わたしの表面はもう、ギザキザと尖ってもいなく、糜爛もしていなく、外界と接してもいなかった。ただ、空隙がそこにあった。空隙に接しているわたしの表面は、かたちを保っているのが不思議なほどに脆く、つねに蒸発しかねない不安がわたしを怯えさせた。いや、ひび割れた皮のボールから空気が漏れるように、気を張っていなければ、知らぬ間に、わたしが空隙と入れ替わっていきつつある気がしていた。締めきり施錠したアルミサッシの窓、空気清浄機とエアコンの運転音、空隙と入れ替わりつつあるようなわたしのかたちを、これらのものがなんとか保たせていた。外界の象徴が斬り込んできた。空隙に接しているわたしの表面が界面に変化し、ざわめきはじめる。ざわめきはわたしのナカミにまで浸透し、界面はギザキザと尖って、泡立ち、ふるえ、こごえ、怯え、硬直する。飽きもせず、外界の象徴が切り込みをくりかえす。その度に裂傷がバッサリと口をひらき、溶解したわたしが流れ出すや、界面となって、ギザキザと尖り、棘だち、泡立ち、震え、凍え、硬直していく。満身創痍。幾度も、執拗に外界の象徴は斬り込んできて、裂傷をふさぐ界面をさらに切り裂き、おびただしい裂傷がゆたかな八重咲きのようにわたしに折り重なった。あまりにも切り裂かれて、いつのまにかわたしのコアは露出して界面となって尖り、棘だち、泡立ち、ふるえ、こごえ、怯え、硬直し、先ほどまでの界面が裏返って内側になってしまうほどだった。こんなになるまでじっとしているわけにはいかなかった。わたしはキッチンで食事の用意をしている。最初の一撃を喰らうか、喰らう前に、冷凍ごはんを電子レンジで解凍し、IHヒーターにかけたやかんでお湯を沸かし、換気扇のスイッチを入れるのだった。電子レンジのうなり、IHヒーターの振動音、お湯の沸く音、換気扇の風切り音、音楽のかわりに、これらのものが四方からわたしをつつみこみ、わたしを外界から守った。電子レンジのうなりが止み、お湯が沸きIHヒーターをきるとやかんの音も静まり、ただ換気扇の風切り音だけがここちよく毛羽立ち、糜爛した八重咲きの界面を撫でるが、外界の象徴は執拗に斬り込みをくりかえし、わたしはテレビをつけ、ボリュームをあげる。テレビから流れ出る人の声やもの音やBGMが外界の象徴と切りむすび、そのたびに砂糖菓子のように弾け、うちけしあう。ただ届くのはそんなふうに弾け散った外界の象徴の断片だけ。八重咲きのように裂傷が折り重なり、その裂傷ごとにギザキザと尖り、棘だち、泡立ち、こごえ、怯え、震え、硬直していた界面は仮の安らぎをえて、なめらかに、しなやかになっていくが、裂傷は化石化した波紋のように刻み込まれて、時の流れに洗い流されることはなく、わたしの脳髄の奥に黒くて頑固でやっかいな痼りとなってとり残される。
夜が深まっていくと、闇はさらにわたしをのびやかで、しなやかで、なめらかで、しずかで、穏やかにした。昼間の尖り、棘立ち、糜爛したわたしは嘘のようにここちよいものとなる。静かで穏やかな闇のなかにどこまでものびやかにわたしは広がり、とけこみ、わたしのかたちを保っていることができる。本を読んでいても、映画やアニメを見ていても、食事をしていても、それらのことに集中しながら、闇の彼方に生起するものごとの音を捉え、気を散らすことなく、それらのもの音を闇のなかに、わたしのなかに溶かし込むことができた。どこかで赤ん坊が夜泣きをしていた。隣はさぞ迷惑だろうな。闇の彼方に赤いちいさなライトが灯り、大きくなってくる。救急車のサイレンだった。サイレンの光は一瞬いびつなかたちに膨れあがると、髪の毛のように細い尾を曳いて消えていった。蝉どもが死に絶えるころには、闇のあちこちで、秋の虫たちが存在しはじめる。虫たちはわたしの闇のなかに、ほのかで、すずやかな、ちいさい灯りをともした。まぶたを閉じて闇をわたしのなかにひきこみ、虫たちの声を探る。すずむし、まつむし、かんたん、えんまこおろぎ、秋が深まるにつれて虫たちの灯すちいさい光のかたちや色もうつろっていく。轡虫だけは御免だった。こいつは、晩夏にやってきた。わたしの表面を波立て、乱し、闇をコマギレにする。わたしは闇のなかに歩みでると、そいつの糸口を摘みとり、たどるまでもなく、そいつの糸口は小腸のように音源へとつづき、苦もなく音の現し身を確かめたわたしは殺虫剤を一吹きした。いまはかたちを失った翅をひろげてそいつは飛び去った。しばらくすると、わたしの闇のなか、ちいさなよわよわしい光がともった。光は殺虫剤に侵されてかすれ、ゆらめき、ぼろぼろで、やがてとけるように消えてしまい、あとにはただ、昼の光のなかでたしかめると、音の形骸だけがそこに転がっていた。
はっとして、ごつごつとした黒い巌にとびちる白い水しぶきのなかにとけこんでいたわたしに気がついた。人に知られず、おくやまにひそむ、ちいさな瀧のいとなみだった。濡れた、ごつごつとした黒い巌、いつ果てるともなくつづく白い水しぶき。風にゆらめく翠もみずみずしい羊歯。膚いろの砂地をながれる透きとおった水は、木もれ日に、みな底の膚いろの砂に虹色のニュアンスをそえてきらきらとかがやかせる。限りなく飛び散りつづける白い水しぶき。くろく濡れた巌……「壺清水」だった。水の量をすこしふやした。すると、小川のせせらぎが奥山の人知れず落ちる瀧のしぶきに変わった。夜の闇のなかにしみこんでいき、いつのまにかうとうととしていた。夕暮れの空隙は夜の闇とわたしに埋めつくされ、しみこみ、とけあい、まざりあい、どこまでもわたしはのびのびとして夜の闇のなかにいきづいていた。昼間の泡立ち、震え、怯え、こごえ、硬直は錯覚のようにさえかんじられた。白い水しぶきは飛びちり、なめらかな透きとおったながれのなかにゆらめきながらとけていく。ゆらめいている、波うちながら、ゆらゆらと、わたしが、すきとおり、みずみずしい翠のひかりが逆光で陰った木の葉のあいだから漏れくるのを仰ぎ見ている。きらきらと、きらめきは飛びちる水しぶきとなってふりそそいでくる。夜の闇におおわれ、しみこみ、とけあい、白い水しぶきは飛びちりきらきらときらめく木もれ日とまざりあってふりそそそいでくる、夜の闇の膚に。音がとけこんでくる。白い水しぶきと木もれ日のきらめきがひとつにとけあった音。夜の闇の肌に触れるや、白い水しぶきと木もれ日のきらめきがとけあったそれは、音となってしみこんでくる。しみこみ、流れ、白い水しぶきとなって飛びちり……なにか満ち足りたけだるい幸福感が夜の闇のなかにかたちを持ってくる。わたし、にちがいなかった。どこかは夜の闇ととけあい癒着したまま、どこかは、夜の闇とはちがう、夜の闇にはない、なにかのかたちを帯びはじめていた。夜の闇から離れ、分娩されて、なにかのかたちを持ちはじめていた。なにかのかたちはくっきりと夜の闇から盛りあがり、はっとして、わたしはそのかたちのなかに押し込まれていた。目の前には蛍光灯のひかりにかたちを与えられたそれぞれのものがわたしを取りまいていた。わたしはゆっくりとからだをおこした。ぁあ、とスリープ状態のパソコンを起こした。ぁあ、そうだった、好奇心からHSP診断テストをしているあいだに眠ってしまったらしかった。
一人になって休憩する時間がないまま他人とずっと二、三時間以上も一緒にいなくてはならないと、疲れ果ててしまうことがよくある
ほかの人たちが不快に思わないような音も、ひどくイラ立たしく思えることがある
大きな音・強烈なにおい・鋭い光をひどく不快に思うことがある
仕事中に誰かに監督されていると、ストレスを感じる
こんな問いが四十も五十もつづく。
なかには、こんなこと、人間なら誰だってそうだろう、と思えるような問いもあった。
ときどき、穏やかに落ち着いたところで休憩する必要がある
時々、芸術作品を観ていて、喜びで胸がいっぱいになることがある
美しい音楽を聴くと、興奮する
美しい自然を見ると、心のなかが歓喜の声でいっぱいになる
「こころのなかが歓喜の声でいっぱいになる」、こういう比喩はどうかと思うが、そのことに驚いた、いままで、こんなこと当たり前だと思っていたことがこんな問いになるということは、そうではない人間がいるのだろう、とそのことに。そんな木石じみた人間がほんとうに存在する、なんて。存在するのか、ほんとうに?
いや、それどころか、この木石じみた人間こそが大多数で、わたしたちのような人間は少数派だった、なんて。そのことに衝撃をうけたが、それも、すぐに理解することができた。「ああ、そういうことか」。わたしはわたしが今おかれている状況のすべてを、理解した。そういうことか、大多数の木石とその木石に埋もれて生活しているわたしたち。外界とはこの木石の蓄積、堆積層であり、そのなかに埋もれて木石になりきれないわたしたちは、わたしのような人間は、その重みに押しつぶされそうになりながら虫の息で生をつないでいる。界面をギザギザに尖らせ、わたしを糜爛させ、あわだたせ、凍えさせ、怯えさせ、おそれさせ、硬直させる、外界とは、この木石の堆積層なのだった、人類の歴史とともに降りつもってきた木石層、そのなかに埋もれてわたしは生きている。
つづく
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