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3月 混合日記

フリーペーパー3⽉号は「⽇記特集」です。

今回は、発⾏⼈の”不便な本屋”スタッフざきとお客さま2名(oyasumiさん、 らすかるさん)の3⽉の2⽇間を持ち寄った混合⽇記となっています。年齢も⽣活も何もかも違う3⼈の⽣活を交互に読んでいると、⽣きる全ての⼈にそれぞれのいちにちがあって、感情があって、そういう重なりの中で⾃分が⽣きているんだなあと感じます。同じ時代を⽣きている⼈が居るということは当たり前すぎて思いを巡らせることは少ないけど、改めてそのことを思うと⾃分がここに居ることそのものが肯定される気がします。読んだ皆さんにも何か感じることがあると嬉しいです。

【2023年】
3月6日(月) ざき
友人と昼過ぎに待ち合わせて『ケイコ 目を澄ませて』のロケ地を目指して荒川に行った。目的の荒川に着いてまずは川辺に座ってお喋りをする。久しぶりに会ったので待ち合わせた瞬間からずっと喋っているけど止まらない。興味の方向性が似ているのとしっかり突っ込んで話を聞いてくれるから楽しい。答えが出ないような話を一緒に考えてくれるのも嬉しい。そろそろ行くかあ〜と、映画に使われている場所を探し始めたけど全く見つからない。1時間くらい歩いてもそれらしい場所が見つからなくて、だんだん寒くなってきたのでそれっぽいところで写真を撮った。撮れた写真は映画のシーンとかすりもしてなくておかしくなって笑った。

今日はロケ地巡りといつつ先月からはじめた都内の馴染みの無い街に行こうという企画の一環でもあって、知らない街を歩くのは楽しさと少しの心細さが混ざって楽しいと改めて思った。荒川は好きになったけど、夜の街にはあまり馴染めなくて(疲れてたのもあるかも)表参道まで戻ってふたりのお気に入りの喫茶店に行った。甘い珈琲を飲みながら、ほどよく静かな場所で声を落として話すのが好きだなとぼんやり思った。

3⽉8⽇(⽔) oyasumi
いつも乗る電⾞の向かいのホームに⽴ち、電⾞を待つ。昨⽇の夜は本当に最悪だった。仕事から帰って、ご飯を⾷べて、お⾵呂を掃除して、お⾵呂に⼊って、お⾵呂を掃除して、洗濯機をまわして、お茶碗を洗って、洗濯物を⼲し終わったらもう次の⽇になっていた。
ベッドの上でスマホをいじってたら、⼤学時代の友⼈の、⼩さな成功が⽬に⼊った。あーあ、⾒なければ良かった。喜べもしなくて、応援もできなくて、どこで⼈⽣間違えたんだろう、みたいなことを考えて過去ばっかり遡ってしまった。ずっと昔の傷跡が少し乾いて、表⾯のへこみになっている。そこに指を滑らせると、ただただ⽳になっている。気になって触りすぎるとぴ り、と痛む。でも今は幸せで、正解で、まちがってない。だから、なんなら、過去の⽅が間違えてた、って⾔い聞かせたいなと思ってしまうほどに。でもどちらも間違ってなくて、どちらも正解でもない、なんてことも本当はわかっていた。疲れていたけど、すぐには眠れなかった。
今⽇はせっかくのおやすみで、天気も良くて、わたしは花粉症でもなくて、 暖かくて、下北沢へ⾏くというのに、AirPodsをつけてみたらうんともすんとも⾔わなくて充電するのを忘れたこと気がついたけど、全然昨⽇の夜よりはぜんぜん、ぜんぜん、ましだなって思った。

3⽉11⽇(⼟) ざき
今⽇は⼈の誕⽣⽇とか歴史とか覚えるのが苦⼿な⾃分が唯⼀はっきりと認識している⽇。12年前の今⽇、⼤きな地震が来ていろいろなものがなくなった。ずっと住んでいた⼩さな町がまっさらになって、家も着る物もお⾦もまるっきり無くなった。それでも私は家族が⽣きていて、あちこちから聞こえてくるあまりにも悲しい現実を前に⾃分には悲しむ権利なんてないと思った。それに悲しみの種類が知っているどれにも当てはまらなくて、⾼校を卒業したばかりの幼く⾔葉を持たない私は上⼿く悲しめないままただぼんやりとしていた。
逃げ出すように上京して⼤学に⼊ると、⾃分だけ事前課題が⼿元になくて、 流されちゃって〜とヘラヘラ笑った。本当は終わってないんじゃないの〜 と、偶然その授業で同じグループになった⼈が笑う。バレた?と笑い返す。そんなことばっかりでムカついて、とにかく威圧感が欲しくて⾦髪にしたら教員から被災者らしくないと咎められた。被災者らしいってなんだろうと思いながらすみませんと⾔った。悲しめない代わりに⼼の中でずっと怒っていた。何度も⾔われる被災者らしくという⾔葉に、追加で借りる奨学⾦の⼿続きに、⼦供であることを盾に地元の家族のケアを怠る⾃分に、ヘラヘラするしか能がない⾃分に。そうやって過ごしながらいつもいつも⽣き延びてしまった気がして苦しかった。誰になんと慰められても、⼼から湧き出るその感情はただ認めるしかなくて、それをいまもまだ持て余している。

12年後の今⽇は本屋を少し早く閉めて⼤事な⼈に会うことにしていた。どうしても今⽇はそうしたかった。それなのに少しムッと思ってしまうことがあって、その気持ちを上⼿く抑えることができなくて、会う前に⼀度ひとりで映画館に⾏って映画を観た。それでも気持ちをコントロールできなくて、結局会う前に電話で少し怒ってしまい会った瞬間から気まずい。その空気のまま川沿いを歩く。ほとんど初めての喧嘩で、お互いが⾔わなくていいことを⾔わないように何度も⾔葉を飲み込む。⾔葉の棘を取り除きながらぽつりぽつりと慎重に⾔葉を交わして、少しずついつもの⾃分たちに戻る。⽬に⼊った店で焼き⿃を⾷べて、ビールを飲んで、帰り道にアイスを分け合って、いつも通りという感じ。だけどきっと本当の意味で戻ることなんてなくて、今回の私の感情の露出みたいなことが積み重なって関係性を良くも悪くも変えていくのだと思う。それでも感情を表現することを諦めたくないと思うのは、感情を無視することは⾃分の存在を無視することと知ったから。⾔葉を諦めなければ、共に⽣きていけるだろうか。もっと⾔葉を得たら、幸せになれるだろうか。悲しくなくなるだろうか。⽣き延びたことを喜べるだろうか。

追記:⾔わないことを選んでくれる⼈の横でもう少し⽣きてみたい、と朝になって思った。

3⽉12⽇(⽇) oyasumi
ずっと会いたかった友達たちに休みを取って会うことになった。会うことになったというかわたしが会うために2ヶ⽉前ぐらいからみんなの予定を押さえた。わたしは平⽇が休みだから⼟⽇には休みを取らないとみんなには会えない。⽣活はすっかり変わってしまった。⻑く前から予定を合わせたくせにお店なんか全く予約もせずに、待ち合わせ場所に向かった。こういうところはあんまり変わっていない。意外とみんな時間ぴったりに集まるタイプ。変わらない。6⼈でゾロゾロと歩いていると、ひとりがすっとわたしの横にきて『ねえ、みて、彼⼥、本当に可愛いの』と⾔う。あの⽇⾒せてきた彼⼥とは変わっていた。でも、こういう⼈懐こくて憎めないところは全然変わらない。みんなでお好み焼きを⾷べる。何が⾷べたいですかと仕切ってくれる。 ⼤学の時の話をする。思い出は知らない間に濾過されていつのまにかきれいなものになっていた。どんなのでも。タメ⼝だったはずが思わず敬語を使ってしまった。黙々と焼いてくれる。ひとりが卵アレルギーなのをすっかり忘れてしまっていた。よく焼けば⼤丈夫ですという。あとで迷惑かけるんだったらきちんと先に⾔いなよと⾔う。垣間⾒える互いの優しさも正しさも、その声も変わらない。
残り1時間というところで、カラオケに⾏くことになる。わたしたちを繋いでいた、うた、だったけど今はそれがなくても繋がっている。
『みんな変わらなくて安⼼する、』と笑い合う。変わること、はどうやら怖いことらしい。
友達が変わってしまう、ことが怖いのか、⾃分だけがずっと変われずにいることが怖いのか、はたまた、繋いでいたはずの⼿を離されてしまうことだけが怖いのか、それはずっとわからないでいる。
ずっと前にこのメンバーで歌った『遠く遠く』をひとりがうたう。『⼤事なのは変わってくこと、変わらずにいること』アレンジで省いてしまっていたせいで知らなかったけど、こんな歌詞があったんだ、と思わず顔を⾒合わせて笑ってしまった。

3⽉19⽇(⽇) らすかる

僕は今地元の北海道に帰省している。
この⽇は⽗と2⼈で⼩樽へドライブに出かけた。嘘みたいな快晴で、空気が美味しい⽇だった。(ちなみに⽗とはあまり話したことがない。そもそも家族とそんなに会話をしない⼦供だったし。でもここ最近やっと会話らしい会話ができるようになった。)
⽗にもらったレイバンをかけ、oasisを爆⾳で流し、2⼈で同じメビウスを吸いながらのドライブは本当に楽しかった。仲良し親⼦のようだった。
今まで⾔えずにいたこと、気になっていたけど気を遣って聞けなかったこと、将来のことや、両親の馴れ初めの話までありとあらゆる話で盛り上がった。
くすぐったかった。でも幸せだった。
「堅苦しく、無⼝で⾯⽩味のない⽗親」というイメージがあったが、実は優しくて、真⾯⽬で、でも不器⽤でその優しさが伝わりづらい⼈間なんだな。と息⼦21年⽬にして気づけた。
やっぱりまだ家族との会話は苦⼿だ。でも話せる時間があるうちに沢⼭話しておこう。

3⽉23⽇(⽊) らすかる
⾼校⽣の頃ずっと美しいと思っていた⼈とご飯に⾏った。
⾼校卒業後から3回ほど会っているが、いまだに顔を⾒るとクラっとくるほどキレイだなと思う。ずっと⾒ていたいが、⽬が合うと恥ずかしいので、変態のようにご尊顔をチラチラと拝していた。
彼⼥は来⽉から看護師になる。多分もう今後会うことはできないのだろうなと思い、切ない気持ちになる。その⼈は趣味や好きなものが全くないと⾔っていた。看護師になることを決めたのも、友達が看護専⾨学校に⾏くからという理由だったという。
⾃分で何かを決めるのが苦⼿で、欲がそもそもなく、ただ流されて⽣きているのが⼼地よいと⾔っていた。
「でもこんな私でも、あなたには会いたいと思えるんだよ。すごいね。」
またクラっときてしまった。
そう、僕はちょろいのだ。嘘をつかれている可能性もそれはそれは存分にあるのに、すぐに信じてしまう。

誰かの世界の中で、会いたい⼈として存在させてもらえるのはものすごい幸せなことだ。
僕の好きな⼈の好きな⼈でいれるように⽣きていたいと願う。


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oyasumi @oyasumi321
らすかる @araiguma_rascal012
ざき @fuben_na_honya @tomokomoko_

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