見出し画像

10月 無題のエッセイ

今月は、スタッフざきが個人的なことを書く理由についてのエッセイです◎ 来月にzineを出そうと思っていて、作り始めた発端が私のメンタルが落ち込んでしまったことだったので、その理由を改めて書いてみました。(フリーペーパーもzineも読んでもらえたら嬉しいです!)


無題

お気に入りのキャラクターがプリントされたピンク色のブーツがコロコロ転がってバスの外に落ちていく。母に抱かれて飛び乗った夜行バスはあっという間にドアが閉まって走り出す。悲しくなって母の胸に顔を埋めて静かに泣くと、母は「もう大丈夫だから」と何度も言って私を撫でる。転がり落ちる瞬間が頭のなかで繰り返されて、それが上手く止められなくて、涙が止まらなくなる。
 
夜行バスに乗って逃げた父に再開した日、父はたくさんの管に繋がれ、もう目すら開けなくなっていた。その時も私は母に抱かれていた。涙が出て来ないように太ももを抓りながら「おとうさん、くさい」と言った。病室は尿の匂いが充満していたけど、本当はくさいなんて思っていなかった。縋り付いて「目を覚まして」「私を見て」とお願いしたかったけど、そんなことをしたら母や新しい家族に悪い気がして出来なかった。何より初めて感じる死の気配が怖くて、泣いていることに気づかれたくなくて、「くさい、くさい」と言いながら母の胸に顔を押し付けた。
 
小学校に上がるまでの私の記憶は、このふたつが占めている。父から逃げ出したこと、くさいと言ってしまったこと、どちらも申し訳なくてずっと自分と母を責め続けた。自分が父を殺したと本気で思っていた。あらゆる感情に対処できず、私は怒りとして表出した。怒りの矛先はいつも母か恋人だった。呆れられて、捨てられたかった。何一つ持てない人間なのだと諦めてしまいたかった。それでも誰もそんなことはしなかった。受け止められるたびに恥ずかしくて、情けなかった。
 
ずっとこのままじゃダメだと思っていた自分の感情や言動に、昨年頃から向き合ってみている。記憶を辿る中で、私はあの日のブーツと共にバス停に取り残されていることに気が付いた。じっと母と父が迎えに来ることを待っていたのだ。いじけていれば助けてくれると思っていた。でもそうじゃなかった。そもそもブーツが取り残されているのを知っているのは自分だけだ。だから書いて自分なりに感情を表現したり整理しようとしている。
 
父の暴力や死を書くとき、強い出来事に頼っているようでもどかしかった。だけど、頑張って生き延びたのだから、頼っていいと今は思っている。戻らないことにしがみ付かず生きていくために、何度でも書いて、自分の辛さや喜びに出会い直していきたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?