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何ものでもない私がサークルを作った話 #3

前回まで

①他大学との対抗イベント

華麗なる幕開けで私たちの初めての文化祭が終了したわけです。
一旦、みんなの共通で向かっていたゴールが消えて、それぞれがバイトや勉強、遊びに分散していく。
自分は自転車サークルを辞め、ついにこのサークと新歓実行委員の2つで活動することになった。
時を同じくして年末にゼミの試験が実施。
自分は学部のルールで2つのゼミに入ることができるのだが、その分2つゼミ試験があるわけで勉強を頑張る。
(※ゼミというのは少人数で共通のテーマに対して学ぶクラスみたいなもの)
余談ですが、私はゼミを金融とアジア史の2つにした。
私がアジアを好きになったきっかけでもあるから、今度詳細にnoteに書きたいと思う。

10月中旬から各大学のKPOPカバーダンスサークルが集まってダンスの完成度、本人再現度を競い合うイベントに向けて練習を始めた。
文化祭で楽しさに目覚めた私たちは出演を即決し、曲決めに入った。

出場希望者は私を含めて12人。
KPOPはフォーメーションに重きを入れていることもあって、奇数の人数が多い。必然的に5人と7人のグループを探すことになった。
というのは建前。
「○○しかしたくない」と主張するメンバーがいて1曲は半ば強制に決まった。意見を持つことは良いことだと思う。けれど、根拠のない主張は我儘になってしまう。まして12人全員がしたい曲を自由に言ってみればどうなるだろうか。たちまち、統制の効かない動物園の出来上がり。しかし、人数があまりにも少ないので「それは違う」と強く言えなかったのだ。
その曲をしたいメンバーを集め、それ以外で7人のレベル的に盛り上がり的にちょうどいい曲を探し始めた。
そこで一緒に創設した友人が当時流行っていたproduce101出身I.o.Iのユニット曲whatta manを提案した。
当初私はその曲を知らず、「また前者の自分がやりたい曲を提案してきたな」と内心思っていた。やっぱり、設立者は意見を言えるし、ある程度の決定権もある。
またイベントまでの期間も短い。
鶴の一声に押され、その曲に決定。
そうと決まれば、パート割り振り。
私もしたかった曲はあった。ただ自分は「絶対にそのイベントでしたい!」ではなく、「いずれできたらいいな」そのくらいの思いだったため、特に主張はしなかった。自分にとって丸く上手く収まるのが最優先だったから。
パート割は身長や各人のイメージに沿いながら決めていく。
やりたいパート<雰囲気が似合うパート
このジレンマは今後も、いやカバーダンス全般に言えるジレンマだろう。

やっぱりみんな自分の好きなやりたいパートをしたい。
ただ、似合うパートとやりたいパートは違う。やりたいを優先した配置より似合うを優先した配置の方が結果として完成度も大きく変わってくる。
私ともう1人が身長が高く、即決で決まった。
私は今回の曲に関してはやりたいパートはなかったから、特に不満に思うところはなかった。
きっと、それはみんなも同じだったと思う。いや、正直に自分の気持ちをぶつけあえるほど、まだ関係性を築けていなかったことが事実である。

週に2回、体育館の鏡張りの部屋を空いているのを見計らって練習が始まった。ようやくサークル活動らしくなってきて私は楽しかった。
のと同時に次年度にサークル活動実績にイベント出場を書けるな~~と少し事務的なことも考えていた。
この練習を通して、私は最初の悩みにぶつかる。
修正箇所をうまく伝えられないのだ。
私は文化祭で踊ったレベルで、受けたレッスンは5回程度のド素人。
そして一緒に創設した仲間(今更だが、表記が面倒なので以下A子とする)
も同様。
直したいところや拘りたい箇所は沢山あるのに、経験者を前に何も言えない。やっぱり同級生だし、嫌われたくない。
今となっては経験は関係なく注意できるけど、当時は丸く収めることが大事だった。
その結果、言いやすい人に修正注意ばかりをしてしまった。
A子もB子にもC子にも言えることだけど、B子に対して注意する。そんな具合だ。
となると、毎回注意される子は良い気持ちにはならない。
段々と亀裂が表じる。けれど、その違和感に気づいていないフリをした。
最後に起こるのは何かー。
大爆発だ。
本番2週間前に1人が辞めたいと言い出した。(こちらの注意が相手に正確に伝わらず、すれ違いをしてしまったこともある)
どうする??みんなこのために練習をしてきた。
5人チームの方のダンス部出身で元々、7人チームの曲を知っていたメンバーに助っ人をお願いすることにした。
一緒に振り入れをして、何とか間に合いそう。
幸い、担当するパートが下手っぴだけど愛嬌がある子で、助っ人の練習不足を上手くカモフラージュできた。
また、その子が5人チームと7人チームの兼任をすることで上手く橋渡しをしてくれた。
正直、5人チーム・7人チームで壁というか個々になっていたのだ。
お互いにダンスを見せ合い指摘をする。表情や口パクも含めてパフォーマンスとしての精度を向上する。そこまで気を配れるところまで到達。
最初にしては中々じゃない?

練習と並行して衣装の準備も行う。
衣装も評価基準に入るためだ。本人の写真を拡大して必要そうな素材を把握。A子は私の最寄りの隣の駅。一緒に最寄りまで行き、ユザワヤで素材探しをした。
正直なところ、文化祭前の10月らへん。私は乗り換えの新宿駅でA子を見かけても話しかけず、敢えて違う車両に乗った。
だって同じ車両に乗ったら約1時間ずっと一緒にいなきゃいけないから。
その時間を耐えられる自信はなかったから。
けれど、もう半年も続けて当たり前のように乗り換えで端の席を狙い(1時間と乗る時間は長いため)、西船橋駅行の時は目を合わせて1本見送る。
もうすっかりA子と1時間電車の中でサークルの未来や直近のイベント(たまには将来の真面目な話)について語り合うのが当たり前になっていた。
いわば練習の後に反省会を1時間するイメージ。
あの時間があったからこそ、2年目以降の活動を本格的にできたのは間違いなくあると思う。

さて、話を戻して衣装の話。
出来るだけ、低予算でできるように金具の代用品や本家と同じ質感のものを探す。失敗しても大丈夫なようにメジャーで採寸した2倍の長さをカッティングした。「ああでもない。こうでもない。」と言いながら何だか宝探しみたいな気分。
買い終わったら、近くのファミレスかマックで試しに試作を行う。
「あ!できた!ぽくない???」形になってきて思わず二人で興奮してメンバーのグループに報告して。
どうやって、衣装を作るのか。
初めての手作り衣装を通じて、衣装の調達方法が分かってきた。
その後も練習を繰り返し、本番を迎えた。
私は気合が入りすぎてストレートパーマをかけて髪を染めて挑んだ。

初めてだからこその怖いもの知らず。
そんな言葉がぴったりだった。初めて見た常連の大学はリハーサルの時からダンスのレベルもメイクもヘアメイクも本家にそっくりだった。
見た瞬間に「何もかもが違う」そんな衝撃が走った。
でも、今まで沢山準備してきた。今思えば初めてだからこそ思いっきりできた。
結果は表彰圏外。
本番中にサビのフリで隣の子の顔面を思いっきりぶつけてしまったり。
でも自信満々に踊り切ることができた。
また、曲が丁度最盛期のI.o.Iだったため、部員が少なく声援が無い私たちに周囲の他大学が一緒になって盛り上げてくれた。
適わないな、A子には。

私はその瞬間まで「自分がやりたい曲、やりたいパート」で考えていたけれど、「盛り上がる曲、流行」が大事なんだと気づいた。ましてや競争イベントであれば尚更。
また、もう1つ気づいたことがある。
それは「表情」がステージのクオリティに大きく影響すること。
審査員がしきりに述べていた「口パク、いかに本人に魅せるか」そこまで考える思考回路も余裕もなかったけれど、ステージの完成度を上げるためには必要だと気づかされた。ダンスの経験者が少ないからこそ、そういった他の要素で盛り上げていく。
当時は直感で感じただけで、ここまで理論的に戦略的に考えていたわけではないけれど、そんな反省点・課題を沢山手に入れて私の初めての他大学イベント出場は幕を下ろした。

②初めての新歓

上記のイベントが12月に開催されたため、1~3月は次年度の新入生歓迎会の準備をしつつ、公認サークル申請の書類準備をしつつ、そんな感じで過ごしていった。
私自身が新歓実行委員だったことやA子をサークル代表としたことで新歓担当者を別につける必要がでてきた。(新歓規定として代表とは別に新歓担当者が必要だったため)
そこで、最初からいたメンバー2人に新歓担当者をお願いした。
「私が新歓実行委員で大体のことは分かるから、名前だけ書いてくれればいいから」そんな誘い文句をつけて。
実際はそんなこともなく、バリバリ仕事をさせてしまったのだが。笑
ただ、2人は文句も言わず(いや実際には文句たらたらだったかもしれない)やってくれた。今でも仕事の一環のサークルインタビュー記事が掲載されている。
私の思い込みかもしれないけれど、その新歓業務を経てサークルに関して意見やアイデアを言ってくれるようになった。
よりサークルに真剣に取り組み、サークルの一員としての自覚を持ってくれた。そんな気がして嬉しかったのと同時に、仕事は割り振って帰属意識を持たせることが大事。そんな社会人の基本のキを学んだのであった。

また新歓期には文化祭を見て興味を持ってくれた子が何人か新規メンバーとして加入したり、新歓実行委員の方の先輩で興味を持った先輩が加入してくれた。
勧誘活動において、マンパワーは必要。
サークル活動の幹ができたのと少しの実績と自信を感じ、1年目の活動は終了した。

余談ー。
練習場所がとれなさ過ぎて、400人収容の大教室で5人曲の練習をしたこと。
所属していた新歓実行委員会の春合宿を日程の関係で私は不参加にも関わらず、2泊3日20人参加の春合宿を企画し、運営したこと。
(これに関しては4年先のリモートワーク?先見の明あり?とにかく1年目なのにした自分のバイタリティを褒めたい)
中々濃い春休みだった気がしますよ。

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