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短編小説:『少年』

土曜の朝、池袋7時半発の電車に乗る。
人が少なくて、7人掛けの席に座ると向こう側に、自分の顔が映ってみえる。

君は若いのだから、と人は僕に言った。
夢をみなさい、と僕に言った。
そう言われて僕はいつも笑った。
僕の笑った顔をみて、大人たちは安心していた。
まだ僕が何も知らない子どもであるということがわかったから。
自分のもっている特権に無自覚な子ども。

僕は、消える瞬間のことをよく考えた。
生きる意味のことも。
そんなことを考える時、きまって、星のイメージが浮かんだ。
幼い頃に父と出かけた天体観測。
寒い夜だった。星々が夜の空に輝いていた。
自分の命を全うすると、星は消えるのだと父は言った。
「死んじゃうの?」
僕は震えて、そう聞いた。
「そうだね」
父は、やさしく言った。
死んじゃうんなら、と僕は思った。
僕は一生懸命生きたい。

電車の中、向こう側の窓に映る男が僕をみていた。
男はスーツを着て、メガネをかけていた。
肌艶は良くないが、ふっくらとしていた。
そこそこに生活には恵まれているようだ。
30代くらいだろうか。もっとも、僕にはあまり、大人の年齢の区別がつかなかった。
男はただ、じっと僕をみていた。

「君はまだ若いね」
男は言った。
僕は驚いた。
端の席に座っているおばさんは、眠りこけていた。
その声は、僕にしか聞こえてないみたいだった。
「はぁ」
「そんな言葉、言われ慣れてるって感じか」
「ええ」
僕は笑った。
「笑っていれば、大人は安心すると思っているんだな」
男は言った。
「おじさん、変わってますね」
僕は男を面白いと思った。
「何言ってんだ、大人はみんな子どものそういうところをわかってるんだよ。君たちが大人のことをバカにして、自分が世界で一番カシコイと思っていることも」
僕はもう一度笑った。正直、どう反応していいかわからなかった。
「困っているな、それもわかるんだぞ」
男もそう言って笑った。
僕は少しめんどうくさくなった。
「そうかそうか、無視すればいいさ。君らの若さなんて、すぐに終わるんだ」
「そうですか」
「そうだよ。それで、その後はこう言われるんだ。君はもう若くないんだ、いつまでも夢をみているんじゃない、って……」
僕は、目をつむった。
その後も男は何かを言っているようだった。
だけど、その声は言葉にならなかった。
瞼を閉じたまま、その中をみると、オレンジ色の光がみえた。
キィキィと、ハムスターが鳴くような声が何度もした。
きっと、これは僕の夢なんだろうと思った。
夢の中でまた眠ろうとしているなんておかしいなと、思った。
そしてオレンジ色の光のなかに、たくさんの星がみえた。
綺麗だと僕は思った。
気がつくと、父が隣にいた。
一緒に天体観測をしていた。
ツバ付きの帽子を目深にかぶった父は、空をみている。
自分の命を全うすると、星は消えるのだと父は言った。
僕は、わかった、と言った。
「わかったよ、父さん!」
父はこちらをみなかった。
「わかったんだよ!生きる意味が」
父に僕はみえてないみたいだった。
興奮して、僕は父の帽子を奪った。
「ねぇ、父さん、聞いてるの?」

ハっと目を開けると、僕は電車の席に座っていた。
池袋7時半発の電車は、次の新宿駅に着いていた。
不機嫌そうな若い女性が僕の前に立っている。
僕は、満員の人混みをかき分けて出口に向かう。
なんとか間に合った、僕は自分の腕時計をみた。
時計の針はぴったり7時半をさしたまま止まっていた。
エスカレーターをのぼりながら、携帯をみると7時36分が37分に変わったところだった。
僕は、修理に出さなくちゃだな、と時計の文字盤を触った。
今日は土曜日だから、と思って、僕は自分が寝ぼけていることに気が付いた。
今日は月曜だぞ、しっかりしろ。
きっと僕はあまりに疲れていて、週の初めから夢をみたのだ。
夢の中で、誰かがわかった、と言っていた気がした。
だけど、僕はそれがなんのことだったのかもう思い出せなかった。

エスカレーターをおり、新宿のコンコースを歩いていると、後ろからすごい勢いで男の子が走ってきた。
僕を横切ったときに、一瞬顔がみえた。男の子は笑っていた。
小柄な学ラン姿だった。

まだ若いな、僕は思った。
そして、そのまま、僕は人混みの中へと消えた。

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