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喜多川 泰 『「福」に憑かれた男 人生を豊かに変える3つの習慣』


私はあまのじゃくだから、よかったとは素直に言えそうにない作品だった。
でも、ひたむきで前向きな作品だった。

後半、伏線をどんどん回収していく場面ではむずがゆくなってしまったため、私は捻くれているのかもしれない。

「自らの生きる目的をしっかり持った時、手に入るものすべてはそれを実現させるために必要な道具になる。その道具を手に入れたときに不安を感じることなどない。」p.108-109
願望がないまま、なんとなく幸せになりそうなものをなんとなく頑張って手に入れたとしても、実際に手に入れたことで何に使おうかと迷うよな。

「考えなければならないのは、どうやって自分の欲しいものを手に入れるかではない。どうしてそれを手に入れなければならないのかである。」p.117
自分の現状に置き換えて考えてみるともどかしくなる。
なんとなく転職に関わる試験を受け、運よく受かったはいいものの、実際にその仕事に就いたら就いたで目指すべきものが何もない。
まあ数か月しか働いていないからかもしれないけども。
やはり仕事においても、憧れは人間を動かす強い原動力になるよなあ、今の私にはそれがないよなあとなーんだかふがいなくなった。

何ページだったか忘れたけど、
「行動しなければ失敗も成功もない。その行動によって失敗したか成功したかは関係なくて、より良い未来に進むために欠かせない経験となる」とあったのは救われる言葉だった。
今の自分を正当化しようだなんて思ってはいないけども、なんかもう、間違えも含めて人生だよな、今の私にはこうすることしかできないもんな、って思った。

「福の神」が私にもいるかもと思わせるほど私は強運の持ち主というか、周りに恵まれているし、運良くその時々に欠かせない人と出会えていると感じる。
文章の最初に「よかったとは素直に言えそうにない」と文字にしておきながら、私にも福の神がついているのかもしれないなあとはちゃっかり思う。

福の神がついてくれる条件の一つに「どんな人に対しても愛をもって接する」というのがある。
私が大事にしているようで、ないがしろになりがちなことだなあと思うし、「あのころはできていたのに」と思っても、もっと冷静に振り返ればそうではなかっただろとつっこまれそうな過去を美化して考えてしまうなあ。愛。大事。


福の神が私についてくれますようにと考えていたら、宝くじ当たりますようにと考えていたら当たらないのと同じ感じになりそうだなー。
とにかく日々素直に、目の前の人に興味をもっていくところからはじめよう。
うがった見方、やわらぐといいなあ。

なぜこの本を選んだかというと、選書の本に「何かを批判的にみることをやめたい人へ」的な内容で勧められていたから。
私の批判的なものの見方はそう簡単には変わらないかもしれないけど、少々和やかな気持ちになれたので「まあよし」としましょう。

(メモ。2023年8月3日に読み終わった)


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