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膨大なコンテンツを、これからどうやって消費していけば良いのだろう?

膨大な数の本やマンガ、ドラマやアニメ、YouTubeやtiktokなどの動画が配信されている。一生のうちには読みきれないほどのコンテンツ。私は、最近「時間が足りない」と幾分カリカリしている。


本と、ドラマ、アニメ、YouTubeで精一杯。
あまりに熱中すると、アウトプットする時間もないし、外に出かけることもない。外に行くより安くて効率が良いからと、コンテンツばかり消費している。


集中して見られなくても、次々に見ないと溜まっていく一方だ。
作品を見終わって、何か「エモーショナル」な気持ちになる前に、次の作品を見ている。何か考えることを避けている。本質に向き合うのは怖い。


「本当に今のままでいいの?」と、私が私に言う。その声は、小学生の頃からずっとある。いつもどこかに不満がある。そんな感じで。

膨大なコンテンツが、考える前に供給される。こんな量があれば、もう、自分の好みもわからない。そこにはどうでもいい本やドラマも多い。それを、AIに弾いてほしいと思ってしまう。


ドラマを見ながら、スマホをしていると、ふと冷静になって「私は何をこんなに、余裕がないのだろう」と思う。年々余裕がなくなる。大学の頃の方が、忙しかったはずなのに、今は、インドアなのに忙しい。


こんなに色んな綺羅星たちを見ていると、自分がちっぽけに見えてくる。よく、「自分はこれが好き!」という言葉があるけれど、そんなの本当にあるのか、とさえ思う。


赤と青のどちらが好き?と聞かれたら、好みの差が出るだろう。しかし、70色を並べられたら、「これが私の色」というのも、あやふやになってくる。「あれもよい、これもよい」で、本当の自己なんて、あやふやだ。


何をしても良いですよーという世間の雰囲気がある。自由という風。しかし、もはや何をしていても「これは、違う」と感じてしまう私がいる。


否定には慣れきっていた。ならば、全てを肯定していこうー
結局何をしても、何か違うのだ。それを受け入れる。不満があるということは、私が生きているということだから。

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