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先日の記事から得た気づき(自分で自分の気持ちに寄り添う大切さ)

こんにちは、ふうこです。

先日記事を書いた後、気づいたことがありました。


書きながら、内面を見つめて行こうと思うので、
長文になりそうです。
お時間がある時にお読みください。


Y先生の記事を紹介させていただきましたが、その後、気づいたことがありました。


Y先生の記事は、単純に
「『無意識の我慢』が人に与える影響」が広く皆んなに伝われば良いなと
いう思いから紹介させていただきました。


流れで、合わせて自分の過去話も披露しました。

その文面の中で、
「母に理解してもらいたかった」と書いたのですが、
ちょっと小骨が喉に詰まったような感じがしてました。


しばらくして、ある気持ちに気づきました。

 
それは、
「私は私に理解して貰いたい」
「自分が自分の一番の理解者になって欲しい」

と言う気持ちです。
 

先の記事で、『小学校の行き始めは大暴れしていたけど、
やがて大人しく通うようになった』と書きました。

 
命令された訳じゃないけど、
「母に迷惑をかけてはいけない」とか
「学校には行かなければならない」とか
「疎まれて母から見放されたらどうしよう」とか
「母から疎まれて、傷つきたくない」とか
無意識にこんなことを感じていたんだと思います。


今気づいたことがあります。
話が逸れるかも知れませんが、大事な話かも知れないので、
忘れないうちに書いておきます。

私には年子の妹がいるのですが、
そこが関連しているかのか、
「母から見放される恐怖」を感じていた様に思います。


焦りにも似た恐怖をうっすらですが、ずーっと思っていた様に思います。
妹とは小さい頃は異常なまでに喧嘩をしました。
妹の方が体格も力も大きく、口も達者なので喧嘩は負けることも多かったです。
妹とは全力で喧嘩をしました。
母から「お姉ちゃんなんだから」とか
「たった二人しかいないのだから」とか注意されましたが、
全く心に響きませんでした。


実際はしませんが、「私は妹を殺してしまうんじゃないか」と言う気持ちがあったのですが、「母から見放される恐怖」を感じていたのなら、
仕方がないな、と思います。
私はそんな感情を持っている自分も、その感情そのものも怖かったのですが、妹と生存をかけた競争をしていたのだから、仕方がなかったのだな、と納得することが出来ました。


妹に対する憎しみをのものは、手放せていたのですが、
「妹を激しく憎んでいた自分を恐ろしく思う気持ち」は
今まで気づかなかったし、精算することも出来ていませんでした。
今、書きながら気づきました。


過去の私は、「色んな怖いものに囲まれて暮らしていたんだな」と
改めて思います。


全ては、自分の色んな思い込みで作り上げた幻想に過ぎないのですが、
そう感じていた当時の私を愛おしく思います。
力いっぱい抱きしめます。
「怖いものに囲まれて苦しかったね。よく頑張ったね。」
そう思います。


思い込みで幻想を作り上げた理由ですが、
自分が育つ中で「母が私の気持ちに寄り添ってくれている」と言う
確信が持てなかったと言うことと、
もう一つ、
先に挙げた『自分自身に理解して貰いたがっている気持ち』に
気づかなかったから、と言うのがあると思います。


「母から見放されるかも知れない」と言う恐怖のために、
自分の気持ちに蓋をしてしまって、自分自身でさえ、
「気持ちに寄り添う」と言うことをしなくなったからだと思います。


無意識ですが、
「自分の気持ちに蓋をして、母の気を引くこと」を
中心に生きてしまった結果、
色んなものが歪んで見えて、歪んだ怖いものに
囲まれる様になったのかな?と思います。

 
私は自分を抱きしめて、自分に謝ります。
「あの時、全力で訴えていたのに気持ちを無視しちゃってごめんね。」
「今まできっとそういう気持ちに蓋をすることが多かったと思う。
今までの分も気づかずに無視しちゃってごめんね。」
「教えてくれてありがとう。」

 
中心部にいる自分がいなければ、自分が歪んでしまうのは、
仕方がないことかと思います。

視界が、歪みがなく、クリアで、
存在するものを存在するままの姿で捉えること、
また広く隅々まで見渡すためには、
視界を高くもち、自分の中心部の軸のところに、
常にいかなる時でも自分自身をしっかり注入しておくこと。

これが大事だと思いました。
 
「存在するものをありのままの姿で捉える」
これを心に留めておこうと思います。

自分の中心を自分でパンパンにしておこうとも思いました。

時には、我慢しなきゃいけない事はあると思います。
そんな時は、「今、我慢しているんだ」と
言うことをしっかり意識したいと思います。

 
子どもの頃、私は父も母も妹も、大嫌いで激しい憎しみを持っていました。
いつも静かに怒っていました。
「誰も私の事を分かってくれない」そう言う気持ちでした。
それと同時に愛されたいと常に思ってもいました。
ヤミコさんの講座を受けてから変わることが出来ましたが、
大人になってからもこの気持ちがありました。
ヤミコさんのブログのバイアスのお話は、私にピッタリ当てはまってました。


この「誰も分かってくれない」と言う、
怒りのような、悲しみのような感情は、
「誰も分かってくれない」の『誰も』の中に
最後の砦だと思っていた『自分』でさえも含まれてしまったがために、
あれほどの強くて激しいものになってしまったのだと感じます。

 
これからは、私だけは私を深く理解してあげようと思いました。
出来るかどうか、と言うより、その努力を行うを決めるか
どうかが大事という感覚です。

私は、「自分を深く理解し受け止めてあげること」を決めました。


時に他人の意見や感情が気になることもあると思います。
「自分で、自分の気持ちに寄り添う」常に心に留めておこうと思います。


取り留めのない文になりましたが、
今日の記事はここまでです。
長文、最後までお付き合いいただき、
ありがとうございました。


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