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1年はあっという間でした

こんばんは。
色と文具とお花で毎日を彩るクリエイターの
ふーちゃんです(^^)

今日は少し長めの思い出話をします。
2023年6月30日は大事で大好きな先代犬が旅立った日。

彼が我が家にやってきたのは祖母が急逝し、
東日本大震災が起こり高校の卒業式や大学の入学式も
開催できるかの状況を少し過ぎた2011年6月7日のこと。

保健所に保護された動物の中でも早い段階で
殺処分対象になってしまうフィラリア陽性の子を
3匹もらってきたから1匹引き取らないか?と
親戚から聞かれたのがきっかけでした。

家族みんなで実際に3匹を見に行き、私を含めた姉妹は最初
我が家にきた子ではない子に惹かれていました(苦笑)

惹かれたのは真っ白のモフモフだったのですが、
父が一言、この子にする!と言ったことにより
茶色の雑種が我が家に来ることが決定したのです。


お迎えした帰りの車の中にて

我が家は過去に親戚の犬を預かったことはありましたが、
終わりのないお世話をするのは初めてでわからないことだらけ。
プラスしてフィラリア陽性ということは進行状態によっては
長く一緒にいられない可能性も大。

とりあえずお世話に必要なものは帰りに揃え、
病院探しが一番のミッションだった記憶があります。

名前も「どーする?チャーは保健所とかで
呼ばれてた名前やから変えよう!えーなににしよう!?」
と帰りの車で一生懸命みんなで考えた結果、
その子の名前はレオになりました。

レオ という名前は家族以外の人に言うと
カッコいい見た目にぴったりやねー!といつも褒められてたのですが、
ここでカミングアウトします・・・。

ごめんなさい。我が家のレオくんは
そんなカッコいい由来じゃないんです・・・
他の候補はタロウセブンエースマンetc.

わかる人にはわかりますよね?

はい。我が家のレオの由来は
ウルトラマンシリーズの中で
マシな響きの名前にしただけなんです

ネーミングセンス皆無でごめんなさい(笑)


そんなレオは初めの3年ほどはほんとに問題児でした。

最初は警戒心ももちろんすごくてベランダから動かない、
散歩は嫌い、家族でも噛む、脱走も未遂を含めたら3回以上・・・。
警察署に遺失物届を出したことも、
警察署まで迎えに行ったこともありました。
(それでも今考えたら戻ってきたことがすごい)

そんな問題児だったレオも年数を重ねるごとに
段々と落ち着き?安心して通える病院も見つかり
そこで根気強く治療をしてくださった甲斐があって
数年後にはフィラリアが陰性になったことに
ものすごく安堵した記憶もあります。
(ちなみに我が家の子達はみんな通院も車も
大好きなため通院はちょっとしたイベント扱いです)
人間の都合で少し病院の間隔が空くと何故か
元気ないアピールをされて慌てて病院に
連れて行ったこともありましたwww

それにも快く対応してくださる病院の先生方には
本当にいつも感謝です。

最初はすぐにいなくなるかもしれない。と言われながら
気付けば我が家に来て丸12年もの年月を過ごしていました。

最後半年はレオより後に来た子が亡くなって
生活に張り合いがなくなったためかどんどん老化が進み
(我が家では奥さんに先立たれた
 ご主人みたいやなってよく言ってました)
日に日に体調に不安な面が出てきたり介護が必要な状態でした。

そして最後1〜2ヶ月に至っては私が限界に達する方が
早いんじゃないかと思うくらい手がかかって、大変な日常でした。

この時は本当に完璧主義は自分の首を絞めると痛感しましたね・・・。

オンライン中もこうやって手の届く範囲にいました

そんな謎の根比べをしながらも、定期的に病院で診てもらい、
いつかは来るお別れだけど今日じゃない。今日も生きてる。
今日は少し体調良かった気もする。を繰り返し
ちょうど1年前のこの日も診察してもらって血液検査でも
大きな異常はなく、大事じゃなくてよかったねぇ。なんて言いながら
買い物をして帰宅していた途中、寝ていたクッションから
頭がズレた音がしたので少しして車を駐車してから
頭を戻そうと後部座席のスライドドアを開けたら
寝たまま息を引き取っていました。

きっと頭がズレた音がしたときがその瞬間だったのでしょう。

診療時間外なことは承知の上で慌ててかかりつけの先生に
電話をしたことは未だに昨日のことのようです。

突然だったこと、その瞬間に気づけなかったこと、
家で看取れなかったこと、家族みんなで。ができなかったこと
いろんな想いがすごい勢いで頭の中を走り回り、辛いより先に
今じゃなかったでしょ!タイミング考えなさいよ!
ってキレてました。レオこめんね。

でもその後、折り返しをくださった先生の言葉や後日
他の方からいただいた言葉、彼の性格を考えたら
あのタイミングがきっとベストだったんだろうなと
1年経ってようやく心から思えます。

干支を1周して、同レベルで育った末っ子の成人を見届けて、
最期半年は犬的一人っ子に戻り、
当日は大好きな病院のスタッフさんたちに会いに行って、
大好きな車の中でお昼寝気分のまま旅立つことが
彼にとってのベスト。


車の中で寛ぎ中

その瞬間を見過ごしてしまった自分に対して私は
心残りができてしまったけど、旅立つ前日は
息をしてるか確認するかのように彼の鼻先に顔をくっつけて
添い寝することも叶ったし、
一緒に泊まれるホテルに旅行は行けなかったけど
一緒に行けるところは近くの外出でも一緒に出かける日常だったし、
キレながらも介護を最後まで投げ出しはしなかったし、
かわいいねぇ。いい子やねぇ。大好きやで。ありがとうって
たくさん伝えてきたから後悔は限りなく少なかったです。


これを書いていて小学校の国語の教科書に載ってた
お話を思い出しました。
ずっとずっと大好きだよ。というお話。
そう。思ってることを伝えて、できることを精一杯やったから
後悔が少なくて済んだのかもしれません。


だけどどれだけ伝えても後悔は少なくても
寂しさや悲しさはしっかりと残ります。

彼を見送って12年ぶりに犬のいない生活を始めても
慣れることなんてなくて、お世話もないから時間を気にせず
外出してもいいのに結局いつもの時間には帰宅してしまうような
違和感だらけの生活を1ヶ月半ほど過ごしました。

あぁ、最初の子が旅立ったことを乗り越えた気がしてたのは
レオがいたことで次の日からもお世話という役割があったし、
レオの通院も変わらずあったことで長くお付き合いさせてもらってる
病院との関係が続けられたことで寄り添ってもらえる環境が
あったからだったんだなと。

レオまでいなくなったら本当に全く違う生活になって、
先生方にお礼が言いたくても理由が見つけられなくて
(診察でもないのにお忙しいところお邪魔したら迷惑やしとか
 動物も連れずに動物病院行ったら他の患者さんびっくりしはるかも
なんて考えてたら結局ご挨拶に行くまで1ヶ月以上かかりました)
彼を支えてたつもりで彼に支えられてたんだと気づきました。

あれから1年。
そんな体は一番大きいのに気は一番小さかった彼が
大好きだった食べ物をたくさん用意したら
今日の私の摂取カロリーは大変なことになりそうな予感がします(笑)
夢でいいからたまには2匹で会いにきてね!

先代犬たち

ここまで思い出話にお付き合いいただき
ありがとうございました♡
伝えたいことは伝えれる間にぜひ伝えてみてくださいね!

今日で2024年の上半期も終わり!!
本当に1年はあっという間!
下半期も楽しい時間をより多く
過ごせるよう意識していこうと思います^^

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