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結局地元を諦めたくない

田舎の未来を読んだ。
読みたいなぁと思ってはいたものの手に取り損ねていた。「今更かなぁ、今更だよなぁ」と思いつつ、「いや、読まないことにはずっと今更じゃん?早い方がいいよ」と読むことにした。
きっかけは上川町のポルトで行われた「かみ的教育をかんがえる」というイベント。直視せずにきた地元について、一度ゆっくり考えたいかもという気持ちになった。

"田舎の未来"は大学進学で地元を出たさのかずやさんが地元・遠軽に帰省した際に田舎の現状を知り、キレながら試行錯誤を積み重ねた7年間の蓄積をまとめた本だ。7年間を後から振り返ってるのではなく、当時のリアルタイムの声がひたすら続くのが良い。(振り返った声の加筆もあり、それもすごく良い。)

これを読んで、しばらくずっと地元のことを考えた。

▼地元・日高門別について

私の地元は日高町門別地区だ。
日高町は二つの地区からなる。いわゆる"平成の大合併"で旧・日高町と旧・門別町が合併し、現在の日高町となった。ちなみに釧路市と同様、飛地合併である。
人口は13000人程度。うち日高地区は約4000人、門別地区は約9000人という内訳だ。

合併以前は門別町というと「え?(オホーツクの)紋別?」と言われ、現在は日高町というと「あ、昔行ったことあるよ、高速道路が通る前はよく道の駅に寄ったなぁ」と言われる。
紋別は道内の天気予報に地名が載るが、私の地元の門別は載らなかったため「(有名)じゃない方のモンベツ」と当時はよく言っていた。
(余談だが、音が同じモンベツという二つの地名の由来、実は同じだ。
アイヌ語で モ(静かな) ペッ(川) という意味。親近感が湧いてきた。)
また道の駅・樹海ロード日高があるのは山の方の日高地区であり、私の地元は海側の門別地区であるというなんともややこしく説明のし辛い場所だ。今は「じゃない方の日高」なわけである。ちなみに日高地区の方は数えるほどしか行ったことがなく、全然知らない。

しかし上記の返答は辛うじて日高町を知っている人でありまだマシな方なのである。
大半は「あ〜…日高…日高ね…(北海道の下の方か?)」という認識で、続く言葉は以下に分けられる。
「桜が有名な…?」それは旧・静内町、現・新ひだか町である。
「昆布の!」日高昆布は大半が三石昆布で、旧・三石町、現・新ひだか町である。
「あ!馬…!」北海道競馬場があり有数の馬産地であるため正しい回答だが、詳しく聞くと浦河町ないし新冠町を指していることが多い。優駿浪漫街道があるのは浦河町である。
ちなみに振興局は浦河にあり、総合庁舎は静内にある。本当にややこしくてすみません。
(以前は日高支庁と言っていたが、2010年に日高振興局に名称が変わったらしい。今回調べて気付いたことです。)

▼旧・日高支庁

Wikipediaをより引用。
合併以前を探したけど見つけられなかった…。
1.が旧・日高町、3.が旧・門別町。
5.が旧・静内町。6.が旧・三石町でした。

▼現・日高振興局

現在の日高振興局の市町村。
下記リンクより引用。

「なんでこんなややこしい合併したの?新ひだか町ってネーミングは我々が旧日高町とでも言いたいのか?」と当時思った覚えがある。
日高振興局と名がついていながら、その中での日高町は極めて影が薄い。そもそも日高振興局自体が北海道の中では上位の影の薄さである。
日高町について世間の方々が知っていることは限られており、「知ってるよ!」という人に食いついて詳しく聞くと上記のような回答が返ってきて少し落ち込む、なんてことも多い。とにかく知名度が低いのだ。
(知らないことが悪いというわけではなく、知られていない方が悪いということでもない)(私も他の町を全然知らないので人のことは言えないが本筋ではないので一旦置いておく)

また日高町の中学生は苫小牧ないし静内の高校に進学することも多い。JRを使って1時間前後、バスの乗り継ぎを含めると往復3時間かけて通学をする。冬は4時間になる。
私自身、苫小牧に通っていたため「苫小牧の近く出身なんだ〜」と説明する方が楽だ。そして「あれ?苫小牧出身だよね」という認識で定着する。
(※最近これがミスリードだと気付いた、苫小牧で覚えてくださってるみなさますみません。そのままの認識で大丈夫です…)
実際馴染みは深いし、就職したてのとき住んでいたのでこれまた説明がややこしい。

(1997年、ドイツ・ハンブルクで生まれる。2歳のときに帰国。一瞬の様似町を経て日高町(旧・門別町)に引っ越す。高校は日高町に住みながら苫小牧の高校に通学。大学4年間を釧路で過ごす。就職して苫小牧一年半。札幌在住。という感じ。ややこしい。)

この一年でもっと地域に根差して生きていきたいなぁと思うようになった。たくさんの人と関わらせてもらい、みなさんの暮らす町や地域、場を見ていくうちに、やはり地方に暮らし、そこに住む人と顔を合わせながら生きていきたいなぁと感じる。
しかし地方で生きていきたい、と思う反面、地元に帰るという選択肢は決して挙がらない現実がある。
「地方で生きたいんですよ」というと「え?地元はどうなの?」と聞かれることが増えた。その度に「なんででしょうね、好きなんですけど、戻ろうとはならないですね」と漠然な答えを返していた。戻りたくないという明確な意思というより戻るという選択肢が湧いてこないという方がなんとなく正しかった。
なぜ戻るという発想にならないんだろう。ずっと直視せずにいた。考えようとするとなんとなく地元に対する仄暗い感情やネガティブな思い出がちらりとよぎり、そこから先を考えたくはなかった。
(いつか向き合う時が来るかな。)
(いや、別に地元だからって向き合わなくてもいいんじゃない。)
(もしかしたらいつかネガティブな感情は自然と消えるかも。)
なんて思っていたので、今回"田舎の未来"を読んで予想以上に地元について考えることができたのだ。不思議と嫌ではなく、嬉しい誤算だった。
さのさん、いいきっかけをいただきありがとうございます

▼地元の好きなところ

そもそも私のいう地元が好きとはどういうものかを整理したい。

地元に帰省したいと思うときは
・子供のころ毎日眺めていた日高山脈に会いたい
・牛や馬や馴染みの丘があって、鹿が草を食んでいる地元の景色を散歩したい
・特別綺麗というわけでもない普通の浜辺で綺麗な貝殻を探したり立派な流木を探したりしたい
・実家の天窓から見える満天の星空に包まれて寝たい
などとなんだかどれも自然ベースだ。

このほかに
・実家のピアノを弾きながらなにも考えず過ごしたい
・両親と美味しいご飯を食べたい、実家・地元の美味しいご飯を食べたい
・祖父母の元気な顔を見て近況を聞きたい
などがある。
帰省したとて地元という地域に関わることはまずない。どのように関わればいいかわからないし、そもそも知りようがない。町の外に住んでいると全く情報が見えてこないのだ。

▼外から知ろうとしてみる

先日帰省した時に両親に尋ねてみた。
「町に住んでる人ってどこで働いてるのかな」
新しい店が全然できない、気付いたら閉店しシャッターが増えてる、町に戻っても雇用がなさそうというのが「地元に帰る選択肢」にならない原因じゃないかと思ったのだ。
失礼な言い方をすると帰ってもあまり仕事がなさそう。賃金が低そう。ギリギリ生きていくのには困らないかもしれないが、永遠に選択肢は狭いまま、貯蓄は増えないという道しかないように感じたのだ。
大体は福祉施設関係に勤めているという。主に介護職。他には施設の食事を用意する調理員だとかもあるようだ。どちらにせよとにかく福祉施設に関することが多いらしい。入居するタイプやデイサービスのような老人向けの施設がどんどん増えているという。
スーパーやコンビニといっても軒数は知れているためまさか全員がその関連ではないよな?と思っていたが、ほとんどが福祉というのは衝撃だった。町内を見ているとたしかに新しい店ができているという様子はなく、雇用がどこにあるのか一体見当もつかなかった。13000人も住んでいるとは到底思えない。

地元について知る手がかりが何かないかと日高町のホームページに行ってみた。

おお!思ったよりは綺麗で見やすい!
と初手で少し感動した。しかしそれもすぐ裏切られる。

想像よりもカテゴリが豊富だと思ってそれぞれの情報ページに飛ぶと特にコンテンツがない。うーん、まぁそうだよね。これを数回繰り返した。
体裁しか整っていないと言えばいいのか、体裁を整えただけマシだと捉えるか。

諦めずに色々見ていくと興味深いものが見つかった。

「小さな拠点」を核とした「日高町ふるさと集落生活圏」

これ、すごい。思った以上に絶望的な日高町の現状がまとまっている。
主に旧日高町地区についての話であるため、旧門別地区についてはあまり触れられていない。しかし同じ町名でありながら今まで知る機会のなかった日高町、あまり交流のない地域についてちゃんとまとまっている。現地の人はちゃんと危機感を抱いていたのだ。思ったより全然やばいじゃん。(実家の感覚だと門別地区の人は危機感を抱いていない、と言うか現状を多分知らない)

65キロの飛び地だったんだ…そりゃ交わらないよな…。知らん存在なわけだ。隣の平取町(日高町が挟んでいる町。トマトや和牛をブランド化しており、日高町より財政は元気そうというイメージ)はギリ行くけど、日高まではなかなか行かんのよ。記憶にあるのは片手程度。通ったのを含めリアル両手くらい?目的地にした回数は3回ほどか。

先日弟が帰省した際両親と四人でドライブに行ったが、思った以上遠かった。大人になってからでも遠く感じるのだ。なんなら札幌から浦幌や上川、釧路の方が行きやすいのではないかと思う程遠く感じた。
その上、行きたいと思う場所がない。どこに行けばいいかわからない。
何もないように思えて魅力的な場所はたくさんある、と気付けるようになった今でさえ日高地区に目的もなく行くにはなにもないように感じる。

とはいえ上記の資料を読んで、ずっと遠かった日高地区について少し知ることができたのは嬉しい。
同時にどうすればいいかわからない現状を目の当たりにして、途方に暮れてしまった。資料で提案されている改善案はあくまで提案であり、夢物語のようなものに感じる。言うだけならタダというか、それをどのように実現していくんだろう?と思う。現在に至るまで放置してきた地元の人たちで今更夢みたいな改善を見込めるんだろうか?
関わりしろを探したくてホームページを見に行ったのに、ぼこぼこの返り討ちにあったようなものだ。それでも知らないよりはマシ、とポジティブになれる状況なんだろうか。いや、そこまで能天気でいられないのはわかっている。

▼関わり方はこれから探していきたい

結局地元を諦めたくないんだと思う。
何も気にせずにいられたらどれほど心穏やかでいられるだろう。
地元なんてどうでもいいと言えたら、無関心になれたらどんなに気持ちは楽だろう。
でも諦めずにはいられないんだろうなということもわかる。今回はっきりとわかった。

現段階では今すぐに戻りたいとは思わない。あのなんだか得体の知れない閉鎖感、敵の見えない狭さ、と言ったら地元に住んでいる人に失礼かもしれないが、今は住みたいと思えない。現段階で戻っても自力で満足な暮らしをすることは難しく、生活レベルを下げるほかないだろう。今だって贅沢な暮らしをしているわけではないのにだ。
それに力もまだ足りない。何か変えるためのアイディアやノウハウ、働きかける方法も力もない。一時期を過ごしただけの一個人が外から現状も知らずに変えてやろうなんて傲慢だとさえ思う。

でも全然諦めたくはない。
知らずにはいられない。無関心ではいられない。だから外から知れること一つからでも始めていきたい。

見たいものしか見たくない。好きなことしかしたくない。ずっとそうやって生きてきた。楽な道を選ぶ方が悩まなくていいかもしれない。厳しい現実を知れば知るほど無力さを実感するばかりだろう。関わろうとするのは面倒だし、波を立てずに何もしない方が穏やかでいられるかもしれない。だがそうではいられないので仕方ない。きっと私は地元を諦められないのだろう。

地元に帰りたいとは思わないのは何故だろうと考えてた、ずっと。まだ答えはよくわからない。
いつか帰りたくなるんだろうか。それとも外から関わり続ける道を選ぶんだろうか。いっそどうでもよくなるんだろうか。
私はどんな揺らぎを経て、関わり方が変わっていくんだろうか。
まずは知ることから始める。年末年始は町報や回覧板を読んでみた。両親や祖父母の話からも知れることがありそうだ。ほかにも地元に残った同級生に連絡して話を聞いてみるとか、何かやれるんじゃないかと考えている。

おまけ

①最近特産として推してるフルーツほおずきを買ってみた。甘酸っぱく美味しかった。

のざわ農園さんの「太陽の子」

フルーツほおずきのジェラートはふるさと納税にもなっているようだ。

②地元にできたチーズ工房1103さんのチーズ。

ヨーグルトのような酸味がナッツやクラッカーによく合う。

2021年夏にオープン。今回の帰省でようやく食べることができた。店舗での販売は毎月末日曜。
オンラインショップでも買えるようだ。美味しかったのでリピートしてみよう。
そのほかにも取扱ショップが丁寧に掲載されている。

③こどものころ、北海道競馬場で馬を見ながら家族で食べるジンギスカンが好きだった。
農協入り口横にはいつもなにかしら垂れ幕がかかっている。過去の覚えている例で言うとゴールドシップとかキタサンブラックとか。

写真は2021年末帰省時。

ウマ娘が流行ったのだから、その辺をもっと生かせないのかな。

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