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悲しかったんだって

中学時代の親友と会った。吉祥寺の小洒落たイタリアンレストランで、数ヶ月前に迎えた私の誕生日を祝ってもらった。秋に会って以来、3ヶ月ぶりだった。中学時代、生徒会の役員だった彼女は、来月元生徒会で集まるんだと話した。「そういえばもう次は私たちが成人式なんだね」なんて会話から始まり、「あの子は今どこで何しているんだろう」とか、「あの子の苗字が思い出せない」とか、そういう他愛もない話をした。その流れで、「あの頃あなたが仲良かったあの子、最近会ってる?」という話題になるのは、ごく自然なことだった。私は1人の名前を挙げかけた。口から出かけたその名前を、喉の辺りで押し返して、ジンジャーエールと共に、グッと飲み込んだ。忘れていたのだ、彼女がもうこの世にいないことを。忘れていた、と言うと薄情かもしれない。でも、考えないようにしていた、というわけでもない。私はまだ彼女の死に納得していなかった、らしい。もう3年も前のことなのに。彼女は私の親友と幼馴染で、家族ぐるみの付き合いもあったらしく、特段仲が良かった。だからと言ってはなんだが、中学の同級生で彼女の死を最初に知ったのも、勿論親友だった。同級生達の連絡先をほぼ消してしまった私は、親友から訃報を受けた。3年経った今でもよく覚えている。震えた声で、それでいていつものおっとりした口調で、私に話した。つられるように私も声が震えた。想像していたよりもすぐに涙が出た。電話口の向こうで親友は、ショックで泣く私の言葉を「うんうんそうだよね」と相槌をうちながら聞いていた。この時のことを思い出すと、今でも少し申し訳ない気持ちになる。

「涙を流している人が常に一番悲しいわけじゃない」

前に読んだ、燃え殻という方の『すべて忘れてしまうから』というエッセイに、そんな言葉があったのを思い出した。本屋で適当に本を選んでいた時、パッと目に入ったこの言葉に心を完全に掴まれて、しばらくその場から動くことができなかった。ずっと、これまでの19年間ずっと思ってきたはずなのに、一度も言語化したことがなかった。「これだ」と思ったのと同時に、「やられた」と思った。本当にずっと思っていた。
中3の春の離任式。普段は別にその先生と関わっていなかった同級生の女子達が、職員室の扉の前で先生を囲って「寂しい」と泣いていた。若気の至りだろう、と思われるかもしれないが、私の友達はその先生が好きだった。多分きっと、真剣に、恋をしていたんだと思う。リュックを背負って、「もう帰ろう」と言う友達に、「最後に話さなくていいの?」と言った。「いい、あの子たちが占領してるし、別に」そんなことを言っていた気がする。知ってた。友達の鞄の中に、先生宛の手紙が入っていることを。気づいてた。少し目が充血していることも。1番は誰だとか、決めたいんじゃない。ただ、私が知っている中で、当時私が見ていた世界では、私の友達が1番悲しかったように感じた。どれだけ悲しくても、悲しんでいても、その人の前で泣かない限りそれが伝わることはないのだと思うと、私たちに世界は少し残酷すぎる気がした。世界が何かなんて、その時はまだよく分かっていなかったけれど。

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