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ずっと漕ぎ続けた船を降りるのは、とても怖かった。

登下校中の電車やバス、病院の待合室、旅行先で何度も繰り返し読みボロボロになった英単語帳と古文単語帳。書き込みしすぎて文字だらけになった参考書。そういうものを見ると、少しだけ自分を認められる気がした。「模試の結果で落ち込むのは、納得するまで努力してから」と決めていた。第1志望は、D判とE判を彷徨い続けていた。模試の結果が返ってくる度、頭を冷やそうと駆け込んだトイレは、いつも誰か先客のすすり泣く声がしていた。それでも絶対に負けないと思った。思っていた。信じていたんだ。私は絶対に諦めないで、大逆転劇とかいう洒落臭いものが、私にも起こせると。

多分少し、自分を追い込みすぎた。高校に入ってから、朝起きるのが本当に苦痛だった。何とか起き上がって、無理やり胃に流し込む朝ごはんが苦痛で仕方なかった。放課後は毎日、夕飯を食べる時間を惜しんで、22時まで自習室に篭って勉強した。段々と、夜眠ることができなくなった。朝が来てしまうのが、怖かったから。その頃の日記には、「𓏸𓏸落ちたら死のう」「早く死んで解放されたい」「無理」みたいな言葉がたくさん連ねられていた。この頃から多分、もうひとつのレールが敷かれ始めていた。

2年の冬、ついに精神が壊れた。いや、多分もうずっと前から壊れていたんだけど、壊れていることを認めて楽になりたいと思った。つまりは、もう、逃げたかった。こんな生活やめたいと、もっと楽しく華の女子高生を過ごしたかったと、そういうことを口に出したら、一気に心が弱くなって、今までなんとか抑えていたものが溢れてしまった。病院でもらった薬を飲んだら、次の日の朝、いつもみたいに起きられなかった。「もう終わったんだ、これで」そう思った。結局遅刻して行った学校は、何だかいつもより気が楽だった。

3年の春、進路を変えた。第1志望欄に書かれる志望大学番号が変わった。随分と気持ちが軽くなった。勉強しなくてはいけない科目が、今までの半分で良くなったから。そこからは多分、自分の限界をギリギリ超えてしまわないラインで、頑張れたし、ちゃんと合格の二文字をもらえたので、良かったんだと思う。


あの頃の私へ、あの頃の私みたいな人へ

そこ諦めても死なないよ。落ちても死なない。受験落ちても死ななくていい。ただ、後悔が全くないわけでは、ない。その大学に行った友人を見ていると、大学1年の冬になっても尚、私もそこに入学していた世界線を想像してしまうし、自分の調節の仕方と心の弱さに嫌悪感を抱く。まだ地獄をたまに見ているから、夢にまで見るから、綺麗事は言えない。「ここまで頑張ってきた自分が可哀想だ」って、何回も自分を奮い立たせてきたんだもの、そりゃそうだよ。
でもね、あのまま突き進んでたら私、多分死んでた。あの頃知らなかった美味しい食べ物も、音楽も、景色も、今の私は知ってる。別のレールを選択して、生きてたから知れたと思ってる。本当にあたたかい気持ちになれる恋愛を知らずに死ななくて良かった。自分が苦手なものも、いくつか増えたけど、知らないままより全然良かった。これが正解なのかは分からないけど、正解だったんだと思えるように私も頑張るから、もう頑張らなくていいよ。また頑張れる時がくるから。大丈夫。

                                                       私より

p.s. お題提供してくださった方、ありがとうございます。拙文ですが、どうか届きますように。

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