第二話「ケリハジメ」

始めてサッカーボールと触れたのは、4歳頃だった記憶がうっすらとあります。その頃からボールを遠くに蹴り飛ばす事が大好きだった思い出があり、
そんな僕の初蹴りは
「マンション屋上での柵越え隣の駐車場へ子供用ゴム製サッカーボール落下事件」に始まり
子供ながらに心底肝を冷やした覚えがあります。

そんな時でも母さんは一瞬慌てはしたものの
「ゴムじゃけぇ大丈夫じゃろw」と
笑顔で僕を落ち着かせてくれた記憶が今蘇ってきました。

それを見た両親は何を思ったのかYMCAのサッカースクールに
僕を送り込み、始めての対外試合を経験する事になりました。
人見知りな僕は誰とも仲良くなる事もなく
クソほども面白くない団子サッカーをさせられ
幼いながらも「こんな狭いフィールドでやっても何も意味ない!」と
心から感じた記憶があります。

ここから少年サッカークラブに入るまでの間に 
生死を彷徨う大事故を経験する一大事がありました。
それは僕が5歳の頃、当時はまだ優しかった兄がコンビニへ向かう後姿を
追いかけ自宅マンション前の道路に飛び出した瞬間。。
見事に自動車に轢かれ頭を30針も縫う大怪我を負う事になりました。

見事と言うのは反射的に屈み込み自動車の下に挟まれ引きずられた結果
一命を取り留めたと何年もたった後に親から聞きました。

その時ついでに聞かされた話も衝撃的で、この事故以前にも2回死にかけているとゆう、いっさい記憶にない話をカミングアウトされました。
一度目は、まさに生まれた瞬間だったようで、出たがり気質な僕は予定日よりも3カ月も早く超未熟児として(体重700g片方の肺無し、逆子でへその緒が首に巻かれながらも) どうにか産み出してもらい、即生命維持装置に繋がれ集中治療室でギリギリの中、生き抜くとゆう生まれた瞬間から信じがたい
強運を発揮したとゆう話と、、

二度目は2歳頃に100日咳にかかり危険な状態までイったみたいなのですが、ホンマに100日でピタッと咳も止まり、またしてもの危機をギリギリで生き抜き、早くも運使い過ぎとる感満載の話を聞かされ

「あんたは生かされとるんよ」とゆう
捨て台詞と共に運命じみた何かを感じた記憶があります。

話がそれてすみませんw

少年サッカー編は次回へ 続


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