第三話「ソレイケダッシュ袋ッ子」

サッカーを通し、始めてのチームプレイ=人付き合い

今思い返せば、随分と学ばさせてもらったように思います。
僕の第一章と言っても過言では無い経験や、出会い。
自身の次章へと続く感性を培わせてもらえた小学生編の話

玉蹴り自体多少の経験もあり、自然と放課後クラブはサッカーを選び
保育園時代からの腐れ縁「K手」と「N島」と僕の3人で
母親同士が仲の良いという理由だけで地元の少年サッカー団に
所属する事になり、まさに人生のファーストブルースプリングを謳歌し
楽しんだ思い出は今でも強く残っています。

生まれながらに様々な荒波に揉まれ、7歳になっていた僕は
周りの同級生より運動神経の伸びが進んでいたらしく
部員不足によるラッキーもあり半年後にはレギュラーとして始めての公式戦に出場する事になるのでした。(注.街っ子弱小クラブあるある)

始めてのレギュラーポジションは右サイドバック
どうやら、その頃から人を出し抜くより
自ら奪い取る気質を備えていたみたいです。

だがしかし、肝心の初試合の内容は1ミリも覚えておらず、
唯一の記憶は、ハーフタイム終了後に行われるコートチェンジ
すら(覚えれてない)僕は、前半と同様の陣地でポジションにつき
後半戦に燃えていたのですが
「ちょいw反対ww反対の陣地行かんとww」と
監督かコーチに言われ、その日のレフリーに優しく先導され
無事に自チームの陣地に合流するという、
何とも微笑ましい一幕があったのは鮮明に覚えています。

3年生の頃の放課後クラブの記憶はプツリと消えており
(事故後の再手術&入院期間あり)
その後の4年生からは、しっかりとレギュラーとして、地元の大会に出れるようになり、試合に出るにつれ自身の成長を肌で感じれるぐらいサッカーにのめり込んでいた記憶があります。

その頃の僕は、このシーズンで人生始めての「マジ悔し泣き」をするとは、まだ微塵も思っていなかったのでした。 続

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