他人は変えられるかもしれないが、めちゃくちゃめんどくさい。

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他人を変えることはできない。

……のか?本当に?

いや、厳密に言えば、変えられる。気がする。めちゃくちゃ沢山のお金を払えば無理なお願いも聞いてくれるだろうし、脅迫して言うことを聞かせる、なんていう方法もある。

でもそれって、そもそも相手を「変えた」ことになるんだろうか?

他人というのは、変えるのは難しいと頭では分かっているけど、実際のコミュニケーションの中では、なんか、言えば変わってくれるような、なんかそういう「なんとかなりそう」な感じがある。それでつい、変わることを期待したコミュニケーションをして、後悔して、「やっぱり人は変えられないよね」というところに戻ってくる。

そんなことを繰り返している気がするんだけどどうでしょうか。


2020年9月6日現在、私はこの「他人は変えられるか問題」については

「他人は変えられる。でも、自分を変える時間の10倍かかる。だから自分を変えたほうがはやい」という定言を信じることにしている。


私は、自分が信じる定言を自分で選ぶようにしている。

その定言が科学的に正しいかどうかとか、多くの人が正しいと認めているかどうかとかは個人的にどうでもよくて、

・自分の実感に近いかどうか
・それを信じることでうまくいくかどうか

で、信じる定言を決めている。

つまり「他人は変えられる。でも、自分を変える時間の10倍かかる」というなんとなくの実感があって、これが真実だということにして生活したらめちゃくちゃ快適になったから、これを信じ続けることにしよう、と決めている。


そもそも自分を変えようとしたときにも、まずは

こういうふうに変わりたい、という願望を抱き
変わるための言葉を沢山取り入れて
実際に変わるための習慣を長い間繰り返し
習慣化に失敗し、もう一度挑戦し、を繰り返し
少しずつ新しい習慣を自分の生活に根付かせていって

ようやく、行動が変化していく

というプロセスを踏まなきゃいけない。変わったな、と体感できるのには少なくとも2年はかかる。

そして自分が変わると、自分と関わってくれている人たちも当然、変化の影響を受ける。

人が変わるというのは習慣が変わり行動様式が変わるということであり、シンプルに声がけだけで他人を変えようと思うなら少なくとも毎日毎日、声をかけ続ける必要があるわけだが、ということは「声をかけつづける」という習慣をまず自分が身につける必要があるわけで、そんな習慣を身につけるほうがまず大変だし、そんなまわりくどいことする意味ある?と思ってしまう。

そう。人を変えようと期待して何かを言うという行為は、実は直接的なようでいてめちゃくちゃまわりくどいことをしているのだ。しかも効果がほとんどない。


つまり他人を変えようと思ったら、自分がまず変わる必要があって、さらにその影響をうけてその相手が変わるまでにもっと時間がかかる上に、自分が臨む形になるかどうかはわからないというギャンブル性すらはらんでいる。

ここまで総合して考えると、人を変えようとするのはめちゃくちゃ効率わるいし、そんなことを動機にがんばるくらいのエネルギーがあるのなら、さっさと相手との関係性を自由に選べるくらいに自分を変えるほうに使ったほうがはるかに効率的だし、きっとその方が結果もわかりやすくでるし、楽しいと思うのだ。


読みたい本がたくさんあります。