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空、徒歩10分

空に近い土地に住んでいた時は、空を空間として意識していた気がする。
標高が高いと、雲が立体的だ。
手前のちぎれ雲はかなりの速さで流れ飛び、奥の刷毛ではいたような雲は少しずつ動く。
密度や位置で違う色、形、陰影。個々の雲の細部が見える。
空という場所が、そこにあるんだなと思う。

東京にいると相対的に、空が平たい絵のように見えることが増えた。
上空が開けていても、あまりリアルに感じない。
雲どうしの距離感が見えない、均一な青の空は、
自分のいる空間とつながっているという実感がわきづらい。

今の場所でも、空がそこにあると感じるのは、夕方。

昼下がり。柔らかい色をしていた空が、だんだん色褪せてくる。日が一定の角度を超えると、空はそれまでとは別種の鮮やかさを放つ。昼間は吹けば飛びそうだった月が、存在感を増す。
斜めから射す日光は、雲に複雑な色あいの影をつくる。光を透過したり弾いたりと、質感が多様でじっと見たくなる。

時折、音でも奏でそうな幻想的な変化が、頭上で起きていたりする。
けれどそんな空の現象は、音も香りもなくいつの間にか始まって終るから、たまたま見上げて気づくことになる。

斜めの日光の中では、地上で目に留まるものも変わる。
たとえば家から5分ほどの団地。同じ構造を繰り返えす建物が並んでいる。色は白っぽい。
普段は特に思うことなく通り過ぎる。

けれど日が傾くと、単調で無彩色な建物が、夕陽を映すキャンバスになる。
昼間目を引いていた樹や建物が、深く沈んでシルエットだけになる。地上で夜が始まる中で、少しの間、空の延長のような団地だけ温かさの残る色をしている。
そのうち街灯のまわり、樹の茂みから、影が広がる。街全体の高さまで闇が沈殿してく頃になると、空も透明になり宇宙の色が透けて見える。

絵のように平らに見えたり、幻想的な変化が起きたり。何かと遠いイメージの空の距離を、先日知った。
雨を降らせる雲やわた雲は、地上から500~1000メートルですでにあるらしい。
意外と近い。徒歩圏内だ。自分の家から最寄り駅は700メートル、10分かからない。

仮に垂直に歩けるとしたら、徒歩10分でいつも眺める空にいるのか、と思った。

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