Ⅰ-1.フィギュアスケートを取り巻く事情~するスポーツ、みるスポーツ【「スポーツ」の定義編】
訪問ありがとうございます。フィギュアスケートを考えるnoteです。
この記事群「フィギュアスケートを取り巻く事情~するスポーツ、みるスポーツ」では、関係各所の情報から、『プロ選手』という言葉が生まれる理由を考えています。
前記事にあたるものはⅠ-1.プロ・アマ・"エリジブル"~各用語の解説。
フィギュアスケート選手を『プロ選手』とは呼ばない
と書いたことを前提として、当記事をご覧ください。
今回は、そもそも競技とは何なのか?「スポーツ」とは何なのか?という話です。
『スポーツ』とは何なのか
まず、競技のことを考える前にこの言葉を取り上げましょう。
スポーツって一体なに? ということです。
スポーツ庁 Web広報マガジン内の記事、
スポーツ庁が考える「スポーツ」とは?Deportareの意味すること
によれば、
スポーツ庁が定める「第二期スポーツ基本計画」では、スポーツとは「身体を動かすという人間の本源的な欲求に応え、精神的充足をもたらすもの」と定義されています。
とのこと。
この定義、読者の皆様が「スポーツ」という言葉からイメージするものと同じでしたでしょうか?
自分は違いました。
自分が「スポーツ」という言葉からイメージするものは競技スポーツ。
すなわち、夏季オリンピック、冬季オリンピックで正式種目として採用されている、ないしは毎年リーグ戦が開催されているような…チケットを販売すれば購入者がいる身体活動のことを「スポーツ」と感じていたのです。
しかし、この定義では誰もがスポーツプレイヤーのようですね。
人類皆スポーツマン。
ただ、それが皆実現可能かどうかはまた別の問題でしょう。
『競技スポーツ』とは
それでは、対して「競技スポーツ」とはいったいなんなのでしょう?
文科省のページに、競技スポーツは人類の創造的な文化活動の一つであるというページがあります。ページから、一節を抜き出してみます。
一方、スポーツには、人間の可能性の極限を追求するという側面があり、このような競技スポーツは、自らの能力と技術の限界に挑む活動であると同時に、その優れた成果は、国民に夢と感動を与えるなど、人々のスポーツへの関心を高め、スポーツの振興に資するとともに、活力ある健全な社会の形成にも貢献するものといえます。
つまり“人間の可能性の極限を追求する、自らの能力と技術の限界に挑む活動”を競技スポーツと呼ぶことができるでしょう。
前項に挙げた、オリンピック競技などはその最たる例といえます。
競技スポーツに触れる機会
競技スポーツのことを知る機会は日常の中にたくさんあります。
テレビ放送などの報道を通じて競技スポーツに興味を持つ場合もあれば、自らが人生の中でスポーツのプレイヤーになることで興味を持つ場合もあるでしょう。
競技スポーツと一口に言っても様々な種類が存在しています。
宮内庁から天皇杯を下賜されている(概念としての国技)である、相撲。同様の、柔道、剣道、弓道。
試合の特別編成番組が組まれやすい、野球、サッカー、ゴルフ、テニス、バレーボール、卓球、水泳、長距離走。特番スタイルが新しいラグビー。
地域でチームをバックアップする体制がある、アイスホッケー、ホッケー、アメリカンフットボール、ソフトボール、バスケットボール、フットサル。(※前述の競技を除いています)
日本人が世界大会で入賞することが多く、ニュース番組内で取り上げられやすい、レスリング、ボクシング、体操、スキー、スノーボード、スケート。
と、やっとスケートが出てきました。
スケート(スピードスケート、ショートトラック、フィギュアスケート、シンクロナイズドスケーティング)は、世界大会入賞者を見る機会が自然と多くなるスポーツです。
他のスポーツと同様、入賞実績がなければ大きくは取り上げられません。
また、フィギュアスケート・シンクロナイズドスケーティングについては(これはFSというよりすべての採点競技の宿命でしょうが)体験場所が少なく、また、競技として通用するほどの経験を得るまでに相当な努力を必要とするスポーツでもあるため、何が正しい身体運動なのか=どの技が良い点を得るために必要なのか、よほど解説がしっかりしていないと、未経験者の一般人には即断しにくい競技でもある。
しかし、アーティスティックスイミングがそうであるように、新体操がそうであるように、競技ダンス(ダンススポーツ)がそうであるように、音楽と技が融合した演技は幅広い層の観客の心を掴み、多くの感動を生みます。
音楽を感じることもまた、身体を動かすのと同様に本源的な欲求であり、精神的充足をもたらすもの。
いいものといいものが融合することでより多くの精神的充足がもたらされるのは自明の理でしょう。
まとめ・スポーツと競技スポーツ~フィギュアスケートという競技
することで精神的充足をする「スポーツ」。
みることで精神的充足ができる「スポーツ」。
どちらもスポーツの楽しみ方です。
そして、幅広いスポーツのなかでも特に競技スポーツは“自らの能力と技術の限界に挑む活動”であり、競技としてスポーツを行える人とそうでない人がいる。
だからこそ、競技スポーツに打ち込む姿勢というものは美しくまばゆいものなのでしょう。
フィギュアスケート、シンクロナイズドスケーティングは競技スポーツの中でも音楽に合わせて演技するという特質を持った競技です。
曲に合わせて振り付けを行い、演技に合わせて衣装を作り、音楽と調和した技術を見せないといけない。
能力と技術の限界に挑み、超えたことで起こる感動。それにプラスし、音楽をよく聴くことに付随する感動が起こる。
スポーツと音楽。別々のジャンルが交わるためなのか、フィギュアスケートなどの音楽を包括する競技を「スポーツ」らしくないと思う人がいることは事実でしょう。
しかし、アーティスティックスイミングがそうであるように、新体操がそうであるように、競技ダンス(ダンススポーツ)がそうであるように、音楽と技が融合した演技というものは、“人間の可能性の極限を追求する”ことをしないと成し得ないこと。
自分の愛するフィギュアスケート漫画『ブリザードアクセル』ではそのことを力強くこう表現しています。
芸術を表現する技術‼
小細工のない技術が芸術を表現するからこそ、人は大きく心を揺さぶられる。
見る者の心に残る演技は、確かな技術に支えられているもの。
“人間の可能性の極限を追求する”競技スポーツをみて充足することは、競技者の弛まぬ努力をみて充足することでもあります。
その追求する姿勢=努力に対してこそ、私達スポーツファンは応援をしているのかもしれません。
最後までご覧いただきありがとうございました。 YC
今回参考にしたWebサイト
(記事中リンク参照)