課題への対処

課題への対処として往々にして行われるのは、事象として発生した課題が再度発生しないようにその事象への対策をするということ。
しかし、やるべき対処はもっと根本的なものでなければならないのではないだろうか。という問いかけ。

分かりやすいように、多くの人たちが嫌がる害虫であるGを例に挙げてみる。
上述した課題への対処は、「Gを見つけた → 潰す or Gホイホイを仕掛ける 」という行為である。
一見課題は解決されたように見えるが、ご存知の通りGは1匹とは限らない。
最初は台所で見つけ、次は廊下で見つけ、次はトイレで見つけ。といった具合に、家の中のいろいろな所で今後もGは姿を現すだろう。
その度に潰したり、Gホイホイを設置するのは場当たり的な対応である。
しかし場当たり的な対応だろうとなんだろうと手は打ったので、解決できたような気持ちになる。
よく考えればわかることだが、それで本当に課題を解決できたと思って良いのだろうか?
Gと一生一緒に暮らしていくつもりであればそれでも良いかもしれないが、そういうわけにはいかないのではないか。

ではどうすれば良いのか。
Gの巣を潰せば良いだろうか?
Gの巣を潰しても、また巣を作られる可能性はないか?
もし巣を作られる可能性があるなら、まだ不十分だろう。

そうした時に考えるべきは、なぜGが自分の家に発生するのかである。
例えば生ゴミが放置されがちとか、家の横が料理屋であるだとかそういった根本的な問題が排除されない限り、Gとの戦いは終わらない。
家の横が料理屋であった場合、自分だけの力ではどうしようもないかも知れない。
お隣さんと協力するか、引越しをするかを考える必要がある。

普段我々が突き当たる課題に対して、必死にGを潰したり、Gホイホイを仕掛けたりといった場当たり的な課題解決の方法を取っていないだろうか?
というのを改めて考えたい。

考えたこと


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