正しさとはどこから来るのか。組織文化とは何か。

正しさとは

軽んじて表現するなら「お気持ち」であり、崇高な表現をするなら「信念」である。

人には思想・信念がある。
自分の信じるものが正しいし、そうでないものは正しくないのだ。
しかし勘違いしてはならないのは、それはおおよそ自分の中でしか成り立たない正しさだ。
「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」という言葉に集約される。

人は正しいと思うことをやるのであって、その正しさを完璧に評価することはできない。
正しさとは普遍的なものでは無い。状況や前提によって変化するのだ。
少し考えてみて欲しいが「あの時あの状況での判断は正しかった。」ということはよくあるだろう。

そのため正しさについて論じようとする時、「正しさ」を「現在時点において過去を判断したとき」と、「現在時点においてどのような判断をすべきか判断するとき」の少なくとも二つに分けて考える必要がある。

組織文化

組織文化においては「現在時点においてどのような判断をすべきか判断するとき」の正しさが大事になってくる。

組織を成立させようとするとき、この「正しさ」が異なっていては物事がうまく運ばない。
信じるものが違えば、徹底的にやりあうか、袂を分つか、互いの理解を深め合うか、何らかの選択に迫られるだろう。

例えばヒエラルキーだとかホラクラシーだとか、スクラムだとかウォーターフォールだとかは何を信じるかでしかない。
だが、信じるものが違えば一緒に何かを成し遂げることは難しいだろう。
価値観が異なる組織で働くことは苦痛でしかないのだ。

組織は人によって構成されるのであって、冒頭に述べたように人には信念があるのだから、組織文化に変化をもたらせば組織の構成要員が変化するの避けられない。

組織文化によって何が起こるかをもう少しわかりやすく言えば、一度文化が作り上げられれば文化に合わない人は淘汰されるということである。
どのような文化を形成しているかを外からも見えるようにしていれば、自ら合う合わないの判断をしてもらえるので、その文化はより洗練されたものになっていく。

組織を考える上で組織文化は忘れてはならない。
組織構造や構成の上っ面だけを見て真似したところで残念ながら何も起こらないし、組織文化を無視した体制の変化はむしろ事態を悪化させるだろう。

文化づくり

組織文化も御多分に洩れず、作り上げることは難しいが破壊することは容易だ。
今までと別の正しさを押し付ければ良い。それに従わせれば良い。
その価値観に合う人はそれに従い、合わない人は去っていくだろう。
それが正しいかどうかは関係ない。その人に合うか合わないかでしかない。
しかしながらこれまでの文化でやってきた人たちにとってその押し付けは文化の破壊である。
たとえその価値観を押し付ける側が、新しい文化の創造だと考えていてもだ。
実際のところその押し付けは文化の創造ではなく、破壊でしかない。
価値観を押し付けるということはどういうことかは先ほども述べたように合わない人たちが去っていくということだ。
どれだけの人が残るだろうか。決して多くはないだろう。
そして最悪の場合どうなっていくかといえば、押し付けに従える人以外は淘汰され、信念を持たず、何かを成し遂げようという意欲もなく、組織にしがみつく人たちが増えるだろう。
価値観の押し付けは衰退の始まりになり得るのだ。

組織文化の難しいところは中長期的に見ると組織の繁栄/衰退をもたらすものであるが、短期的な視点で見た時にはその影響は無視できるもののように見えるところだ。

正しい組織文化とは

組織として生き残り続けることができれば、生き残り続ける間はそれが正しい文化である。
しかし、それは現時点で判断できるものではないということでもある。
現時点で未来を判断しようとした時、どのような組織においても絶対的な正しさなんてものは存在しない。存在し得ない。
みんなで信じられるものは何かを体現していかなければならない。
文化とは時間をかけて一人ひとりの中に形成されていき、組織として形をなすのである。
それが組織文化だ。


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