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第0章 マクロ会計学とは何か?


はじめに

1990年代初頭のバブル崩壊から30年が経過した。1990年代後半の金融危機を経て日本の長期停滞が続いている。その間、GDP、名目賃金が減少・停滞しただけでなく、20年以上にわたるゼロ金利政策、10年間の異次元緩和政策にもかかわらず、2022年以降の世界的な資源価格の高騰と急速な円安に伴うコストプッシュ・インフレを除けば、国内的なデフレ要因を取り除くことはできなかった。

かつて2度の世界大戦の戦間期にも世界的な長期停滞があった。1929年10月に米国の株式大暴落に端を発する世界大恐慌の中、最悪時(1933年)には米国でGDP半減、株価8割減、失業率25%にも達した。

世界大恐慌に直面して、当時の経済学には政策的に為す術がなかった。なぜなら、元来、政治経済学として出発した古典派も、19世紀後半に登場した新古典派(今でいうミクロ経済学)も、「需要と供給の均衡点で価格と数量が決定される」という共通の「需要・供給モデル」を基本的枠組みとしていながら、いずれもマクロ変数(社会全体の集計量)としての総需要関数の存在を抜きにして理論構築がなされていたからである。

これに対し、ケインズは完全雇用を達成し、大恐慌から脱却するため、公共投資と設備投資を軸とする総需要管理政策を主張した。消費と投資からなる総需要関数と生産の総供給関数の交点で決定される「有効需要」の喚起を求めたのである。社会全体の総需要、国民所得、消費、投資、貯蓄といったマクロ変数を対象とする新しい経済学が「一般理論」(1936年)であり、これによりマクロ経済学が確立した。

戦後、ケインズ経済学とも称されたマクロ経済学は、1970年代のスタグフレーションへの政策的対応に失敗したこともあり、1980年代以降、合理的期待仮説からの批判に晒された。その結果、現代マクロ経済学は、「代表的個人」の予想や心理を数学的に解析する合理的期待仮説や限界効用説といった「ミクロ的基礎」による実物的景気循環(RBC: Real Business Cycle)モデルや動学的確率一般均衡(DSGE: Dynamic Stochastic General Equilibrium)モデルへと変質した。

しかし、「ミクロ的基礎」では、マクロ経済学の対象である社会全体にこれを適用する場合、誰の目にも見えない代表的個人の限界効用や合理的期待に依存する総需要関数や総供給関数から現実のマクロ変数を導くことは不可能である。それ故に現代マクロ経済学は、1990年代の日本のバブル崩壊・金融危機から続く長期停滞、1997-1998年のアジア通貨危機、そして2008-2009年の世界金融危機に際して、その予測も、原因分析も、政策的対応もできなかった。いわば1930年代当時の経済学と同様の失敗を繰り返したのである。
では、我々が直面する長期停滞という現実に対応できる新たなマクロ経済学はあるのだろうか。

実は、国際金融の実務の現場においても、ケインズは巨大な足跡を残している。ブレトンウッズ会議(1944年7月)に先立ち、ケインズは、米国の対英借款に伴う巨額の負担を軽減し、米ドルの基軸通貨化を阻止すべく国際決済同盟の発行する合成通貨「バンコール」を用いた貿易決済と資本取引規制の仕組みを提案していた。戦時中の英米両国の関係からケインズ案が実現することはなかったが、1945年12月に金との交換比率を固定した米ドルを基軸通貨とするブレトンウッズ(IMF/世銀)体制が発足した。

ブレトンウッズ体制は『国際貿易の拡大及び均衡のとれた増大を促進し、これにより経済政策の第一義的目標として全加盟国における高水準の雇用と実質所得の促進及び維持並びに生産資源の開発に寄与する』(IMF協定第1条第2号)ことを目的とする。その実現手段として、ケインズの系譜を受け継ぐストーン(1984年ノーベル経済学賞受賞者)が委員長を務めた国際連盟統計専門家委員会報告書(1947年)の序文において、(i)国民所得の測定と社会会計の構築、 (ii)銀行統計、そして(iii)国際収支統計という相互補完的な3つのマクロ経済統計の整備の重要性が指摘されている。特筆すべきは、ストーン自身の独自案(同報告書附属書)として、現在の国民経済計算体系(SNA: System of National Accounts)の原型となる社会会計フレームワークが提示されたことである。

筆者は、日本の長期停滞からの脱却という現代マクロ経済学に残された課題を解決するため、社会会計のロジックでマクロ経済学を再構築すべきと考えている。以下、本稿ではかかる社会会計のロジックの組合せ・集合体を「マクロ会計」または「マクロ会計理論」と呼ぶこととしたい。

マクロ会計とは、政府の意思決定に伴う責任の体系である。会計学にあって、経済学にないものは、ロックのいう固有権(Property: 生命・自由・財産)を信託する委託者(trustor)、受託者(trustee=fiduciary)としての政府、固有権の実質的所有権者(主権者)である信託受益権者(trust beneficiary)としての国民という信託関係である。

そして、会計基準の目的は、信託関係における会計責任(accountability)の明確化、殊にマクロ会計においては、受託者(政府)の信託受益権者(国民)に対する受託者責任(fiduciary duty)を数字で明らかにすることにある。

マクロ会計理論に基づく1994-2021年の28年間分のマクロ経済分析によって、1990年代のバブル崩壊、そして金融危機に端を発する日本の長期停滞、すなわちGDP、賃金の減少・停滞、そして長期にわたるデフレの原因を分析することができる。一見すると膨大な数字の羅列にしか見えないかも知れないが、そこでは政府・日銀による財政・金融政策の結果とその責任の全てが明らかにされる。

それだけではない。日本経済を構成する事業会社、金融機関、家計、そして海外部門といった制度部門間でのあらゆる経済循環とマネーの動きがマクロ会計理論に従って記録・表示されている。その数字の一つ一つが語るバブル崩壊、金融危機、それに続く長期停滞とデフレのストーリーに耳を傾けることによって、日本の長期停滞の正確な原因分析を行い、マクロ会計理論に基づく様々なシミュレーションを実施した後、我々はこれらの困難を克服する真に有効かつ最適な処方箋を書くことができる。

なぜ経済学(現代マクロ経済学)は、1990年代の日本のバブル崩壊・金融危機から続く長期停滞、1997-1998年のアジア通貨危機、そして2008-2009年の世界金融危機に際して、その予測も、原因分析も、政策的対応もできなかったのか。逆に会計学(マクロ会計)ならどうして長期停滞や金融危機の予測、原因分析、そして政策的対応が可能となるのか。その疑問に答えるためには、両者の物事の見方や思考方法における基本的枠組みの違いから理解しなければならない。

経済学と会計学の基本的枠組みの違い

ミクロ経済学

アダム・スミスの「国富論」(1776年)を始祖とする経済学は、19世紀末にマーシャルの部分均衡モデル、すなわち「ある商品の価格と数量は需要と供給の均衡点で決定される」という需要・供給モデルを基本的枠組みとして一応の完成を見たとされる。現在、新古典派のミクロ経済学と称されるものである。

マクロ経済学

これに対して、同時期にワルラスが体系化した一般均衡モデルは、「市場における全ての商品の価格と数量は需要と供給の均衡点で決定される」と考える点で、一国経済全体を対象とするマクロ経済学の萌芽であったとも評価できる。

明示的に「マクロ経済学」という用語が定着したのは第二次大戦後のことだが、ケインズ「一般理論」(1936年)を解説したヒックスの論文「ケインズと『古典派』」(1937年)において、財市場と貨幣市場における需要と供給の同時均衡を表現するIS-LMモデルが提示された。

「ミクロ的基礎」による現代マクロ経済学

このように一国経済全体を対象とするマクロ経済学においても、ミクロ経済学同様、市場における需要・供給モデルが基本的枠組みとされている。従って、マクロ計量モデルは、需要と供給の均衡に向けた一定の調整経路とタイム・ラグを伴うマクロ変数(社会全体の集計量)間の相互関係を表す複数の構造方程式(連立方程式)から構成される。

ところが、マクロ経済政策の変更に伴う経済予測をする上で、「経験的に決定された構造方程式のパラメータ(係数)は不変」という暗黙の仮定が置かれていたため、1970年代以降の米国では社会状況の変化に連れて経済予測と実績値との乖離が拡大の一途を辿った。

マクロ計量モデルによる経済予測が実績値と乖離するのであれば、その原因はモデル構造(構造方程式とパラメータ)そのものにあるのではないか。いわゆる「ルーカス批判」(1976年)において、彼は「マクロ経済政策の変更がなされる場合、『合理的期待(rational expectations)』の変化に伴い、モデル構造自体に変化が生ずる結果、そのモデルに基づくマクロ経済政策の評価もできなくなってしまう」と批判した。その結果、1980年代以降、マクロ経済学の世界は一変し、不動のモデル構造とされる「ミクロ的基礎(micro-foundation)」を持たないマクロ計量モデルは駆逐されていった。

ミクロ的基礎では、市場における唯一人の「代表的個人(representative agent)」の存在を仮定する。代表的個人はミクロの経済主体の総和である。従って、マクロ変数は単純なミクロの集計、すなわち「ミクロの相似拡大」とされる。

政策変更に伴う合理的期待の変化の影響を受けない代表的個人の効用、選好、技術、情報等、本来、観測不可能な概念から導かれる最適化経路を不動の構造方程式(ミクロ的基礎)として数学的に設定した上で、政策変更等のショックが生じた場合のマクロ変数(例えば、国民所得、消費、貯蓄、投資等)へのインパクトを予測するのが、現在、主流の実物的景気循環(RBC: Real Business Cycle)モデルや動学的確率一般均衡(DSGE: Dynamic Stochastic General Equilibrium)モデルである。

RBCモデルは、その名の通り実物面(real)のみに分析対象を限定し、金融面(financial)の取引・事象を排除した。また、DSGEモデルにおいて、そのモデル構造(構造方程式)にマネーストック(流動性)に関する内生変数やパラメータを含む場合もあるが、社会全体の信用リスクの顕在化、すなわちバブル崩壊や金融危機に伴う「不良債権」の発生を唯一人の代表的個人からなるミクロ的基礎(構造方程式)に組み込むことは論理的に不可能である。従って、RBCモデルやDSGEモデルに代表される現代マクロ経済学が、2008-2009年の世界金融危機に際してその予測も、その後の政策的な対応もできずに欧米でも厳しい批判に晒されたのも当然のことだった。

会計学

同じく一国経済全体の経済循環を対象とするマクロ会計は、複式簿記の原則を基本的枠組みとする。具体的には、国連機関等のSNA(System of National Accounts)と呼ばれるマクロ会計の基準、すなわち複式簿記の原則に準拠してマクロ経済統計が作成・開示されている。現在、日本においても内閣府がSNA2008年基準に基づき、1994年から2021年までのデータを「国民経済計算年報」として作成・開示している。

また、国内的な実物面(real)での経済循環だけでなく、金融面(financial)に関する資金循環統計(Flow-of-Funds Accounts)、対外取引に関する国際収支統計(Balance of Payments)のいずれも複式簿記の原則に従って作成され、首尾一貫してSNAに接続されている。

従って、複式簿記の原則に基づくマクロ会計理論によって、対外取引も含め、一国経済全体の経済循環の実物面(real)と金融面(financial)の全てがカバーされるのである。

マクロ会計理論の場合、調整経路なしで借方[debit]と貸方[credit]の同時均衡が常に成立する。従って、均衡に向けた一定の調整経路とタイム・ラグを前提とする上記需要・供給モデルの基本的枠組みと比較すれば、以下の点で決定的に異なっている。

①    各制度部門(または各経済主体)の予想や心理(合理的期待や限界効用等)による需要と供給の均衡に向けた調整経路とは一切関係なく、各制度部門、そしてSNAの勘定体系全体で常に同時的(simultaneously)な「貸借一致」、すなわち多数の会計恒等式(accounting identity)が成立する。

②    一国経済全体の取引・事象を複式簿記で記録するマクロ会計の場合、世界に唯一の「代表的個人」だけではなく、必ず取引の相手方(売主・買主、債権者・債務者、委託者・受託者等)が存在する。従って、ある制度部門で発生し、貸借記入される取引・事象は、同時にその相手方となる他の制度部門においても貸借を逆転させた水平的複式仕訳(horizontal double-entry)として記録される。

その結果、マクロ会計理論においては、一つのマクロ変数(例えば、財政政策による政府最終消費支出)が変化する場合、SNAの各制度部門、そして勘定体系全体で瞬時にドミノ式の複式仕訳が発生すると同時に、会計恒等式上、残高調整項目(Balancing Items)であるGDP、国民所得、貯蓄、資本蓄積、資本(国富)等へのインパクトを観測可能な金額で正確にシミュレートすることができるのである。

ミクロ的基礎から会計的基礎へ

ミクロ的基礎による現代マクロ経済学は、1990年代の日本のバブル崩壊・金融危機から続く長期停滞、1997-1998年のアジア通貨危機、そして2008-2009年の世界金融危機に際して、その予測も、原因分析も、政策的対応もできなかった。

我々が直面する長期停滞や金融危機といった現実に対応し、現代マクロ経済学に残された課題を解決するため、マクロ経済学における「ミクロ的基礎から会計的基礎へ」の転換を主張したい。

マクロ会計理論

社会全体の経済循環を対象とする会計的基礎、すなわちマクロ会計理論の特徴は、以下の3点に要約される。

①ストックとフローを網羅する勘定体系と勘定連絡
マクロ変数(社会全体の集計量)として、フロー変数(例えば、国民所得、消費、投資、貯蓄等)だけでなく、ストック変数(例えば、資本ストック、マネーストック等)を勘定科目として網羅している上、勘定科目相互間での勘定連絡(会計恒等式)が多数存在する(図表1参照)。

【図表1】SNAの勘定体系と勘定連絡

②各制度部門間での四式簿記
各制度部門間での「四式簿記」により、SNAの勘定体系上、全ての勘定科目について「モレなく、ダブりなく」集計することができる。唯一人の「代表的個人」の「ミクロの相似拡大」ではなく、社会全体から見た取引の相手方を含む「四式簿記」によって、正確なマクロ変数の「会計的集計」を認識・測定することが可能となる。

四式簿記とは何か。まず、SNAにおいては、ある制度部門で記録する企業会計と同等の「垂直的複式簿記(vertical double-entry)」が存在する。各制度部門、そしてSNAの勘定体系全体でも「資産=負債+資本(国富)」といった基礎的な恒等式(fundamental identity)が成立する(SNA2008, p.50)。
次に、同一の取引・事象について相手方となる他の制度部門において、SNA上、上記「垂直的複式簿記」と貸借を逆転させた「水平的複式簿記(horizontal double-entry)」が同時に成立する。

従って、上記垂直的複式簿記と水平的複式簿記を合わせて、SNAにおける簿記は「四式簿記(Quadruple-entry bookkeeping)」と名付けられている(SNA2008, pp.49-50)。

③不動のモデル構造としての会計恒等式
会計学上、「貸借一致」という意味で、「会計恒等式」が常に必ず成立する。そして、会計恒等式上の残高調整項目(BI: Balancing Item)の存在により、全ての勘定科目間の数学的相互作用を維持しつつ、多数の会計恒等式が同時的(simultaneously)に成立する。

典型例とされるのは、ストックを表示する貸借対照表上の以下の会計恒等式である。なお、図表2において、SNAの勘定連絡を通じた主な会計恒等式を示している。

資産≡負債+[BI]資本

【図表2】主な会計恒等式

SNA上の会計恒等式においては、常に左辺(借方)残高と右辺(貸方)残高を均衡させる残高調整項目として、GDP、営業余剰、国民所得、貯蓄、純貸付/純借入、そして資本(国富)といった勘定科目が存在する。

他方、消費、投資(在庫変動を含む)、経常収支(=貿易収支+経常移転収支)、その他分配に関するマクロ変数(固定資本減耗、雇用者報酬等)等、残高調整項目以外で直接観測可能かつ金額化可能なマクロ変数を観測可能変数(OV: Observable Variables)と呼ぶ。

一つひとつの取引または会計事象が発生する都度、フロー(消費や投資等)の取引額や一国経済全体のストック(資産・負債)の残高である観測可能変数が変動し、それと同時に残高調整項目(GDP、国民所得、貯蓄、純貸付/純借入、資本等)も借方(左側)と貸方(右側)の金額を一致させつつ変動し、全ての会計恒等式が常に必ず成立する複式仕訳が発生する。

言い換えれば、会計恒等式上、残高調整項目は貸借差額の計算によって解が得られる内生変数であり、他方、観測可能変数は外生変数(制御変数)として位置付けられる。従って、観測可能変数については、ミクロ的基礎による予測金額(ミクロの相似拡大)を代入しても問題は生じない。しかし、本来、会計恒等式上の内生変数である残高調整項目については、ミクロ的基礎の構造方程式による予測はまぐれ当たりの場合を除き、会計恒等式上の貸借差額の計算によって解が得られる会計的集計と一致することはない。

第0章付録:マクロ会計における複式簿記の基礎

複式簿記のロジック

複式簿記とは、一つの経済的取引・事象を①財源の調達(貸方)と②財源の使途(借方)という二つの面から記録する方法を意味する。T型勘定の場合、その二つの面を右側の貸方(credit)と左側の借方(debit)で表現する。このとき、左右の右か左かには特に意味はないが、貸方(credit)は資源(資金)の調達源泉(source of funds)、借方(debit)は資源(資金)の使用形態(use of funds)を示すという意味合いがある。

複式簿記は、今から500年以上前、中世イタリアの貿易商の取引記録として用いられ、後に広く世界中に普及するに至ったものである。その成り立ちからもわかるように、当時、一回ごとの航海をプロジェクトとして見立て、全ての取引を複式簿記(Double entry book-keeping)で仕訳帳(Journal)に記録した上で、それを総勘定元帳(General Ledger)に転記(posting)し、その各勘定残高(Balance)を試算表(Trial Balance)に再転記することにより、貸借対照表(B/S: Balance Sheet)と損益計算書(I/S: Income Statement)を作成し、そのプロジェクトで得られた利益と残余財産の金額を確定したのである。

上記のように、複式簿記の仕訳を用いて企業の貸借対照表と損益計算書を作成することにより一会計期間中の利益と期末の財産残高の金額を測定する領域を企業会計と呼ぶ。しかし、複式簿記の対象範囲は企業会計に留まるものではない。政府や地方公共団体を一つの会計主体として見立て、複式簿記を用いて貸借対照表等の財務書類を作成する領域を公会計(Public Sector Accounting)と呼ぶ。

同様に、一国経済全体、例えば日本経済を一つの会計主体として見立て、複式簿記を用いて貸借対照表等の財務書類を作成する領域を社会会計(Social Accounting)、特の本稿ではマクロ会計と呼ぶ。

マクロ会計によるマクロ経済活動に関する財務情報は、具体的には、国連が採択する国民経済計算体系(SNA: System of National Accounts、以下、略称で「SNA」という)と呼ばれる国際基準に基づいて作成・公表されている。

実際のところ、一国経済における全ての取引・事象を政府が把握できる訳ではないが、一国経済を一つの会計主体とみなして、法人企業統計(財務省)や産業連関表(総務省)といった基礎統計を基に推計した金額を複式簿記で貸借記入することにより、一国経済全体の貸借対照表勘定、損益計算書に相当する国内総生産勘定、純資産変動計算書に相当する国民可処分所得・使用勘定(所得支出勘定)及び資本・金融勘定等を作成することができるのである。

ストックとフローの概念

例えば、一国経済全体で流通するマネーの総量は、「マネーストック」と呼ばれる。ストックとは、ある一時点における「残高」を意味する。貸借対照表は英語で「バランスシート(Balance Sheet)」というが、ここでいう「バランス(Balance)」とは、貸借対照表の構成要素である資産、負債、そして純資産のある一時点(通常は期末)での「残高」を意味する。

他方、損益計算書の構成要素である収益と費用といった一期間中の「取引高」は、フローと呼ばれる。例えば、収益の一例として売上10万円、費用の一例として旅費交通費5万円といった場合、それはあくまでも一期間中のフローの「取引高」としての売上10万円、旅費交通費5万円であって、それらは期末時点での「残高」、すなわちストックではないことに留意する必要がある。

純資産変動計算書と資金収支計算書も、基本的には純資産の変動や資金収支という一期間中のフローの「取引高」を表示する財務諸表である。ただ、期首の「残高」に一期間中のフローの「取引高」を加減して期末の「残高」が計算される構造となっている。従って、その期末「残高」が貸借対照表にも転記されて表示されるという意味では、期首と期末のストック「残高」も表示する財務諸表といえる。

【純資産変動計算書】
純資産の期首残高(ストック)±純資産の期中変動(フロー)=純資産の期末残高(ストック)

【資金収支計算書】
資金の期首残高(ストック)±資金の期中変動(フロー)=資金の期末残高(ストック)

会計恒等式(accounting identities)と残高調整項目(balancing items)

企業会計においては、一つひとつの取引または会計事象が発生する都度、借方(左側)と貸方(右側)の金額が一致する複式仕訳(Double entry)を仕訳帳(Journal)に記録し、その記録を総勘定元帳(General Ledger)に転記(posting)することにより、ストック(資産・負債・資本)の残高(Balance)を表示する貸借対照表(B/S; Balance Sheet)と、フロー(収益・費用)の取引高を表示する損益計算書(I/S: Income Statement)を作成する。

会計学上、常に必ず成立する恒等式として、「会計恒等式(accounting identity)」というものがある。典型例とされるのは、ストックを表示する貸借対照表上、常に必ず成立する以下の会計恒等式である。

資産≡負債+[BI]資本

会計恒等式において、常に左辺(借方)残高と右辺(貸方)残高を均衡させる資本や当期純利益といった勘定科目を残高調整項目(Balancing Items)という。本稿においては、原則として残高調整項目の勘定科目名の頭に[BI]と表記する。一つひとつの取引または会計事象が発生する都度、フロー(収益・費用)の取引額やストック(資産・負債)の残高が変動し、それと同時に、資本や当期純利益といった残高調整項目(balancing items)も借方(左側)と貸方(右側)の金額を常に必ず一致させつつ変動し、会計恒等式が常に必ず成立する複式仕訳が発生するのである。

特に、フロー及びストックの結節点として、貸借対照表(ストック)上の「利益剰余金(Retained Earnings)」を構成要素の一つとする「資本(Equity)」と損益計算書(フロー)上の構成要素「当期純利益」に関する以下の恒等式が存在する。

資産(期末)≡負債(期末)+[BI]資本(期末)
[BI]当期純利益≡収益-費用

このとき、[BI]資本(期末)と[BI]当期純利益との間でも下記の恒等式が成立する。

[BI]資本(期末)≡[BI]資本(期首)+[BI]当期純利益

従って、ストック及びフローの全ての勘定科目は、複式簿記による会計処理を行う中、それぞれの勘定科目の金額の変動が相互に再帰的(reflexive)な影響を与えつつ、常に必ず恒等式を維持しているのである。

SNAにおける会計恒等式

実は、複式簿記により一国経済全体のストック(資産・負債・資本[国富])とフロー(国内総生産を構成する消費や投資、国民所得、貯蓄等)を記録するSNAにおいても、企業会計と同様の会計恒等式が成立する。

国連等の「System of National Accounts 2008」においても、ある制度部門(セクター)で記録する企業会計と同等の「垂直的複式簿記(vertical double-entry)」において、「資産(assets)=負債(liabilities)+資本(国富)(net worth)」という基礎的な恒等式(fundamental identity)が成立する旨が記されている(UN et al., 2009, p.50)。[1]

資産(期末)≡負債(期末)+[BI]資本(期末)
資産(期末)≡負債(期末)+[BI]資本(期首)+[BI]貯蓄(純)(𝑆)
資産(期末)≡負債(期末)+[BI]資本(期首)+{[BI]国民所得(𝑌)-最終消費支出(𝐶)}

SNA上の会計恒等式においては、常に左辺(借方)残高と右辺(貸方)残高を均衡させる残高調整項目(Balancing Items)[2]として、GDP、国民所得、貯蓄、貯蓄投資差額、そして資本(国富)といった勘定科目が存在する。一つひとつの取引または会計事象が発生する都度、フロー(国内総生産を構成する消費や投資等)の取引額や一国経済全体のストック(資産・負債)の残高であるマクロ変数が変動し、それと同時に、国民所得Y、貯蓄S(=資本蓄積ΔK)、貯蓄投資差額(=資金過不足)、資本K(国富)といったSNA上の残高調整項目(balancing items)も借方(左側)と貸方(右側)の金額を常に必ず一致させつつ変動し、会計恒等式が常に必ず成立する複式仕訳が発生するのである。

一国経済全体の「資本(K)」は、正味資産(Net Worth)または国富(National Wealth)とも呼ばれる。「資本(K)」は、ストックの残高調整項目(balancing items)としてのマクロ変数の一つである。他方、企業会計上の当期純利益に相当する貯蓄(S)は、フローの残高調整項目(balancing items)としてのマクロ変数の一つである。そして、SNAの所得支出勘定で恒等式「貯蓄(S)≡国民所得(Y)-最終消費支出(C)」が成立すると同時に、資本勘定で恒等式「貯蓄(S)≡資本蓄積(ΔK)」もまた成立する。従って、SNA上、資本勘定こそ、フローである貯蓄(S)をストックである資本(K)に変換する結節点といえる。



[1] 「System of National Accounts 2008」によれば、同一の取引・事象について相手方となる他の制度部門(セクター)において、SNA上、上記「垂直的複式簿記」と貸借を逆転させた「水平的複式簿記(horizontal double-entry)」が同時に成立することから、SNAにおける簿記は「四式簿記(Quadruple-entry bookkeeping)」とも名付けられている(UN et al., 2009, pp.49-50)。
[2] SNAにおける会計恒等式(Accounting Identity)の重要な構成要素(elements)は、貸借一致を常に必ず確保するための残高調整項目(balancing items)である。フロー勘定では、GDP(Value added/domestic product)、国民所得(Disposable income)、貯蓄(Saving)、資金過不足(Net lending/net borrowing)等、そしてストック勘定では資本(国富)(Net worth)が残高調整項目(balancing items)とされる(UN et al., 2009, p.49)。

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