かたちないもの

いつかこの話をどこかに書き残しておこうと思っていた。母の母、私のばあちゃんの「愛」について。

ばあちゃんは現在84歳。私と40歳しか離れていない。今の私の年にはすでに2人の孫がいたことになる。ひょぇぇ。

16歳で結婚し最初の子を産み18歳で私の母を産んだ、ばあちゃん。
義父である私のひいじいちゃんは、元軍人でとにかく厳しいひとだったという。そのかわりというか、義母であるひいばあちゃんは穏やかで優しいひとだった。穏やかに微笑んでいる姿を、私も記憶している。若くして嫁に来たばあちゃんにあらゆることを教え、実の娘のようにかわいがってくれたらしい。

私が7歳くらいのころ、長年寝たきりだったひいばあちゃんが亡くなった。(ひいじいちゃんは私が生まれる前に亡くなった)
危篤という連絡が来たため母と弟と共にばあちゃんちへ向かった。そして呼ばれた日の翌日か翌々日だったか、に息を引き取った。
その地域ではまだ土葬だったので、正方形の棺の中にしゃがむように入れられていく姿を覚えている。

それから数年。ひょんなことから、ひいばあちゃんが亡くなった日の話を聞いた。病気ではなく老衰だったこともあるが、当時は自宅で看取るのが普通の時代だった。

ばあちゃんは、ひいばあちゃんが亡くなる少し前から同じ部屋に布団を持ち込み寝ていたそうだ。いつ様子が変わってもすぐ対処できるように。
呼吸があやしくなってきたのに気づいたとき、ばあちゃんはひいばあちゃんの布団に入ったという。
別の布団で寝ていたら、呼吸が止まったのがわからないから。
ひとりで逝かせたくなかったそうだ。だから腕枕をして寝た。そうして抱きしめるようにじぶんの腕の中で看取ったという。
ばあちゃんは、優しくて愛に溢れたひいばあちゃんがほんとうに大好きだったそうだ。ひいばあちゃんもきっと、さいごのさいごまでさみしくなかったに違いない。

すごいな。愛でしかない。ばあちゃんの愛のかたちに私は圧倒された。

ただ、私にはとてもできないことだと思った。実の母にも、どれだけ愛したひとであっても無理だ、たぶん。こわい。

母が住む私の実家と、ばあちゃんが住む町はわりと…いやかなり遠い。電車を乗り継いで4時間近くかかる。
気軽に会いに行けないこともあり、年老いた母を心配した母は(ややこしいな)毎週同じ曜日の同じ時間に電話をして、近況を聞いているそうだ。数年前からそうしているという。  

先日母と電話をしたとき、ばあちゃんはこの状況の中でもとても元気に暮らしていると聞いて安心した。裏山に芝刈り…ではなく、たけのこを取りに行ってきたらしいという。
山深く、人よりもイノシシや鹿、熊、猿に出会う確率の方が高いところだ。
ステイしてなくても滅多にひとに会わない。というかがんばらないと会えない。
なので緊急事態宣言が出たあとも、畑で野菜の世話をし、そんなふうに山へ入ったり、普段どおりに家の中で好きなことをして生活しているそうだ。
20本とったらしいでー、て。1本でもわりと重い気がするのだが。
だいぶ腰が曲がり、耳も遠くなり、歩くのもおぼつかず向こうの親戚で集まったときは車椅子を用意してもらって…などと聞いていたので、たけのこを取りに行けるくらい元気なことに驚いた。
近々茶摘みをして煎じて飲む予定だと楽しそうに話していたらしい。ばあちゃんちに、しかも庭に、お茶の木があることを初めて知った。私も飲みたい。自然の中でこころ豊かに暮らしているばあちゃんに、会いに行きたい。

ばあちゃんは、初孫である私が独り身であることを長年心配し続けていた。
私はもうとっくに結婚していてもおかしくない歳だ。そればっかりはご縁だからどうしようもないし私はひとりでいるのが好きなので、と言い続けてきた。

そんな私だったが、なんと、来年結婚することになった。青天の霹靂。私自身が一番驚いている。ひとりでのんびり生きていこう、と決めた矢先に出会ったのが彼だった。人生何が起こるかわからない。
母がそのことを電話で伝えてくれたらしい。それはもう、ものすごく喜んでくれたとのこと。よかった。

ほんとうならこの春、彼と共にばあちゃんちへ報告がてら顔を見せに行く予定だった。今のところ、いつ行けるか全く見通しが立っていない。
なのでイノシシや熊に気をつけて(もちろん身体にも気をつけて)どうかまだまだ元気でいてほしい。

私にも、ばあちゃんやひいばあちゃんが持っていたような「愛」はあるのか。どちらかというと自分は薄情なのだが。
ひとりではなくふたりで歩くことになったこれからの日々で、私なりのかたちを見つけられたらいいなと思う、今日この頃である。

#おばあちゃんの話 #エッセイ #愛だな